再開発における賃借人のマスターリース方式への対応方法

【行政|都市再開発法|組合と賃借人の利益対立|所有者、賃借人にとっての利益不利益|東京地方裁判所平成27年6月26日判決|東京高等裁判所平成27年11月19日判決(控訴審判決)】

質問

駅前ビルの区画を賃借して店舗を経営しています。このたび駅前一帯の再開発(第一種市街地再開発事業)が計画されることになり、再開発準備組合の賃借人説明会に参加してきました。そこで、今回の建て替えでは「マスターリース方式」による賃貸管理が計画されており、現在の賃借人が再入居を希望する場合は「借家権消滅希望申出書(転出届)」を提出して一旦転出し、建物竣工後に賃貸管理を一括受託する管理会社との間で賃貸契約を締結すると説明されていました。配布された説明資料にもそのように記載されています。組合が「契約する」と明言しているので信用しても良いのかなとも思いましたが、再入居するのに転出届を出すというのが矛盾しているようにも思いました。組合の説明通りに転出届を出しても良いものでしょうか。

回答

1、マスターリース方式は、「共有床方式」とも呼ばれるもので、地権者が取得する再開発の権利床を、地権者の同意により共有床(再開発ビルの区分所有権の共有持分)として権利変換し、共有床の賃貸管理を管理業者に一括委託(マスターリース)することにより、共用廊下を廃止して権利床の利用効率を高めたり、テナント退出リスクを低減したり、大型テナントの誘致を可能にするなどのメリットを企図するものです。

2、地権者(大家)にとっては、自分自身が当該区画を専有利用していたわけではなく、安定して賃料が入れば良いことから、専用区画床を選択するか共有床を選択するかは各自の判断となりますが、賃借人にとっては、あらゆる面で不利な方式と言えます。判例などもありますので別途ご紹介致します。

3、賃借人が再入居を希望しているのに、賃貸人(大家)が勝手に共有床を選択することは、都市再開発法77条5項により法的に不可能と考えられます(当事務所の見解)。「借家権消滅希望申出書(転出届)」の提出を強要されようとしている場合は、法的に抗議する必要があります。都市再開発法では、賃借人が再入居を希望する場合は、従前の建物と同様の独立性を有する賃借権を与えるということで賃借人が保護されるのが大原則です。しかし、マスターリース方式の場合、借家権消滅希望申出書(転出届)」の提出がまず求められ、事実上転出が原則扱いとなり(さらに共有持ち分床に対する賃借権は特定性が不明確になり、共有持分処分は他の共有者の同意が原則となるであるから自由処分性をも害することになります。)、このような扱いを賃借人に強要することは、公平、公正を旨とする都市再開発法に違反するものです。転出には補償の面でも様々な不利益がありますから安易に組合の要求に応じることはとても危険です。

ご心配な場合は弁護士に相談して組合と交渉してもらうと良いでしょう。

4、関連事例集2021番1822番1490番等参照。

解説

解説:

1、マスターリース方式

第一種市街地再開発事業は、地方自治体や、区域内地権者からなる再開発組合などが施行主体となって、権利変換方式による区域内権利の一括転換という法的仕組みを使うことにより、区域内建物の一括建て替えを行う再開発事業です。道路や鉄道や空港や堤防などの建設工事と同じ、土地収用法が適用される公益事業である「都市計画事業」として、行政処分により法的効力が与えられ、事業が進行して行きます。

なぜ、市街地のビル建て替えが公益事業になるのかと言えば、市街密集地において老朽化した建物が混在化していると、地震や火災などの場合に、隣地に倒壊して被害が拡大したり火災の延焼が広がって被害が拡大したり、路地が細ければ消防車や救急車の通行もできずに被害が拡大してしまうからです。老朽化した木造家屋密集区域について、耐震性能や耐火性能の高い不燃建築物に建て替えることは公益事業と位置付けられています。また、ビルの建て替えにより床面積が増加し、区域一帯の商業機能が高まれば、国民経済の振興にも利することになります。

この第一種市街地再開発事業における権利変換計画策定時の意向調査にあたって、再開発ビルの一番良い区画、例えば、1階入り口正面付近に大型区画を設計し、区域内地権者はこの共有持分を取得し、共有者の組合を結成し、これを一括して管理会社に貸し渡して、大型テナントに転貸するなどして、賃料の持ち分を受け取る方式の提案がなされることがあります。いわゆる「共有床方式」です。共有床の管理を管理会社に一括委託するので、「マスターリース方式」とも呼ばれます。

例えば、施設建築物(再開発ビル)の1階全体を一つの占有区画として登記し、その共有持分を従後資産として取得する権利変換計画が策定されます。専有床の共有持分であっても、不動産であることに変わりはありませんが、区分所有権を単独所有する場合と異なり、共有物の所有者となり建物の「使用・収益・処分」について、法令上および規約上(他の共有者との合意による)の制約を受けることになります。

共有物の所有者として建物利用については、民法の共有物に関する次の規定が適用されます。

民法249条(共有物の使用)は、「各共有者は、共有物の全部について、その持分に応じた使用をすることができる。」と規定しています。

これは、共有者が自己使用する場合の規定です。持ち分に応じた使用ということで、一見自由に使用できるようですが、他の共有者がいるため、制限お受けます。親族がひとつの不動産を共有しているような場合には、話し合いで円満に共同使用するような場合は良いのですが、利益が対立るような場合円満な使用は難しくなります。そのため、再開発の共有床では共有者全員が賃貸管理会社と一括マスターリース契約を締結し、テナントと転貸する使用方法になり、共有者が自己使用しようと思っても、「賃貸管理会社と賃貸借契約を締結してください」と言われてしまうことになります。その場合は、賃貸管理会社の手数料がありますので、賃貸管理会社に支払う転貸賃料よりも、2割以上、受領する賃料配分金が少なくなってしまう場合があります。自分の物件なのに賃借しなければならないのです。自己所有していると言っても共有床の場合は、持分相当の面積ですら、無償で自己使用することはできません(もちろん、賃料として賃貸管理会社から賃料を受け取れますが自分が支払う賃料より定額になります)。

民法251条(共有物の変更)各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、共有物に変更を加えることができない。

共有物の変更行為というのは、建物の用途を商業区画から居住区画に変更したりするなどの大きな変更(工事)であり共有者全員の同意が必要となります。

民法252条(共有物の管理)共有物の管理に関する事項は、前条の場合を除き、各共有者の持分の価格に従い、その過半数で決する。ただし、保存行為は、各共有者がすることができる。

共有物の管理方法というのは、共有物の日常の利用方法を決めるということであり、誰に賃貸するのか決めることも含まれます。第三者にサブリース(転貸)にする場合は、マスターリース契約を締結する賃貸管理会社を決めることも含まれます。しかも、再開発の場合は、このマスターリース契約の契約先などの概要は、権利変換期日前から予め決まっていることが多いのです。あなたがもしも、共有床の持ち分の過半数を持っていないのであれば、誰に貸すのか自由に決められないことになってしまいます。共有物の保存行為というのは、破損している共有物を、その経済的価値を維持するために修理したり、応急処置をすることです。

民法265条(共有物の分割請求)

1項 各共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができる。ただし、五年を超えない期間内は分割をしない旨の契約をすることを妨げない。

2項 前項ただし書の契約は、更新することができる。ただし、その期間は、更新の時から五年を超えることができない。

民法254条(共有物についての債権)共有者の一人が共有物について他の共有者に対して有する債権は、その特定承継人に対しても行使することができる。

このように民法の規定はありますが、共有床の共有者の組合が結成され、組合の規約が成立すると、共有者の権利に様々な制限が加えられることがあります。共有物に関する取り決めを他の共有者に求める債権は、民法254条で譲渡先の承継人にも行使できることとされています。

マスターリース物件の共有持分を譲渡しようとする場合は、組合の規約で、「他の組合員もしくは、組合が指定する者に譲渡しなければならない」というような制限が掛けられていることもあります。

このように、共有物に関する民法の規定を基礎として、共有者で作られる組合の規約が策定され、その規約に従い、共有床の「使用・収益・処分」が行われることになります。

マスターリース契約の構造は次の通りです。

※共有床方式の模式図

 共有者組織(共有者組合)

一括賃貸↓↑配分(マスターリース契約)

賃貸借契約管理会社

  転貸↓↑賃料(サブリース契約)

 大型テナントなど

出店契約↓↑利用料(ケース貸し、売り場出店契約)

  小型テナント

この「賃貸借契約管理会社」と共有者組織の契約は、テナント賃料から管理費を引いて地権者にそのまま支払う「パススルー型」と、固定賃料を保証してテナントの有無に関わらず支払う「固定賃料保証型」があります。一般に固定賃料保証型の方が賃料が安くなる傾向があります。固定賃料保証型は、いわゆる「サブリース契約」に類似するものとなります。

ここで注意を要するのが、貴社のような小型テナントが、サブリース会社との直接契約をせずに、一括賃貸を受けた大型テナントから、「また貸し」の様な形で、「売り場出店契約」や「ケース貸し契約」を提案されることがある点です。このような契約を締結した場合、大型テナントの一部の「販売コーナー」として再入居しているに過ぎず、借地借家法が適用される建物賃貸借契約とならない可能性が高いのです。壁やドアなどで仕切られた独立区画でなければ、建物賃貸借契約の対象とはなりません。大型テナントの「大規模リニューアル」などの都合で突然場所を変えられたり、退去を迫られてしまう場合もあります。当然、借地借家法26条の法定更新など借家権者としての入居継続の保護を受けることはできなくなってしまいます。この点は、再入居の契約書の形式面だけでなく、具体的な条文などを詳細に検討しませんと判断できませんので慎重な対応が必要です。

共有床に対して単独区画を取得する場合は、「単独床」「区分所有床」「区分床」などと言われることがあります。管理会社は、共有者が出資して設立される会社になることもありますし、再開発の参加組合員であるデベロッパーの系列会社になることもあります。デベロッパー系の管理会社は経費が高くなりがちですが、受託経験が豊富であることも事実です。

2、地権者(建物所有者)にとってのマスターリース方式

市街地再開発事業を定める都市計画決定がなされて、再開発組合が設立認可されて、権利変換計画を策定する段階になると、取得希望区画のアンケートが行われます。従前地権者(再開発区域内に土地建物を所有する再開発組合の組合員)としては、取得希望区画申出書に共有床か単独床かどちらを選ぶか記載する必要があります。組合事務局を運営している参加組合員関係者としては、マスターリース方式を推進したい動機があるのか、積極的に共有床を推奨してくることが多い様です。組合担当者からは「共有床の場合は共用廊下の面積が減るので効率が良くなり取得できる床面積が増えますよ、他の人もみんな共有床を選択していますよ、単独床が予定されている場所は端の不利な場所ですよ」、などと勧誘されることが多い様です。

一般的に再開発組合で説明されることの多い、共有床のメリットと単独床のデメリットを列挙致します。説明会資料などを見ると、共有床の説明には美辞麗句が並べられており「これを選択する他ない」という雰囲気の説明となっていることが多いものです。

共有床のメリット:

・ビルの目玉区画として1階や2階などの好条件の場所に位置できる。

・大型区画の方が賃料が上がる。

・大型区画の方が退店リスクが少なく、安定収益が望める。

・専門の賃貸管理運営会社による良質テナント入れ替え交渉ができる。

・まちづくりのコンセプトに合った大型優良区画を誘致できる。

・商業環境の変化に合わせたテナントの入れ替えや施設全体の効果的なリニューアルを専門家の立場で行うことができる。

・管理業務を一元化するので、販売促進活動や経費削減活動を効率的に行うことができる。

・共用廊下や仕切り壁の施工が不要となるので、権利者ごとの専有面積を増やすことができる。

区分床(単独所有床)のデメリット:

・好条件の場所は共有床が設定されているので区分床の区画は集客が劣る。

・区分所有床区の配置希望が衝突すると抽選になり希望通りの区画が取得できない。

・取得した区画の配置や規模や性格によりテナント選定の自由度が制限される。

・区分所有者同士の連絡が薄いため入居テナントがバッティングすることがあり雑居ビル化してしまうことがある。

他方、共有床のデメリットは、あまり積極的に説明されないことが多いですが、次のようなものがあります。

共有床のデメリット:

・権利譲渡の際の共有者組織への優先譲渡交渉権が設定される場合がある。譲渡価額も自由に設定できない場合がある。

・共有持分は資産価値が低いとみなされ金融機関からの融資が受けにくい場合がある。

・担保権設定方法に特定の金融機関との融資に制限される場合がある。

・賃貸管理会社が収受する手数料が賃料の20パーセント以上など、想定よりも高率となってしまう場合がある。

・共有物分割請求を制限する規約が定められていることが多い。

これらの規約の詳細は、権利変換計画の段階では未定であることが多く、組合担当者に尋ねても、「詳細を詰めているところであり建物竣工後に確定します」などと不明確な回答がなされることもあります。再開発の権利変換で共有床を選択し、マスターリース契約を締結すると、基本的に、自分自身では、「使用・収益・処分」が自由に行えなくなってしまいます。共有床も不動産として法務局(登記所)に建物所有権の共有持分が登記されますが、いわば「不動産投資信託」みたいな財産となってしまうのです。

従って、不動産の所有権を、自己使用も含めて自由に管理・処分したいという地権者の方には、マスターリース契約の共有床を推奨することはできませんが、他方で、「不動産の賃貸管理が面倒」「修繕費の負担ができない」「安定した配当が来れば良い」「配当率が多少低くても気にしない」という方であれば、共有床を選択する場合もあり得るところではあります。

3、賃借人にとってのマスターリース方式

他方、再開発区域内の賃借人にとっては、マスターリース方式は、不利益ばかりが大きい不利な方式であると言わざるを得ません。

賃借人にとってのデメリット

・都市再開発法の手続き上は、借家権者の再入居(都市再開発法77条5項)の権利があるが、マスターリース方式では、再入居する借家権の場所や面積を特定することができないため、権利変換計画の縦覧手続きに乗せることが難しく、一旦転出届(借家権消滅希望申出書、都市再開発法71条3項)を提出することになり、転出者の扱いとなる。

・借家権消滅希望申出書を提出すると、転出者の扱いとなるので、権利変換期日に、借家権が消滅する。従前建物についても、再建築ビルについても、一切の権利が無い状態となる。再入居について予約契約などを交わしていない限り、再入居の「期待」しか無い状態となる。

・再入居の契約内容が定まっておらず、一括賃貸を受けた大型テナントからの「出店契約」や「ケース貸し契約」を提案されることがある。この場合は、建物賃貸借契約とはならないので、借家権者としての保護が受けられなくなってしまう。建物賃貸借契約よりも、入居者の立場が弱い状態となってしまうリスクがある。

・都市再開発法97条1項の「通損補償」について、借家権消滅希望申出書を提出しなければ、仮店舗への移転と仮店舗の造作、再入居ビルへの移転と再入居の造作と、2回分の転居と内装費用の補償や、仮店舗期間の減収を補償する得意先喪失補償や、移転期間の休業補償などの営業補償も受けることができるが、借家権消滅希望申出書を提出した場合は、都市再開発法上の扱いでは、転出のために必要な1回分の移転費用や内装費用などの補償に限定されることになる。

・再入居後の借家条件について、再入居であれば、都市再開発法102条の借家条件協議や、再開発組合の裁定や、裁定に不服がある場合の裁定賃料変更請求訴訟の手続きが整備されているが、借家権消滅希望申出書を提出した場合は、再入居時点で、新たに賃貸借契約を締結するため、ゼロベースの交渉となり、賃料は再入居時の時価相当額となる。都市再開発法における再入居であれば、都市再開発法上では、借家権が存続している扱いとなり、従来の経緯も事情に含めて賃料交渉をすることができる。

・都市再開発法71条3項の、借家人として「借家権の取得を希望しない旨」の申し出(借家権消滅希望申出)を行った場合、借家権を喪失することになるが、その対価の補償を受けられないことが多い。土地建物所有者が転出届を提出した場合は、都市再開発法91条1項により「相当の価額」の補償金を受けることができるが、借家権者の場合は、借家権の価格相場が観念できないとして借家権喪失の対価が「ゼロ円」となる場合がある。

この問題について参考判例がありますのでご紹介致します。

※東京地方裁判所平成27年6月26日判決

『(1)借家権の消滅と91条補償の要否について

ア施行者は,第一種市街地再開発事業の施行地区内の宅地若しくは建築物又はこれらに関する権利を有する者で,法の規定により,権利変換期日において当該権利を失い,かつ,当該権利に対応して,施設建築敷地若しくはその共有持分,施設建築物の一部等又は施設建築物の一部についての借家権が与えられないものに対し,その補償として,失われる宅地若しくは建築物又は権利の価額たる法80条1項所定の「相当の価額」に,所定の修正を加え利息相当額を付して支払わなければならない(法91条1項,80条1項,73条1項12号)。

この91条補償は,施行地区内に有していた権利に対応する権利が第一種市街地再開発事業完了後の施行地区内において与えられずにその権利を失う者に対して,当該権利の消滅の対価として支払われるべき補償であるということができる。

もっとも,法71条は,権利変換を希望しない旨の申出等について定めているところ,上記の申出の内容は,①施行地区内の宅地の所有者及びその宅地について借地権を有する者については,これらの資産の価額に相当する金銭の給付を希望することであり,施行地区内の土地に権原に基づき建築物を所有する者については,建築物の価額に相当する金銭の給付か又は建築物を他に移転するかを希望することであると規定されている(同条1項)のに対し,②施行地区内の建築物につき借家権を有する者については,単に,借家権の取得を希望しないことであると規定され,金銭の給付を希望することがその内容に含まれていない(同条3項)。

上記のとおり,同条の1項と3項とが権利変換を希望しない旨の申出等の内容を書き分けているのは,借家権は,賃貸人の承諾なく第三者へ譲渡し得ないものであり,取引慣行自体が存在しないことが一般であって,客観的な取引価格を認識することが困難であるのが通常であることに基づくものと解される。そうすると,同条3項の規定は,施行地区内の建築物につき借家権を有する者は,借家権の消滅の対価として当然に何らかの金銭の給付を受けられるものではないことを前提にしたものと解することが相当である。

以上によれば,法は,施行地区内の建築物について借家権を有する者が地区外転出の申出をした場合において,法91条1項に定める91条補償が支払われるべき対象者に形式的には当たるとしても,必ず借家権の消滅の対価として法91条に基づき金銭の給付による補償をしなければならないとの立場をとるものではないといわざるを得ない。』

※東京高等裁判所平成27年11月19日判決(上記事件の控訴審判決)

『控訴人らは,本件建物部分の明渡しは不随意の明渡しであるから,本件借家権の価格の補償の要否を判断するに当たり,客観的な取引価格を問題とすること自体誤りであり,取引価格が存在しない限り借家権価額は0円であるとする原判決の法解釈は立法者意思にも反するものである旨主張する。

しかしながら,原判決は,借家権者が法87条2項により失う借家権の価額は,法80条1項において,所定の評価基準日における近傍同種の建築物に関する同種の権利の取引価格等を考慮して定める相当の価額と規定されていることから,この文言に従い,施行者が91条補償により補償すべき額は,借家権の取引価格を基礎として算定すべきものであるとしたものである。また,甲33号証(衆議院建設委員会議事録)によれば,都市再開発法案審議における政府委員の答弁内容は,権利変換を希望しない借家人については,施行者が直接借家権を評価して補償すること,その借家権の評価に当たっては,近傍同種の借家権の取引に権利金授受の慣行があるかどうかといった形によって借家権価額の存在が認められる場合には,取引価格を中心に,賃貸借契約の諸条件を考慮して評価するというものであって(取引価格等の「等」とはこれらの考慮要素を指すものと解される。),近傍同種の借家権取引に照らして借家権価額が認められない消滅借家権についてまで,他の評価方法によって補償を行うことを明らかにしたものとは認め難いから,このような借家権について91条補償をしないことが立法者意思に反するものともいえない。控訴人らの上記主張は,法91条の文言を離れて独自に解釈するものであり,採用することができない。』

 つまり、裁判所は、法71条3項の申し出(借家権の取得を希望しない旨の申し出)が、71条1項の申し出(自己の有する宅地、借地権若しくは建築物に代えて金銭の給付を希望する申し出)とは格別に異なる定め方をしていることと、取引実勢価格の認定(借家権価格の相場が存在しないこと)を根拠として、借家権の取得を希望しなかった旧借家権者に対する補償額をゼロ円と裁定することも法に反しないと判断していることになります。

 結局、現在の都市再開発法の条文と裁判所の判例を前提とすれば、「借家権の取得を希望しない旨の申し出(借家権消滅希望申出)」には、補償額がゼロ円となってしまうリスクが存在すると言わざるを得ません。この申し出を検討する場合には、当該借家権の設定された区域において、具体的に借家権の流通価格を見積もりすることができるかどうか、慎重な検討が必要になります。弁護士として、この申し出を行うことに意見を求められた場合は、「一般論として、お勧めすることができない」という回答になってしまいます。このような不利な選択を借家権者に強要しようとする再開発組合事務局の説明説得は問題があるものと言わざるを得ません。

 さらに、都市再開発法77条5項の条文解釈から、賃借人が再入居を選択した場合は、賃借人は、従前大家(建物所有者)が取得する権利床の上に借家権を取得する扱いとなっており、従前大家が共有床を選択して共有持分の権利変換を受けた場合は、再入居建物の「面積と場所」が未確定な状態となり、権利変換計画案の縦覧ができないことになるので権利変換計画が認可されないリスクを生じます。都市再開発法77条5項で、従前借家権者に「当該建築物の所有者に与えられることとなる施設建築物の一部について、賃借権が与えられるように定めなければならない」と規定されている以上、借家権の対象が「建物区分所有権の共有持分」では、法的に有効な建物賃貸借契約が成立し得ないからです。建物賃貸借契約の対象物は、どんなに狭くても、飽くまでも専有使用することができる「建物」であるからです。

都市再開発法77条5項 権利変換計画においては、第七十一条第三項の申出をした者を除き、施行地区内の土地(指定宅地を除く。)に権原に基づき建築物を所有する者から当該建築物について賃借権の設定を受けている者(その者が更に賃借権を設定しているときは、その賃借権の設定を受けた者)又は施行地区内の土地(指定宅地を除く。)に存する建築物について配偶者居住権を有する者から賃借権の設定を受けている者に対しては、第一項の規定によりそれぞれ当該建築物の所有者に与えられることとなる施設建築物の一部について、賃借権が与えられるように定めなければならない。ただし、当該建築物の所有者が同条第一項の申出をしたときは、前項の規定により施行者に帰属することとなる施設建築物の一部について、賃借権が与えられるように定めなければならない。

都市再開発法83条1項(権利変換計画の縦覧等)

個人施行者以外の施行者は、権利変換計画を定めようとするときは、権利変換計画を二週間公衆の縦覧に供しなければならない。この場合においては、あらかじめ、縦覧の開始の日、縦覧の場所及び縦覧の時間を公告するとともに、施行地区内の土地又は土地に定着する物件に関し権利を有する者及び参加組合員又は特定事業参加者にこれらの事項を通知しなければならない。

従前建物所有者は再開発組合の組合員ですし、自ら希望して共有床を選択することができますが、借家権者は、実際に従前建物を使用していた権利者ではありますが、再開発組合の議決権はありませんし、再入居区画を選択したり指定する権限も与えられていません。このような場合に、再入居区画の面積と場所が特定できない共有床の権利変換計画を定めることは、法的に有効な借家権を与えていないことになり(都市再開発法77条5項違反)、権利変換計画が認可されないリスクがあると考えられ、ほとんどの組合では、借家権者が転出した家主のみ(つまり借家権の負担の無い建物所有者のみ)、あるいは借家権者が事前に同意している場合のみ、共有床を選択できるとする取り扱いとなっています。

従いまして、事実上、借家人が転出しない場合は、家主側としては共有床を選択することはできないということになります。このような事情もあって、一部の再開発組合では、借家人に対して様々な説得を行い、なんとしても借家権消滅希望申出書を提出させようとする勧誘が増えているようです。

4、まとめ

再開発組合の借家人説明会において、「再入居するためには一旦転出届を提出して頂きます」との説明が実務上行われていることは事実です。「再入居するために転出届を出す」という矛盾に満ちた説明ですが、大手デベロッパー参加組合員の社員から説明されて、これに応じてしまう借家人が多いのです。これに応じた場合、前記の様な不利益を被るリスクはあるものの、デベロッパー側(マスターリース契約を受託した管理会社)もなるべく穏便に、時価相当額に近い条件で新たに賃貸借契約を締結し、再開発ビルへの入居ができるように調整しているようです。

しかし、前記の通り都市再開発法上の扱いでは転出届を提出してしまうと不利益を受けても仕方ないということになってしまいますので、仮店舗や再入居の造作費用や営業減収補償も含めて、営業継続に支障の無い補償を確保されたいということであれば、転出届は提出せず、弁護士に相談して、具体的な個別区画への再入居ができるように、また、十分な通損補償を受けられるように交渉することが必要でしょう。お困りの場合は経験のある弁護士事務所にご相談なさると良いでしょう。

以上です。

参考条文

都市再開発法77条5項

権利変換計画においては、第七十一条第三項の申出をした者を除き、施行地区内の土地(指定宅地を除く。)に権原に基づき建築物を所有する者から当該建築物について賃借権の設定を受けている者(その者が更に賃借権を設定しているときは、その賃借権の設定を受けた者)又は施行地区内の土地(指定宅地を除く。)に存する建築物について配偶者居住権を有する者から賃借権の設定を受けている者に対しては、第一項の規定によりそれぞれ当該建築物の所有者に与えられることとなる施設建築物の一部について、賃借権が与えられるように定めなければならない。ただし、当該建築物の所有者が同条第一項の申出をしたときは、前項の規定により施行者に帰属することとなる施設建築物の一部について、賃借権が与えられるように定めなければならない。

判例