相続開始後に共同相続人の一人が行った預金払戻しへの対応

相続|相続開始後の預金の取り扱い|最判平成28年12月19日民集70巻8号2121頁

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参照判例

質問

父が亡くなり、遺産分割協議を行うことになりました。父の遺産は、預貯金と不動産であり、相続人は、兄と私の2人です(母は既に他界)。ところが兄は、長男である自分が預金を管理すると言い出し、一方的に父の預金を解約して全額払い戻しを受け、兄の口座に移してしまいました。

このような強引な進め方をする兄には強い不信感を抱いており、今後、きちんと遺産を分配してもらえるのか、不安でなりません。今後公平な形で遺産の分配を受けるために、私はどのようにするべきでしょうか。

回答

1 預金債権は、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象になると考えられています(最大判平成28年12月19日民集70巻8号2121頁)。同判決以前の判例実務は、普通預金は分割債権で相続により当然に相続分に応じて分割されるので、相続人全員が遺産分割の対象とする合意をしない限り、遺産分割の対象とはならないとされており、最高裁判所の判例変更があったとされています。

しかし、本件では相続開始後に預金が解約されており、被相続人名義の預金は既に存在しないことになりますので、当該口座は遺産分割の対象となりません。また、判例によれば、解約された預金の価値代替物(引き出された現金ないしその保管先口座)も遺産分割の対象とはならないと考えられます。

2 もっとも、お兄様が遺産分割協議の際に、価値代替物(引き出した現金ないし自身の管理口座)を遺産分割の対象に含めることに同意するのであれば、それを前提に話合いを進めること自体は構いませんし、むしろそのような取扱いをする方が、一挙的な解決に繋がるでしょう。お兄様が調停でその点に異議を述べることなく話合いが出来れば良いですが、あくまでも、価値代替物は遺産ではないと固持し、一挙的な解決が出来ない場合も想定されます。

そのような場合は、現に残っている遺産について遺産分割調停を行い、預金が払い戻された点に関する金銭的解決は、別途、不法行為に基づく損害賠償請求ないし不当利得返還請求として、当該無断払戻し行為がなければ得られたはずの財産が得られないことの損害または損失を請求すべきことになります。

具体的には、①当該無断払戻し行為がなかったとしたら遺産分割時に残っているはずの財産額を基礎として他の相続人それぞれが得られたはずである現実的取得分額を算出し、それとは別に、②無断払戻しがあったことを前提とする現実的取得分額を算出して、その両者の差額を損害額または損失額とすることになります。なお、準共有の持分割合は、特別受益や寄与分を考慮した具体的相続分の割合であると考えられ、その準共有持分の侵害又は損失を算出するにあたっては、特別受益や寄与分を考慮した具体的相続分を前提とした損害額または損失額を算出すべきことになります。

3 なお、訴訟を先行させることは特段の事情が無い限り控えるべきでしょう。不法行為に基づく損害賠償請求あるいは不当利得返還請求を行う場合は、地方裁判所での訴訟手続きによることになるところ、寄与分は審判事項とされているため(家事事件手続法別表第二の14項)、審判を経ないまま訴訟上でいくら寄与分の主張が相手方からなされたとしても、寄与分はないものとして認定せざるを得ないことになります。その結果、将来的に家庭裁判所で遺産分割調停・審判が行われた場合に確定する現実的取得分が、先行する訴訟で認定された現実的取得分(②無断払戻しがあったことを前提とする現実的取得分)と異なる結論になることが大いに想定されることになります。

そのため、原則としては、遺産分割調停を先行して行い、その中で引き出された預金についても併せて協議の対象とすることについて相手方を説得すべきです。ただし、現に残っている遺産の財産的価値が乏しく、引き出された預金が遺産の大半を占めるような場合で、相手方から特別受益や寄与分の主張が出ないことが予想されるのであれば、先行して訴訟提起を行うことも検討して良いと考えられます。

4 最後に、本件では、お兄様が引き出した金銭を費消ないし隠匿してしまう可能性がある事案ですから、無断払戻し行為がなければ得られたはずの財産が得られないことの損害または損失の請求権を保全するために、仮差押えを検討すべき事案といえます。仮差押えが奏功すれば、お兄様が任意に支払ってくる可能性もありますし、遺産分割調停にも安心して臨むことが出来るでしょう。

5 その他本件に関連する事例集はこちらをご覧ください。

解説

第1 預金債権が遺産分割の対象となる遺産に含まれるか

従来、預金債権は、相続開始と同時に法定相続分に応じて当然に分割されると考えられてきました(最判平成16年4月20日裁判集民事214号13頁)。

しかし、最大判平成28年12月19日民集70巻8号2121頁(以下「平成28年決定」といいます。)が「共同相続された普通預金債権、通常貯金債権および定期貯金債権は、いずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。」と判示したことで、判例変更されるに至りました。

第2 払い戻された預金債権の価値代替物の遺産性

とはいえ、本件では、既に遺産としての預金債権が解約され、払い戻されてしまっており、当該預金債権は存在していません。このような場合でも、引き出された現金ないし新たに預け入れられた預金が遺産分割の対象となるのでしょうか。価値代替物の遺産性が問題となります。

この点、「共同相続人が全員の合意によって遺産分割前に遺産を構成する特定不動産を第三者に売却したときは、その不動産は遺産分割の対象から逸失し、各相続人は第三者に対し持分に応じた代金債権を取得し、これを個々に請求することができるものと解すべき」とした最高裁判例(最判昭和52年9月19日裁判集民事121号247頁)や、「遺産の分割が行われるまで遺産の共有状態が保存存続されることが望ましいとしても、遺産の分割前に共同相続人のうちの1人又は数人による相続財産の侵害の結果として相続財産の共有状態が崩壊し、これを分割することが不能となる場合のあることは、共同相続人のうちの1人又は数人が侵害した相続財産を時効により取得し又は侵害した相続動産を第三者に譲渡した結果第三者がこれを即時取得した場合において最も明らかなように、事実として否定することのできないところである。民法907条は、遺産の共有状態が崩壊したのちにおいてもその共有状態がなお存続するとの前提で遺産の分割をすべき旨を定めていると解すべきではない。」とした最高裁判例(最大判昭和53年12月20日民集32巻9号1674頁)を前提にすると、解約された預金の価値代替物は遺産分割の対象とならないと考えるのが自然です。

平成28年決定の鬼丸裁判官による補足意見にも、「遺産分割とは、被相続人の死亡により共同相続人の遺産共有に属する異なった個々の相続財産について、その共有関係を解消し、各共同相続人の単独所有又は民法第2編第3章第3節の共有関係にすることであるから、遺産分割の対象となる財産は、相続開始時に存在し、かつ、分割時にも存在する未分割の相続財産であると解される。」との記載があり、上記最高裁判例と整合しています。

以上からすれば、本件でお兄様が管理する口座が、遺産分割の対象になると考えるのは、無理があることになります。

もっとも、お兄様が遺産分割協議の際に、引き出した現金ないし自身の管理口座を遺産分割の対象に含めることに同意するのであれば、それを前提に話合いを進めること自体は構いませんし、むしろそのような取扱いをする方が、一挙的な解決に繋がるでしょう。

第3 相続開始後に預金を払い戻した共同相続人の1人に対する請求方法

上記のとおり、本来的には、払戻し後の価値代替物を遺産分割協議の対象として一挙的な解決を図るのが公平と言えますので、価値代替物も含めた遺産分割調停の申立てを行い、お兄様が当該調停でその点に異議を述べることなく話合いが出来れば良いですが、あくまでも、価値代替物は遺産ではないと固持し、一挙的な解決が出来ない場合も想定されます。

そのような場合は、現に残っている遺産について遺産分割調停を行い、預金が払い戻された点に関する金銭的解決は、別途、不法行為に基づく損害賠償請求ないし不当利得返還請求として、当該無断払戻し行為がなければ得られたはずの財産が得られないことの損害または損失を請求すべきことになります。平成28年決定後、被相続人の預貯金は、相続開始後、遺産分割がされるまでの間、共同相続人の遺産準共有状態にあると理解すべきことになり、相続開始後に、共同相続人に無断で払い戻す行為は、自らの準共有持分を超える部分について、他の共同相続人に対する準共有持分侵害の不法行為または法律上の原因のない利得と捉えられることになりました。

この考えに基づき、①当該無断払戻し行為がなかったとしたら遺産分割時に残っているはずの財産額を基礎として他の相続人が得られたはずである現実的取得分額を算出し、それとは別に、②無断払戻しがあったことを前提とする現実的取得分額を算出して、その両者の差額を損害額または損失額とすることになります。

なお、準共有の持分割合は、特別受益や寄与分を考慮した具体的相続分の割合であると考えられ、その準共有持分の侵害又は損失を算出するにあたっては、特別受益や寄与分を考慮した具体的相続分を前提とした損害額または損失額を算出すべきことになります。

第4 先後関係

では、調停・審判を経ることなく、不法行為に基づく損害賠償請求あるいは不当利得返還請求の訴訟を先行して提起した場合はどうなるでしょうか。地方裁判所での訴訟手続きとなるところ、当該訴訟手続内で特別受益や寄与分を考慮することが現実的に可能なのか、という問題が生じます(調停・審判を先行した場合は、それらの問題が一応解決された状態での訴訟提起となる)。この点については、植田智彦判事(執筆時:大阪高等裁判所判事)が判例タイムズに寄稿した『相続開始後の遺産預貯金の払戻しに関する3つの問題の考察』(判例タイムズNo.1441)において理論的な検討が加えられております。

要点としては、無断払戻しがあったことを前提とする特別受益や寄与分を考慮した現実的取得分額は、調停ないし審判で実際に現実的に確定させることができる以上、訴訟手続きに先行して確定させておくのが望ましいという説明がされています。そもそも、寄与分は審判事項とされており(家事事件手続法別表第二の14項)、審判において認定されていないのに、訴訟の中で認定することはできません。すなわち、訴訟上でいくら寄与分の主張が相手方からなされたとしても、寄与分はないものとして認定せざるを得ないことになります。その結果、将来的に家庭裁判所で遺産分割調停・審判が行われた場合に確定する現実的取得分が、先行する訴訟で認定された 現実的取得分(②無断払戻しがあったことを前提とする現実的取得分)と異なる結論になることが大いに想定されることになります。

そのため、原則としては、遺産分割調停・審判を先行して行い、その中で引き出された預金についても併せて協議の対象とすることに相手方が同意する場合は、当該手続内で一挙的な解決を図り、相手方が同意しない場合は、止む無く、当該無断払戻し行為がなければ得られたはずの財産が得られないことの損害または損失を別途訴訟で請求することになるでしょう。

ただし、現に残っている遺産の財産的価値が乏しく、引き出された預金が遺産の大半を占めるような場合で、相手方から特別受益や寄与分の主張が出ないことが予想されるのであれば、先行して訴訟提起を行うことも検討して良いと考えられます。とはいえ、その場合でも、相手方から特別受益、寄与分の主張があった場合は、それについて家庭裁判所に遺産分割の審判を申し立てる必要があるとして、訴訟が中断しあるいは取下げを求められる(印紙代が無駄になる)リスクは承知しておく必要があります。

第5 本件の対応

1 以上を前提に本件の対応を検討しますと、まず、預金は既に解約されていますから、遺産分割の対象とはなりません。とはいえ、一挙的な解決を図るために、訴訟提起を先行させるのではなく、まずは遺産分割調停を申し立て、引き出された現金ないしその保管先口座も分割の対象として話し合いを進めることについてお兄様を説得すべきです。お兄様が納得すれば、通常の遺産分割協議の枠組みで配分を決めることが可能となり、訴訟提起は不要となるでしょう。

他方で、相手方が現に存在する遺産に限った話合いを希望して譲らない場合は、別途訴訟提起を検討しなければなりません。

2 また、これとは別に、お兄様が引き出した現金を費消ないし隠匿してしまう危険性が高いのであれば、無断払戻し行為がなければ得られたはずの財産が得られないことを理由とする損害賠償請求権ないし不当利得返還請求権を被保全債権として、地方裁判所に仮差押えの手続きを予め執っておくことを検討すべきです。

(1) 申立ての準備

まず、仮差押えをする対象財産の特定が必要となります。一般的には、相手方名義の不動産、預金債権、または給与債権等が考えられます。なお、預金の場合は、銀行名と支店名を特定する必要があり、お兄様の保管口座の情報が分かっているのであれば、当該口座の仮差押えを検討すべきでしょう。保管口座の情報が不明な場合は、居住場所の近くの銀行支店複数を対象に預金仮差押えを検討しても良いでしょう。

その上で、仮差押命令の申立てにあたっては、被保全権利の存在と保全の必要性を疎明する必要があり、具体的事情を記載した仮差押命令申立書に疎明資料(証拠)を添付して提出することになります。ここでいう疎明とは、裁判所の心証の程度が証明より低く、一応確からしいという程度をいうとされています。

被保全権利の疎明としては、預金が解約されたことが分かる取引履歴、引き出したのがお兄様であることが分かる証拠(払戻請求時の書類やメールのやり取り等)等が必要となるでしょう。また、保全の必要性との関係では、お兄様が預金の分配を拒否している等の事情を説明することになります。

さらに、仮差押命令の申立てに際しては、必ず債権者の陳述書(事実の経過を報告する文書)を作成して提出することになっており、疎明資料の一つとなります。添付書類等の詳細は、裁判所HPをご確認ください。

(2) 申立後の流れ

裁判所の窓口で申立書を提出する際、裁判官面談の日時を調整することになります(東京地方裁判所では、裁判官との面接が必須となっております)。

裁判官面談を経て、裁判官が仮処分を発令する判断を下した場合、債権者は、債権額の15%から30%程度の担保金を法務局に納める必要があります。仮処分は一方当事者の言い分のみで発令されるところ、債務者である相手方が不測の損害を被る可能性があるため、その損害を担保する必要があるという趣旨です。

裁判所から告げられた担保金を法務局に供託した上で、供託書その他必要書類を裁判所に提出すると、いよいよ仮差押命令が発令されることとなります。預金の仮差押えを例にとれば、決定書が銀行に送達され、実際に口座が存在する場合には、債務者は当該口座から無断で引出しをすることができなくなります。発令手続きの詳細は、裁判所HPをご参照ください。

銀行口座が凍結されることは経済的打撃になる可能性がありますので、ここで観念して任意の支払いを行ってくる可能性があります。

仮差押えが奏功し、ある程度の資産の保全が完了すれば、遺産分割調停をじっくり進めることが可能になり、交渉上も優位になります。

以上

関連事例集

その他の事例集は下記のサイト内検索で調べることができます。

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参考判例

①最判平成16年4月20日裁判集民事214号13頁

相続開始後、遺産分割が実施されるまでの間は、共同相続された不動産は共同相続人全員の共有に属し、各相続人は当該不動産につき共有持分を持つことになる(最高裁昭和28年(オ)第163号同30年5月31日第三小法廷判決・民集9巻6号793頁)。したがって、共同相続された不動産について共有者の1人が単独所有の登記名義を有しているときは、他の共同相続人は、その者に対し、共有持分権に基づく妨害排除請求として、自己の持分についての一部抹消等の登記手続を求めることができるものと解すべきである(最高裁昭和35年(オ)第1197号同38年2月22日第二小法廷判決・民集17巻1号235頁、最高裁昭和48年(オ)第854号同53年12月20日大法廷判決・民集32巻9号1674頁参照)。

また、相続財産中に可分債権があるときは、その債権は、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されて各共同相続人の分割単独債権となり、共有関係に立つものではないと解される(最高裁昭和27年(オ)第1119号同29年4月8日第一小法廷判決・民集8巻4号819頁、前掲大法廷判決参照)。したがって、共同相続人の1人が、相続財産中の可分債権につき、法律上の権限なく自己の債権となった分以外の債権を行使した場合には、当該権利行使は、当該債権を取得した他の共同相続人の財産に対する侵害となるから、その侵害を受けた共同相続人は、その侵害をした共同相続人に対して不法行為に基づく損害賠償又は不当利得の返還を求めることができるものというべきである。

②最大判平成28年12月19日民集70巻8号2121頁
主 文

原決定を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理 由

抗告代理人久保井一匡ほかの抗告理由について

1 本件は、Aの共同相続人である抗告人と相手方との間におけるAの遺産の分割申立て事件である。

2 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。

(1)抗告人は、Aの弟の子であり、Aの養子である。相手方は、Aの妹でありAと養子縁組をしたB(平成14年死亡)の子である。
(2)Aは、平成24年3月▲日に死亡した。Aの法定相続人は、抗告人及び相手方である。
(3)Aは、原々審判別紙遺産目録記載の不動産(価額は合計258万1995円。以下「本件不動産」という。)のほかに、別紙預貯金目録記載の預貯金債権(以下「本件預貯金」と総称する。)を有していた。抗告人と相手方との間で本件預貯金を遺産分割の対象に含める合意はされていない。Bは、Aから約5500万円の贈与を受けており、これは相手方の特別受益に当たる。

3 原審は、上記事実関係等の下において、本件預貯金は、相続開始と同時に当然に相続人が相続分に応じて分割取得し、相続人全員の合意がない限り遺産分割の対象とならないなどとした上で、抗告人が本件不動産を取得すべきものとした。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

(1)相続人が数人ある場合、各共同相続人は、相続開始の時から被相続人の権利義務を承継するが、相続開始とともに共同相続人の共有に属することとなる相続財産については、相続分に応じた共有関係の解消をする手続を経ることとなる(民法896条、898条、899条)。そして、この場合の共有が基本的には同法249条以下に規定する共有と性質を異にするものでないとはいえ(最高裁昭和28年(オ)第163号同30年5月31日第三小法廷判決・民集9巻6号793頁参照)、この共有関係を協議によらずに解消するには、通常の共有物分割訴訟ではなく、遺産全体の価値を総合的に把握し、各共同相続人の事情を考慮して行うべく特別に設けられた裁判手続である遺産分割審判(同法906条、907条2項)によるべきものとされており(最高裁昭和47年(オ)第121号同50年11月7日第二小法廷判決・民集29巻10号1525頁参照)、また、その手続において基準となる相続分は、特別受益等を考慮して定められる具体的相続分である(同法903条から904条の2まで)。このように、遺産分割の仕組みは、被相続人の権利義務の承継に当たり共同相続人間の実質的公平を図ることを旨とするものであることから、一般的には、遺産分割においては被相続人の財産をできる限り幅広く対象とすることが望ましく、また、遺産分割手続を行う実務上の観点からは、現金のように、評価についての不確定要素が少なく、具体的な遺産分割の方法を定めるに当たっての調整に資する財産を遺産分割の対象とすることに対する要請も広く存在することがうかがわれる。

ところで、具体的な遺産分割の方法を定めるに当たっての調整に資する財産であるという点においては、本件で問題とされている預貯金が現金に近いものとして想起される。預貯金契約は、消費寄託の性質を有するものであるが、預貯金契約に基づいて金融機関の処理すべき事務には、預貯金の返還だけでなく、振込入金の受入れ、各種料金の自動支払、定期預金の自動継続処理等、委任事務ないし準委任事務の性質を有するものも多く含まれている(最高裁平成19年(受)第1919号同21年1月22日第一小法廷判決・民集63巻1号228頁参照)。そして、これを前提として、普通預金口座等が賃金や各種年金給付等の受領のために一般的に利用されるほか、公共料金やクレジットカード等の支払のための口座振替が広く利用され、定期預金等についても総合口座取引において当座貸越の担保とされるなど、預貯金は決済手段としての性格を強めてきている。また、一般的な預貯金については、預金保険等によって一定額の元本及びこれに対応する利息の支払が担保されている上(預金保険法第3章第3節等)、その払戻手続は簡易であって、金融機関が預金者に対して預貯金口座の取引経過を開示すべき義務を負うこと(前掲最高裁平成21年1月22日第一小法廷判決参照)などから預貯金債権の存否及びその額が争われる事態は多くなく、預貯金債権を細分化してもこれによりその価値が低下することはないと考えられる。このようなことから、預貯金は、預金者においても、確実かつ簡易に換価することができるという点で現金との差をそれほど意識させない財産であると受け止められているといえる。

共同相続の場合において、一般の可分債権が相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるという理解を前提としながら、遺産分割手続の当事者の同意を得て預貯金債権を遺産分割の対象とするという運用が実務上広く行われてきているが、これも、以上のような事情を背景とするものであると解される。

(2)そこで、以上のような観点を踏まえて、改めて本件預貯金の内容及び性質を子細にみつつ、相続人全員の合意の有無にかかわらずこれを遺産分割の対象とすることができるか否かにつき検討する。

ア まず、別紙預貯金目録記載1から3まで、5及び6の各預貯金債権について検討する。

普通預金契約及び通常貯金契約は、一旦契約を締結して口座を開設すると、以後預金者がいつでも自由に預入れや払戻しをすることができる継続的取引契約であり、口座に入金が行われるたびにその額についての消費寄託契約が成立するが、その結果発生した預貯金債権は、口座の既存の預貯金債権と合算され、1個の預貯金債権として扱われるものである。また、普通預金契約及び通常貯金契約は預貯金残高が零になっても存続し、その後に入金が行われれば入金額相当の預貯金債権が発生する。このように、普通預金債権及び通常貯金債権は、いずれも、1個の債権として同一性を保持しながら、常にその残高が変動し得るものである。そして、この理は、預金者が死亡した場合においても異ならないというべきである。すなわち、預金者が死亡することにより、普通預金債権及び通常貯金債権は共同相続人全員に帰属するに至るところ、その帰属の態様について検討すると、上記各債権は、口座において管理されており、預貯金契約上の地位を準共有する共同相続人が全員で預貯金契約を解約しない限り、同一性を保持しながら常にその残高が変動し得るものとして存在し、各共同相続人に確定額の債権として分割されることはないと解される。そして、相続開始時における各共同相続人の法定相続分相当額を算定することはできるが、預貯金契約が終了していない以上、その額は観念的なものにすぎないというべきである。預貯金債権が相続開始時の残高に基づいて当然に相続分に応じて分割され、その後口座に入金が行われるたびに、各共同相続人に分割されて帰属した既存の残高に、入金額を相続分に応じて分割した額を合算した預貯金債権が成立すると解することは、預貯金契約の当事者に煩雑な計算を強いるものであり、その合理的意思にも反するとすらいえよう。

イ 次に、別紙預貯金目録記載4の定期貯金債権について検討する。

定期貯金の前身である定期郵便貯金につき、郵便貯金法は、一定の預入期間を定め、その期間内には払戻しをしない条件で一定の金額を一時に預入するものと定め(7条1項4号)、原則として預入期間が経過した後でなければ貯金を払い戻すことができず、例外的に預入期間内に貯金を払い戻すことができる場合には一部払戻しの取扱いをしないものと定めている(59条、45条1項、2項)。同法が定期郵便貯金について上記のようにその分割払戻しを制限する趣旨は、定額郵便貯金や銀行等民間金融機関で取り扱われている定期預金と同様に、多数の預金者を対象とした大量の事務処理を迅速かつ画一的に処理する必要上、貯金の管理を容易にして、定期郵便貯金に係る事務の定型化、簡素化を図ることにあるものと解される。

郵政民営化法の施行により、日本郵政公社は解散し、その行っていた銀行業務は株式会社ゆうちょ銀行に承継された。ゆうちょ銀行は、通常貯金、定額貯金等のほかに定期貯金を受入れているところ、その基本的内容が定期郵便貯金と異なるものであることはうかがわれないから、定期貯金についても、定期郵便貯金と同様の趣旨で、契約上その分割払戻しが制限されているものと解される。そして、定期貯金の利率が通常貯金のそれよりも高いことは公知の事実であるところ、上記の制限は、預入期間内には払戻しをしないという条件と共に定期貯金の利率が高いことの前提となっており、単なる特約ではなく定期貯金契約の要素というべきである。しかるに、定期貯金債権が相続により分割されると解すると、それに応じた利子を含めた債権額の計算が必要になる事態を生じかねず、定期貯金に係る事務の定型化、簡素化を図るという趣旨に反する。他方、仮に同債権が相続により分割されると解したとしても、同債権には上記の制限がある以上、共同相続人は共同して全額の払戻しを求めざるを得ず、単独でこれを行使する余地はないのであるから、そのように解する意義は乏しい。

ウ 前記(1)に示された預貯金一般の性格等を踏まえつつ以上のような各種預貯金債権の内容及び性質をみると、共同相続された普通預金債権、通常貯金債権及び定期貯金債権は、いずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。

(3)以上説示するところに従い、最高裁平成15年(受)第670号同16年4月20日第三小法廷判決・裁判集民事214号13頁その他上記見解と異なる当裁判所の判例は、いずれも変更すべきである。

5 以上によれば、本件預貯金が遺産分割の対象とならないとした原審の判断には、裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は、この趣旨をいうものとして理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官岡部喜代子の補足意見、裁判官大谷剛彦、同小貫芳信、同山崎敏充、同小池裕、同木澤克之の補足意見、裁判官鬼丸かおる、同木内道祥の各補足意見、裁判官大橋正春の意見がある。

裁判官岡部喜代子の補足意見は、次のとおりである。

共同相続が発生したとき、相続財産は民法898条、899条により相続分に応じた共有となる。その財産が金銭の給付を目的とする債権であっても同様である。当該債権については民法264条の規律するところになるのであるが、同条の特則としての民法427条により相続人ごとに分割されて相続人の数だけ債権が存在することとなると考えられているところである。しかし、共同相続においては上記のとおりまず準共有状態が発生するのであるから、分割を阻害する要因があれば、分割されずに準共有状態のまま存続すると解することが可能である。普通預金契約(通常貯金契約を含む。以下同じ。)の本体は消費寄託契約ではあるが、そればかりではなく、付随して口座振替等の準委任契約が締結されることも多いのであって、普通預金が決済手段としての性格を強めていることは多数意見の指摘するとおりである。そうすると、普通預金債権を共同相続した場合には、共同相続人は同時に準委任契約上の権利義務もまた相続により承継することになる。例えば口座振替契約の解約を行う場合は、それは性質上不可分な形成権の行使であり、かつ、処分行為であるから民法251条により相続人全員で行わなければならない。ところが預貯金債権が当然に分割され各人の権利行使が認められることになると、共同相続人の一人が自己の持分に相当する預貯金を全額払い戻して預貯金債権を行使する必要がなくなる結果、預貯金契約自体あるいは口座振替契約等についての処理に支障が生ずる可能性がある。また、各別の預貯金債権の行使によって、1個の預貯金契約ないし一つの口座中に、共同相続人ごとに残高の異なる複数の預貯金債権が存在するという事態が生じざるを得ない。このような事態は、振込等があって残高が変動しつつも同一性を保持しながら1個の債権として存続するという普通預金債権の性質に反する状況ともいい得るところであり、また普通預金契約を締結する当事者の意思としても認めないところであろう。共同相続の場合には、普通預金債権について相続人各別の行使は許されず、準共有状態が存続するものと解することが可能となる。以上のとおりであるから、多数意見の結論は、預貯金債権について共同相続が発生した場合に限って認められるものであろう。

ところで、私は、民法903条及び904条の2の文理並びに共同相続人間の実質的公平を実現するという趣旨に鑑みて、可分債権は共同相続により当然に分割されるものの、上記各条に定める「被相続人が相続開始の時において有した財産」には含まれると解すべきであり、分割された可分債権の額をも含めた遺産総額を基に具体的相続分を算定し、当然分割による取得額を差し引いて各相続人の最終の取得額を算出すべきであると考えている。従前は預貯金債権も当然に分割される可分債権に含まれると考えてきた。しかし、最高裁判所が権利の性質を詳細に検討して少しずつ遺産分割の対象財産に含まれる権利を広げてきたという経緯、預貯金債権も遺産分割の対象とすることが望ましいとの結論の妥当性、そして上記のとおり理論的にも可能であるという諸点から多数意見に賛同したいと思う。ただ、当然に分割されると考えられる可分債権はなお各種存在し、預貯金債権が姿を変える場合もあり得るところ、それらについては上記のとおり具体的相続分の算定の基礎に加えるなどするのが相当であると考える。

裁判官大谷剛彦、同小貫芳信、同山崎敏充、同小池裕、同木澤克之の補足意見は、次のとおりである。

従来、預貯金債権は相続開始と同時に当然に各共同相続人に分割され、各共同相続人は、当該債権のうち自己に帰属した分を単独で行使することができるものと解されていたが、多数意見によって遺産分割の対象となるものとされた預貯金債権は、遺産分割までの間、共同相続人全員が共同して行使しなければならないこととなる。そうすると、例えば、共同相続人において被相続人が負っていた債務の弁済をする必要がある、あるいは、被相続人から扶養を受けていた共同相続人の当面の生活費を支出する必要があるなどの事情により被相続人が有していた預貯金を遺産分割前に払い戻す必要があるにもかかわらず、共同相続人全員の同意を得ることができない場合に不都合が生ずるのではないかが問題となり得る。このような場合、現行法の下では、遺産の分割の審判事件を本案とする保全処分として、例えば、特定の共同相続人の急迫の危険を防止するために、相続財産中の特定の預貯金債権を当該共同相続人に仮に取得させる仮処分(仮分割の仮処分。家事事件手続法200条2項)等を活用することが考えられ、これにより、共同相続人間の実質的公平を確保しつつ、個別的な権利行使の必要性に対応することができるであろう。

もとより、預貯金を払い戻す必要がある場合としてはいくつかの類型があり得るから、それぞれの類型に応じて保全の必要性等保全処分が認められるための要件やその疎明の在り方を検討する必要があり、今後、家庭裁判所の実務において、その適切な運用に向けた検討が行われることが望まれる。

裁判官鬼丸かおるの補足意見は、次のとおりである。

私は、多数意見に賛同するものであるが、普通預金債権及び通常貯金債権の遺産分割における取扱いに関して、以下のとおり私見を付したい。

1 遺産分割とは、被相続人の死亡により共同相続人の遺産共有に属することとなった個々の相続財産について、その共有関係を解消し、各共同相続人の単独所有又は民法第2編第3章第3節の共有関係にすることであるから、遺産分割の対象となる財産は、相続開始時に存在し、かつ、分割時にも存在する未分割の相続財産であると解される。そして、多数意見が述べるとおり、普通預金債権及び通常貯金債権は相続開始と同時に当然に分割される債権ではないから、相続人が数人ある場合、共同相続人は、被相続人の上記各債権を相続開始時の残高につき準共有し、これは遺産分割の対象となる。一方、相続開始後に被相続人名義の預貯金口座に入金が行われ、その残高が増加した分については、相続を直接の原因として共同相続人が権利を取得するとはいえず、これが遺産分割の対象となるか否かは必ずしも明らかでなかった。

しかし、多数意見が述べるとおり、上記各債権は、口座において管理されており、預貯金契約上の地位を準共有する共同相続人が全員で預貯金契約を解約しない限り、同一性を保持しながら常にその残高が変動し得るものとして存在するのであるから、相続開始後に被相続人名義の預貯金口座に入金が行われた場合、上記契約の性質上、共同相続人は、入金額が合算された1個の預貯金債権を準共有することになるものと解される。

そうすると、被相続人名義の預貯金債権について、相続開始時の残高相当額部分は遺産分割の対象となるがその余の部分は遺産分割の対象とならないと解することはできず、その全体が遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。多数意見はこの点について明示しないものの、多数意見が述べる普通預金債権及び通常貯金債権の法的性質からすると、以上のように解するのが相当であると考える。

2 以上のように解すると、〔1〕相続開始後に相続財産から生じた果実、〔2〕相続開始時に相続財産に属していた個々の財産が相続開始後に処分等により相続財産から逸出し、その対価等として共同相続人が取得したいわゆる代償財産(例えば、建物の焼失による保険金、土地の売買代金等)、〔3〕相続開始と同時に当然に分割された可分債権の弁済金等が被相続人名義の預貯金口座に入金された場合も、これらの入金額が合算された預貯金債権が遺産分割の対象となる(このことは、果実、代償財産、可分債権がいずれも遺産分割の対象とならないと解されることと矛盾するものではない。)。この場合、相続開始後に残高が増加した分については相続開始時に預貯金債権として存在したものではないところ、具体的相続分は相続開始時の相続財産の価額を基準として算定されるものであることから(民法903条、904条の2)、具体的相続分の算定の基礎となる相続財産の価額をどう捉えるかが問題となろう。この点については、相続開始時の預貯金債権の残高を具体的相続分の算定の基礎とすることが考えられる一方、上記〔2〕、〔3〕の場合、当該入金額に相当する財産は相続開始時にも別の形で存在していたものであり、相続財産である不動産の価額が相続開始後に上昇した場合等とは異なるから、当該入金額に相当する相続開始時に存在した財産の価額を具体的相続分の算定の基礎に加えることなども考え得るであろう。もっとも、具体的相続分は遺産分割手続における分配の前提となるべき計算上の価額又はその価額の遺産の総額に対する割合を意味するのであるから(最高裁平成11年(受)第110号同12年2月24日第一小法廷判決・民集54巻2号523頁参照)、早期にこれを確定することが手続上望ましいところ、後者の考え方を採る場合、相続開始後の預貯金残高の変動に応じて具体的相続分も変動し得ることとなり、事案によっては具体的相続分の確定が遅れかねないなどの遺産分割手続上の問題が残される。従来から家庭裁判所の実務において、上記〔1〕~〔3〕の財産も、共同相続人全員の合意があれば具体的相続分の算定の基礎ないし遺産分割の対象としてきたとみられるところであり、この問題については、共同相続人間の実質的公平を図るという見地から、従来の実務の取扱いとの均衡等も考慮に入れて、今後検討が行われることが望まれよう。

裁判官木内道祥の補足意見は、次のとおりである。

私は多数意見に賛同するものであるが、以下のとおり、私見を付加しておきたい。

多数意見は、遺産分割の仕組みが共同相続人間の実質的公平を図ることを旨として相続により生じた相続財産の共有状態の解消を図るものであり、被相続人の財産をできる限り幅広く対象とすることが望ましいことを前提に、預貯金が現金に極めて近く、遺産分割における調整に資する財産であることなどを踏まえて、本件で問題となっている各預貯金債権の内容及び性質に照らし、上記各債権が共同相続人全員の合意の有無にかかわらず遺産分割の対象となるとしたものであると理解することができる。

私は、以上の点に加えて、預貯金債権は、その額面額をもって価額と評価することができることからしても、共同相続人全員の合意の有無にかかわらず遺産分割の対象となると考えるものである。

遺産分割の審判においては、各相続人の具体的相続分の算定と取得財産の決定という二つの場面で、個別の相続財産の価額を評価することが求められる。前者については、被相続人が相続開始時において有した財産、遺贈や生前贈与として持ち戻される財産の価額に基づいて、寄与分を考慮した上で、各相続人の具体的相続分の価額及び割合が算定される(民法903条、904条の2)。後者については、遺産分割時に存在する財産をその時点の価額で評価した上で、各相続人の具体的相続分の割合に応じて、各相続人が取得する財産が定められる。

しかるに、債権については、その有無、額面額及び実価(評価額)について共同相続人全員の合意がある場合を除き、一般的に評価が困難というべきである。そのため、債権を広く一般的に遺産分割の対象としようとすると、各相続人の具体的相続分の算定や取得財産の決定が困難となり、遺産分割手続の進行が妨げられ、その他の相続財産についても遺産分割の審判をすることができないという事態を生ずるおそれがある。共有状態にある相続財産については各相続人の権利行使が制約されることを考慮すると、このような状態はなるべく早く解消されるべきである。

遺産分割の審判においては、共同相続人間の実質的公平を図るために特別受益の持戻しや寄与分の考慮を経て具体的相続分を算定して遺産分割が実現されるところ、債権を広く一般的に遺産分割の対象としようとして具体的相続分の算定が困難となり、その他の相続財産についても遺産分割の審判をすることができず、相続財産に対する各相続人の権利行使が制約される状態が続くことは、遺産分割審判制度の趣旨に反する。したがって、額面額をもって実価(評価額)とみることができない可分債権については、上記合意がない限り、遺産分割の対象とはならず、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるものと解するのが相当である。なお、民法903条、904条の2は、同法第5編第3章第3節「遺産の分割」の前に位置するが、遺産分割の基準である具体的相続分を算定するためのものであるから、遺産分割の対象とならない上記可分債権は、これらの規定にいう「相続開始の時において有した財産」には含まれないと解される。

これに対して、預貯金債権の場合、支払の確実性、現金化の簡易性等に照らし、その額面額をもって実価(評価額)とみることができるのであるから、上記可分債権とは異なり、これを遺産分割の対象とすることが遺産分割の審判を困難ならしめるものではない。

したがって、預貯金債権は、共同相続人全員の合意の有無にかかわらず、遺産分割の対象となると解するのが相当である。

裁判官大橋正春の意見は、次のとおりである。

私は、原決定を破棄し、本件を原審に差し戻すとの多数意見の結論には賛成するものであるが、その理由については考えを異にするので、意見を述べたい。

1 多数意見は、原決定による遺産分割の結果が著しく抗告人に不利益なものであり、その原因は預貯金債権が遺産分割の対象とならなかったことにあると考え、これを解決する方策として、判例を変更して、普通預金債権及び通常貯金債権は最高裁昭和27年(オ)第1119号同29年4月8日第一小法廷判決・民集8巻4号819頁にいう「可分債権」に当たらないとするものであると理解することができる。

しかし、多数意見の立場は、問題の設定を誤ったものであり、問題の根本的解決に結び付くものでないだけでなく新たな問題を生じさせるものといわなければならない。預貯金債権を準共有債権と解したとしても、他の種類の債権について本件と同様に不公平な結果が生ずる可能性は依然として残されている。例えば、本件と、被相続人が判決で確定した国に対する国家賠償法上の損害賠償請求権を有していた事案とで結論が異なるのが相当なのかという疑問が生ずる。

2 問題は、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割される可分債権を遺産分割において一切考慮しないという現在の実務(以下「分割対象除外説」という。)にあるといえる。これに対して、私は、可分債権を含めた相続開始時の全遺産を基礎として各自の具体的相続分を算定し、これから当然に分割されて各自が取得した可分債権の額を控除した額に応じてその余の遺産を分割し、過不足は代償金で調整するという見解(以下「分割時考慮説」という。)を採用すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。

遺産の分割は、遺産全体の価値を総合的に把握し、これを共同相続人の具体的相続分に応じ民法906条所定の基準に従って分割することを目的とするものであり(最高裁昭和47年(オ)第121号同50年11月7日第二小法廷判決・民集29巻10号1525頁参照)、ここにいう「遺産全体」が相続開始時において被相続人の財産に属した一切の権利義務(同法896条)を指すことには疑問がない。したがって、遺産分割とは、相続開始時において被相続人の財産に属した一切の権利義務を具体的相続分に応じて共同相続人に分配することであるといえる。これに対して、分割対象除外説は、遺産を構成する個々の相続財産の共有関係(同法898条)を解消する手続が遺産分割であると捉え、かつ、可分債権について共有関係が生じないと解して、可分債権は遺産分割の対象とならないものとする。しかし、個々の相続財産の共有関係を解消する手続は、遺産全体を具体的相続分に応じて共同相続人に分配するという遺産分割を実現するための手続にすぎないのであるから、この意味における遺産分割の適切な実現を阻害する分割対象除外説を採用することはできず、分割時考慮説が正当なものと考えられる。

分割対象除外説によれば、遺産分割時に預貯金が残存している場合には、具体的相続分に応じた分配をすることができるのに対し、共同相続人の1人が被相続人の生前に無断で預貯金を払い戻した場合には、被相続人が取得した損害賠償請求権又は不当利得返還請求権について具体的相続分に応じた分配をすることができない。これに対して、分割時考慮説によれば、後者の場合においても具体的相続分に応じた分配をすることができ、結果の衡平性という点においてより優れている。また、遺言をしない被相続人の中には法律の規定に従って遺産分割が行われることを期待した者がいると考えられるところ、法律の専門家でない一般の被相続人としては、遺産を構成する債権が可分債権であるか否かによって結果は異ならないと期待していたと考えるのが自然である。したがって、分割対象除外説は被相続人の期待に反する結果を生じさせるものということができる。

分割時考慮説を採用することにより、家事審判事件が増加し、家庭裁判所の負担が増加することが考えられる。しかし、家庭裁判所の実務では当事者の合意を前提に可分債権を遺産分割の対象とすることがかなりの範囲で行われていること、分割時考慮説と分割対象除外説とで極端な結論の違いが生ずるのはまれで、多くの場合には具体的相続分と法定相続分の乖離は小さいと推測されることなどからすると、家庭裁判所における適正な事務処理を阻害するような著しい負担の増加はないであろうと考える。

よって、分割対象除外説に基づく原決定を破棄し、分割時考慮説に基づき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当であると考えるものである。

3 最後に、普通預金債権及び通常貯金債権を準共有債権とすると、問題の根本的解決にならないばかりか新たな不公平を生み出すほか、被相続人の生前に扶養を受けていた相続人が預貯金を払い戻すことができず生活に困窮する、被相続人の入院費用や相続税の支払に窮するといった事態が生ずるおそれがあること、判例を変更すべき明らかな事情の変更がないことなどから、普通預金債権及び通常貯金債権を可分債権とする判例を変更してこれを準共有債権とすることには賛成できないことを指摘しておきたい。

(裁判長裁判官 寺田逸郎 裁判官 櫻井龍子 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春 裁判官 小貫芳信 裁判官 鬼丸かおる 裁判官 木内道祥 裁判官 山本庸幸 裁判官 山崎敏充 裁判官 池上政幸 裁判官 大谷直人 裁判官 小池裕 裁判官 木澤克之 裁判官 菅野博之)

③最判昭和52年9月19日裁判集民事121号247頁

共同相続人が全員の合意によつて遺産分割前に遺産を構成する特定不動産を第三者に売却したときは、その不動産は遺産分割の対象から逸出し、各相続人は第三者に対し持分に応じた代金債権を取得し、これを個々に請求することができるものと解すべきところ、原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人、被上告人らの被相続人訴外阿部豊の遺産に属する本件土地につき、上告人は、共同相続人全員の合意に基づき、自己の持分については本人として、その他の共同相続人の持分については委任による代理人として、これを訴外財団法人岡山県開発公社に売却し、遺産分割前に同訴外公社から売却代金を受領したというのであるから、被上告人は右売却により持分に応じた代金債権を取得し、委任に基づき同代金を受領した上告人に対し民法六四六条一項前段に従いその引渡を請求しうるものとした原審の見解は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 本林譲 栗本一夫)

④最大判昭和53年12月20日民集32巻9号1674頁

なるほど、民法九〇七条は、共同相続人は被相続人又は家庭裁判所が分割を禁じた場合を除くほか何時でもその協議で遺産の分割をすることができ、協議が調わないとき又は協議をすることができないときはその分割を家庭裁判所に請求することができる旨を定めている。しかしながら、(一)右は、共同相続人の意思により民法の規定に従い各共同相続人の単独所有形態を形成確定することを原則として何時でも実施しうる旨を定めたものであるにとどまり、相続開始と同時に、かつ、遺産分割が実施されるまでの間は、可分債権(それは、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されて各共同相続人の分割単独債権となり、共有関係には立たないものと解される。したがつて、この場合には、共同相続人のうちの一人又は数人が自己の債権となつた分以外の債権を行使することが侵害行為となることは、明白である。)を除くその他の各相続財産につき、各共同相続人がそれぞれその相続分に応じた持分を有することとなると同時に、その持分をこえる部分については権利を有しないものであり、共同相続人のうちの一人又は数人による持分をこえる部分の排他的占有管理がその侵害を構成するものであることを否定するものではないというべきである。(もつとも、遺産の分割前における共同相続人の各相続財産に対する権利関係が上述のように共有であるとする以上、共同相続人のうちの一人若しくは数人が相続財産の保存とみられる行為をし、又は他の共同相続人の明示若しくは黙示の委託に基づき、あるいは事務管理として、自己の持分をこえて相続財産を占有管理することが、ここにいう侵害にあたらないことはいうまでもない。)また、(二)遺産の分割が行われるまで遺産の共有状態が保持存続されることが望ましいとしても、遺産の分割前に共同相続人のうちの一人又は数人による相続財産の侵害の結果として相続財産の共有状態が崩壊し、これを分割することが不能となる場合のあることは、共同相続人のうちの一人又は数人が侵害した相続財産を時効により取得し又は侵害した相続動産を第三者に譲渡した結果第三者がこれを即時取得した場合において最も明らかなように、事実として否定することのできないところである。民法九〇七条は、遺産の共有状態が崩壊したのちにおいてもその共有状態がなお存続するとの前提で遺産の分割をすべき旨をも定めていると解すべきではない。

2 次に、共同相続人がその相続持分をこえる部分を占有管理している場合に、その者が常にいわゆる表見相続人にあたるものであるかどうかについて、検討する。

思うに、自ら相続人でないことを知りながら相続人であると称し、又はその者に相続権があると信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにもかかわらず自ら相続人であると称し、相続財産を占有管理することによりこれを侵害している者は、本来、相続回復請求制度が対象として考えている者にはあたらないものと解するのが、相続の回復を目的とする制度の本旨に照らし、相当というべきである。そもそも、相続財産に関して争いがある場合であつても、相続に何ら関係のない者が相続にかかわりなく相続財産に属する財産を占有管理してこれを侵害する場合にあつては、当該財産がたまたま相続財産に属するというにとどまり、その本質は一般の財産の侵害の場合と異なるところはなく、相続財産回復という特別の制度を認めるべき理由は全く存在せず、法律上、一般の侵害財産の回復として取り扱われるべきものであつて、このような侵害者は表見相続人というにあたらないものといわなければならない。このように考えると、当該財産について、自己に相続権がないことを知りながら、又はその者に相続権があると信ぜられるべき合理的事由があるわけではないにもかかわらず、自ら相続人と称してこれを侵害している者は、自己の侵害行為を正当行為であるかのように糊塗するための口実として名を相続にかりているもの又はこれと同視されるべきものであるにすぎず、実質において一般の物権侵害者ないし不法行為者であつて、いわば相続回復請求制度の埓外にある者にほかならず、その当然の帰結として相続回復請求権の消滅時効の援用を認められるべき者にはあたらないというべきである。