新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1527、2014/07/01 12:00 https://www.shinginza.com/qa-hanzai.htm

【刑事・被害者の住所、連絡先が判明しない場合の弁護人の対応・刑訴299条証人・証拠書類に対する知悉権 最高裁判所昭和44年4月25日決定】

刑事事件被害者の住所開示請求について

質問:

私は、飲み屋で知り合った女性に対する強姦事件で起訴されてしまいました。女性に慰謝料を支払って示談すべく、弁護人を通じて示談の交渉をしようとしましたが、被害者の女性は示談を拒否しているということで住所を明らかにすることも拒否しています。起訴後に弁護士さんに刑事記録の閲覧をして頂きましたが、被害者の住所は黒塗りされており、起訴後も示談交渉のための連絡ができない状態です。示談の連絡をしたいだけなのですが、何とか被害者の住所を知ることはできないのでしょうか。



回答:

1、起訴事実を認め、被害者の供述調書についても同意する場合、被害者の住所が裁判上明らかにならないで有罪判決することは、刑事訴訟法上違法ではありません。

2、そのような場合に、示談のために被害者の住所を知る手段として刑訴299条の知悉権があります。弁護人が検察官に対して、被告人やその関係者、その他第三者に対して被害者の住所を秘匿し、弁護人以外から被害者やその家族に連絡等がないことを約束して弁護人は住所の開示を検察官に請求することができます。この権利を知悉権といいます。299条は、「証人の尋問を請求するについては」と規定していますが、本条の制度趣旨から、この文言は、広く解釈され「検察側が、証人を請求する可能性がある場合は」も含まれることになります。すなわち、弁護側は、住所の記載がない証人の調書については、不同意の可能性があり、検察官側に承認申請の可能性が生じますから、弁護側としてはいつでも開示を請求することができます。制度趣旨とは、当事者主義から認められる検察官、弁護人に対し公平に攻撃防御方法を認め、適正な証拠書類の評価、判断、証人尋問を行い真実に合致した公正な裁判を実現するためです。

 検察官がそれでも住所を開示しない場合は(実務上は無条件に開示に応じてくれます。)、裁判所に対し裁判所の訴訟指揮として被害者の住所を開示するよう求める方法があります。

3、知悉権関連事例集1091番894番886番参照。

解説:

1、 被告人が起訴事実を認める場合は、被害者を証人として裁判所で証拠調べをすることは無く、警察や検察官が作成した被害者の供述録取書について被告人側が同意し(刑事訴訟法326条)証拠として採用されることになります。  

 供述録取には、初めの部分に供述書の住所氏名が記載されています。しかし、強姦等の性的犯罪の場合、被害者のプライバシーの保護という点から、検察官が被害者の住所や被害者を特定できる供述を黒塗りした調書を証拠として請求する場合が多く見受けられます(最初から記載がない場合もあります)。

 刑事裁判は起訴状一本主義といって、起訴の時点では起訴状だけが裁判所に提出され、証拠が裁判所に示されるのは証拠調べの手続きに入ってからです。他方で、迅速な裁判の要請もあり、検察官は証拠として請求する予定の証拠についてはできるだけ早い時期に被告人側に開示することになっています。そこで、弁護人は裁判が始まる前に、証拠をみることができるのですが、そこで見ることができるのは検察官が取り調べを請求する証拠ですので、被害者の住所が黒塗りされた被害者の調書(そもそも住所を記載していない場合もありますがこのような供述証拠も違法ではありませんから証拠能力が認められます)で、調書を見ただけでは被害者の住所を知ることはできません。

2、 以上が、現行刑事訴訟法の下で、弁護人が被害者と示談交渉をする際の弊害となっている問題状況です。本来強姦罪は親告罪ですから、弁護人の活動としては、被害者に謝罪し示談して告訴取消書をもらうことが第一になります。しかし、起訴前の捜査の段階では被害者の被害意識も強いこともあり、絶対に処罰して欲しいという気持ちから示談や告訴取消に応じる考えはないということから、被害者としては弁護人に会うことを拒否し検察官に住所の開示を拒否することがしばしばあります。このような場合、弁護人は検察官に謝罪の意思や示談の内容等に関し検察官を通じて被害者と示談交渉をするしかありません。しかし、直接会えないことや、検察官はあくまで捜査機関であることから、検察官通じての示談が成立する可能性は少ないと思います。

3、 捜査段階で示談や告訴の取消ができない場合は、やむを得ず起訴後に示談交渉をすることになります。起訴後は告訴の取消はできませんから、この場合は情状を有利にするための示談交渉となります。すでに起訴されていることや犯行後の時間の経過もあり、起訴後の示談成立の可能性は捜査段階よりも高いと言えます。そこで、弁護人としては被害者の連絡先を確認するためもあり、被害者の供述調書を閲覧するのですが、調書の住所が黒塗りされているため(そもそも記載がない場合も)、被害者の連絡先を知るためには別の方法が必要となります。

4、 この点については、刑事訴訟法に明文の規定はありません。検察官  に住所の開示を請求しても、検察官は、被害者本人が示談の意思はなく、住所も明らかにしたくないと言っている、などと住所の開示を拒否するのが通常の取り扱いです。このようは検察官の対応は違法とは言えません。しかし、だからと言ってあきらめていては、示談はできませんし、示談できないと実刑の可能性もあります。
そこで何としても被告人にとっては、被害者の住所を開示してもらい被害者と面談して示談をしてもらう必要があります。

5、 住所を検察官に開示させる具体的な方法

@ まず、刑訴法299条1項で検察官が尋問を予定している証人につ いては、事前に住所氏名について被告人に知る機会を与えなければならないとされ、違反する場合は証人として採用できないという規定を根拠に開示を請求することが考えられます。しかし、この規定は検察官が証人尋問を裁判所に請求する証人についての規定です。被害者も訴訟手続きでは証人ですが、起訴事実に争いがなく被害者の供述調書に同意すると、調書が証拠となりますから被害者を証人として尋問する必要はなくなります。

 では、被害者の供述調書を不同意にすることはどうでしょうか。不同意であれば検察官は被害者を証人として申請するしかなくなり(自白だけでは有罪にできないので、憲法38条3項)住所も開示する義務が生じます。しかし、被害者の住所を知るために不同意として証人尋問をすることは正当な弁護活動と言えるか疑問が残ります。不同意とするには事実関係に争い、疑問があり、証拠として供述調書に誤り、疑問点がある場合が原則だからです。また、不要な証人尋問を行うことは迅速な裁判という要請にも反する可能性があります。更に被害者を証人尋問することは、被害者に不要な負担をかけることになり、被告人の量刑上も不利になる危険があります。

A このように刑訴法299条をそのまま適用して被害者の住所開示の根拠とすることは疑問が残るようにも思います。

 しかし、結論をいうとこの条文を根拠に弁護人側の権利として検察官に住所の開示を求めることができます。現在の実務上では、無条件に(被害者の供述調書に同意するかどうかに無関係に)検察官は開示に応じてくれるようです。

 すなわち刑訴法299条は、被告人の事前の知悉権(ちしつけん)を認めた条文とされています。その趣旨は第一に刑事裁判における不当な不意打ちを禁止し、真実発見のため検察官被告人の当事者間における駆け引き等を防止するフェアプレイの精神、第二に検察官被告人の実質的な対等関係を確保し、真の当事者主義を実現すること、第三に証人について事前の知識を得ることにより反対尋問が有効に行われるようにすること、にあるとされています。このように、知悉権は刑事訴訟の基本構造である当事者主義から導かれるもので、299条の定める証人尋問の採用に関する場面に限定されるものではありません。当事者主義とは真実の発見のためには当事者(刑事訴訟の場合は検察官と被告人、弁護人)双方が自己に有利な主張立証をし、攻防を繰り返す過程から真実が浮かび上がるという訴訟構造です。当事者主義訴訟においては当事者双方の力が同じでなくてはなりません。双方が対等な力を持っていなくては、当事者の一方の主張だけが浮き彫りになってしまい、そこで浮かび上がる真実は強い力を持った当事者の主張ということなってしまいます。刑事訴訟における一方当事者の検察官は国家権力ですから、被告人は弱い力しかありません。そこで、被告人に対等な力を与えるためには検察官の持っている証拠や情報についても被告人がアクセスできる手段が必要にあります。それこそが、知悉権であり、被告人の重要な権利です。

 他方で、示談を望まない被害者の権利も十分尊重する必要があります。現行刑事訴訟法のもとにおいては、従来より被害者の保護の見地から様々な規定が定められています。犯罪の被害者ですから、犯罪を思い出したくないという気持ちは十分尊重する必要がありますし、刑事手続きにおいて被害者がさらに被害を被るということはあってはならないことです。

 このような被害者の権利、意思を尊重しつつ被告人の知悉権を行使するためには、弁護人限りで、被告人を含めて第三者には口外しないという条件で検察官と交渉し、被害者の住所を開示するよう書面で請求することになります。弁護人としてはその旨の誓約書や上申書を提出することも検討すべきです。検察官と弁護人は対等であり検察官相手に誓約書や上申書など提出すべきではないという見解もありうるでしょうが形式にこだわるより、被害者の住所を早く知ることが弁護人としては必要です。被害者側の意思を尊重しなかったら弁護側にとって最も重要な示談交渉の成立は期待できません。実務上、検察官側から開示を求めると被害者側の不安が募り示談交渉が難航する旨の指摘がなされることがあります。この場合、被害者側の真意を見定め対策をとる必要があります。具体的には、開示を求めなければ、示談交渉に応じてくれる保証があるかどうかという点です。検察官と面会して示談の道筋を模索して被害者側に何らかの方法により交渉過程を記載した書面を交付することで安易な知悉権放棄を防ぐ必要があります。

B 実務上は、検察官との上記のような交渉で被害者の住所は明らかになると考えられます。検察官としては開示する前に被害者にその旨連絡し、たとえ被害者が拒否しても、訴訟手続上やむを得ない弁護人側の権利として説明し、又弁護人以外に明らかにしないということで了解を取る努力をするものと考えられます。

 しかし、それでも住所開示されない場合は、裁判所の訴訟指揮を促して、裁判所から検察官に対して開示を命じてもらうようすることができます。裁判例として議論されているのは、検察官が証拠請求しない手持ちの証拠を弁護人からの請求で訴訟指揮に基づいて開示請求できるかという議論ですから住所開示と少し場面が異なりますが、適正公平な刑事裁判を実現するために参考になる考え方です。最高裁は「裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。」(最高裁判所昭和44年4月25日決定)と判断しています。これも刑事訴訟の基本構造である当事者主義から被告人の知悉権を認め、それを根拠に検察官が請求しない証拠について開示を認めているものと考えられます。

 本件の場合、検察官が証拠請求する供述調書ですから、被告人側が黒塗りされている住所部分(又もともと記載されていない場合もあります。)を明らかにするよう検察官に求めることは、当事者としては当然のことと言えます。証人の住所も不明であれば、同意・不同意の前提として供述調書の信用性を検証することができないからです。弁護側としては、実際証人に面会を求めて供述内容を事前に確認する機会が必要不可欠です。(事実上、証人が面会に応じてくれるかどうかとは無関係です。)299条の文言は、供述調書不同意等による検察官の証人申請を前提にしていますが、これは知悉権の一例を示すものであり、その制度趣旨から本条を解釈し、提出された証人の供述調書自体の同意・不同意を判断する前提として、当然に弁護人の供述した証人の住所を知る権利が導かれます。これは弁護側が提出する証人の供述調書についても同じことが言えます。その調書に住所がなければ検察官は当然弁護側に開示を求めることができるのです。但し、その場合でも、被害者のプライバシーの権利は尊重する必要があります。弁護人としては被告人を含む第三者に口外しないことや被害者の感情を害さないよう十分な注意をする必要があることを約束した上で、検察官が開示を拒否するようであれば裁判所に訴訟指揮を求める必要があります。


<条文参照>

刑事訴訟法
第二百九十九条  検察官、被告人又は弁護人が証人、鑑定人、通訳人又は翻訳人の尋問を請求するについては、あらかじめ、相手方に対し、その氏名及び住居を知る機会を与えなければならない。証拠書類又は証拠物の取調を請求するについては、あらかじめ、相手方にこれを閲覧する機会を与えなければならない。但し、相手方に異議のないときは、この限りでない。
2項 裁判所が職権で証拠調の決定をするについては、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴かなければならない。

第二百九十九条の二  検察官又は弁護人は、前条第一項の規定により証人、鑑定人、通訳人若しくは翻訳人の氏名及び住居を知る機会を与え又は証拠書類若しくは証拠物を閲覧する機会を与えるに当たり、証人、鑑定人、通訳人若しくは翻訳人若しくは証拠書類若しくは証拠物にその氏名が記載されている者若しくはこれらの親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれがあると認めるときは、相手方に対し、その旨を告げ、これらの者の住居、勤務先その他その通常所在する場所が特定される事項が、犯罪の証明若しくは犯罪の捜査又は被告人の防御に関し必要がある場合を除き、関係者(被告人を含む。)に知られないようにすることその他これらの者の安全が脅かされることがないように配慮することを求めることができる。

第二百九十九条の三  検察官は、第二百九十九条第一項の規定により証人の氏名及び住居を知る機会を与え又は証拠書類若しくは証拠物を閲覧する機会を与えるに当たり、被害者特定事項が明らかにされることにより、被害者等の名誉若しくは社会生活の平穏が著しく害されるおそれがあると認めるとき、又は被害者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え若しくはこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれがあると認めるときは、弁護人に対し、その旨を告げ、被害者特定事項が、被告人の防御に関し必要がある場合を除き、被告人その他の者に知られないようにすることを求めることができる。ただし、被告人に知られないようにすることを求めることについては、被害者特定事項のうち起訴状に記載された事項以外のものに限る。

刑事訴訟規則
(第一回公判期日前における検察官、弁護人の準備の内容)
第178条の6 検察官は、第一回の公判期日前に、次のことを行なわなければならない。
一 法第二百九十九条第一項本文の規定により、被告人又は弁護人に対し、閲覧する機会を与えるべき証拠書類又は証拠物があるときは、公訴の提起後なるべくすみやかに、その機会を与えること。
二 第二項第三号の規定により弁護人が閲覧する機会を与えた証拠書類又は証拠物について、なるべくすみやかに、法第三百二十六条の同意をするかどうか又はその取調の請求に関し異議がないかどうかの見込みを弁護人に通知すること。
2 弁護人は、第一回の公判期日前に、次のことを行なわなければならない。
一 被告人その他の関係者に面接する等適当な方法によつて、事実関係を確かめておくこと。
二 前項第一号の規定により検察官が閲覧する機会を与えた証拠書類又は証拠物について、なるべくすみやかに、法第三百二十六条の同意をするかどうか又はその取調の請求に関し異議がないかどうかの見込みを検察官に通知すること。
三 法第二百九十九条第一項本文の規定により、検察官に対し、閲覧する機会を与えるべき証拠書類又は証拠物があるときは、なるべくすみやかに、これを提示してその機会を与えること。
3 検察官及び弁護人は、第一回の公判期日前に、前二項に掲げることを行なうほか、相手方と連絡して、次のことを行なわなければならない。
一 起訴状に記載された訴因若しくは罰条を明確にし、又は事件の争点を明らかにするため、相互の間でできる限り打ち合わせておくこと。
二 証拠調その他の審理に要する見込みの時間等裁判所が開廷回数の見通しをたてるについて必要な事項を裁判所に申し出ること。
(証人等の氏名及び住居を知る機会を与える場合)
第178条の7 第一回の公判期日前に、法第二百九十九条第一項本文の規定により、訴訟関係人が、相手方に対し、証人等の氏名及び住居を知る機会を与える場合には、なるべく早い時期に、その機会を与えるようにしなければならない。
第301条1項 裁判長又は裁判官は、訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧又は謄写について、日時、場所及び時間を指定することができる。
2項 裁判長又は裁判官は、訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧又は謄写について、書類の破棄その他不法な行為を防ぐため必要があると認めるときは、裁判所書記官その他の裁判所職員をこれに立ち会わせ、又はその他の適当な措置を講じなければならない。

【最高裁判例】
証拠書類閲覧に関する命令に対し検察官のした異議を棄却する決定に対する特別抗告事件昭和四三年(し)第六八号
同四四年四月二五日第二小法廷決定
抗告申立人 検察官
被告人 KT
弁護人 石川元也 外九九名

       主   文

本件抗告を棄却する。

       理   由

 本件抗告の趣意は、別紙添付のとおりである。
 所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の当裁判所昭和三四年(し)第六〇号同年一二月二六日第三小法廷決定は、いまだ冒頭手続にも入らない段階において、検察官に対し、その手持証拠全部を相手方に閲覧させるよう命じた事案に関するものであり、また昭和三四年(し)第七一号同三五年二月九日第三小法廷決定は、裁判所が、検察官に対し、相手方に証拠を閲覧させるべき旨の命令を発しなかつた事案において、検察官にはあらかじめ進んで相手方に証拠を閲覧させる義務がなく、弁護人にもその閲覧請求権がないことを判示したものであるから、証拠調の段階において、特定の証人尋問調書につき、裁判所が、訴訟指揮権に基づいて、検察官に対し、これを弁護人に閲覧させることを命じた事案に関する本件とは、いずれも事案を異にし、適切な判例とはいえず、その余の点は、単なる法令違反の主張であつて、以上すべて適法な抗告理由にあたらない(裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。そうして、本件の具体的事情のもとで、右と同趣旨の見解を前提とし、所論証人尋問調書閲覧に関する命令を維持した原裁判所の判断は、検察官においてこれに従わないときはただちに公訴棄却の措置をとることができるとするかのごとき点を除き、是認することができる。)。
 よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)
(原審決定)
昭和三九年検第三八〇〇四号
起訴状 在宅
左記被告事件につき公訴を提起する。
昭和四十年五月十五日
大阪地方検察庁 検察官検事 本井甫
大阪地方裁判所殿

本籍 大阪市○区○町○番地
住居 大阪市○区○町○番地
職業 ○製造業
KT ○年○月○日生
公訴事実
 被告人は旭都島商工会の役員であるが、昭和三十九年十一月十七日午後二時五十分頃、大阪市旭区今市町一丁目百四十三番地毛糸編立業E方玄関土間において同人の昭和三十九年所得税の概況調査に従事していた旭税務署所得税課勤務大蔵事務官望月健一郎(当四十年)に対し、二回にわたり、両手で同人の胸部を突き玄関踏み台に尻もちをつかせる暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害したものである。
罪名および罰条
罪名 公務執行妨害
罰条 刑法第九十五条第一項
別紙(二)
刑事訴訟法二二六条による証人尋問調書開示問題についての当裁判所の見解
 弁護人は、本件第一回、第二回、第五回各公判において本件各証人尋問調書を含む検察官所持の全証拠の開示を要求し、第一二回公判において検察官申請の本件暴行事実の存否に関する証人の取調終了後、裁判所から右事実に関する立証を促された機会に、再び本件各証人尋問調書の開示を要求し、これに対し検察官は、終始右各尋問調書の取調べを請求する意思がないことを理由に、その実質的理由に何ら触れることなく、右開示を拒否してきました。こうして、本件各尋問調書開示の問題について、当事者の意見は全く対立し、当事者の自治的解決は不可能であると考えられますし、裁判所による勧告も、検察官によつて拒否されれば(現在までの検察官の態度にてらし拒否することは明らかです)、それまでのことである以上、いたずらに裁判所の権威を失墜するおそれなきにしもあらずと考えられますので、ここに次のとおりの見解を表明し、訴訟の促進をはかりたいと思います。
(1) 裁判所は、訴訟を主宰する地位にあるものとして、訴訟を迅速にかつ十分にし、法の理想を実現すべき職責を有するのであり、右職責遂行のための固有の包括的権限として訴訟指揮権をもつています。それは、もちろん法規に則つて行なわなければなりませんが、必ずしもその明文の規定に準拠しなければならないものではありません。個々の訴訟において具体的に妥当な進行をはかるためには、その事件の個性に応じた弾力性のある訴訟指揮が必然的に要求されるのであつて、かかる訴訟指揮の性質上広い裁量の余地が認められなければなりません。現行刑事訴訟法が一般的に合目的と考えられる手続の進行を規定し、裁判所その他の訴訟関係人がこれに従うことを予定し、手続の合目的性を客観的に担保しようとしていることは否定できず、かつ同法上明文の規定のない場合における訴訟指揮権の有無、範囲、内容についての一般的準則を規定していないのでありますが、訴訟指揮に要求される合目的性と法的安定性との調和を考慮するときは、裁判所は、法規に明文の規定がなくても、他の明文の規定に牴触せず、法の目的に適合し全体的法秩序を害さない限り、訴訟指揮をなし得ると解するのが相当であります。現行刑事訴訟法が当事者主義を強化し、裁判所を第三者の地位におくことを意図していることは明らかでありますが、当事者が訴訟手続についての指導と支配とを自分自身の手中におさめようと企て、法の真の目的である実体的真実を無視してただ訴訟に勝たんがための態度に出るようなことがあれば、その時こそ、裁判所は職権を発動し、当事者の右意図をくじき、裁判の目的が失敗に終らされることのないように訴訟指揮を含めて、可能なあらゆる手段を用いることがあつてもやむを得ないのではないでしようか。そしてこのような場合、裁判所は、訴訟指揮として法規に明定されていない命令を下し、当事者に右命令に従う義務を発生せしめることも可能であり、もしそうでなければ、裁判所は、いたずらに拱手傍観し、最も重い責任を放棄したとの非難を免れることはできないと考えます。
(2) 証拠開示については、現行刑事訴訟法上、同法二九九条以外に明文の規定はありません。だからといつて、右事実から直ちに同法が右条文以外の証拠開示を一切認めない趣旨であると断定することはできません。先ず、右条文以外の証拠開示が違法となる趣旨でない、いいかえれば現行法秩序を害さないものであり、かつ右条文に反しないものであることは、現行刑事訴訟法の施行以来一般事件の殆んどにおいて、公判前に全部の証拠閲覧がなされてきたという従来の長期にわたる訴訟慣行の存在に徴しても明らかであります。
そして、更にこのように一般化された長期にわたる訴訟慣行の存在は、検察官が従来証拠開示をあたかも私人がその所持する書類を第三者に閲覧させるのと同様の純然たる恩恵的自由裁量行為とは意識していなかつたし、現在においては客観的にとうていそのような行為とは評価し得ないことを示していると考えます。
 本来、証拠開示は形式的、或いは素朴な当事者主義即ち当事者は独立に証拠を収集し、攻撃防禦を行うべきで相手の手のうちをのぞいてはならないという主義によつてもたらされる諸弊害たとえば公判での不意打ち、公判準備の不足、争点の混乱、攻撃防禦力の実質的不平等による訴訟の遅延、真実発見の阻害等を除去しようとして発生したものであります。現行刑事訴訟法は、憲法三一条ないし三九条の被告人の公平で迅速な裁判をうける権利、証人に対する反対尋問権の確保、適正手続等の諸規定をうけて、当事者主義、防禦権の強化を図つており、その趣旨が被告人を検察官と対等の地位において十分な防禦の機会を与え、検察官との論争を通じて真実を発見しようとするにあることはいうまでもありません。しかし、現行刑事訴訟法は同じく当事者主義の構造をとる英米に比しても防禦権の保障はいまだ十分とはいえません。即ち、捜査官の参考人、被疑者の取調べに弁護人の立会権、知悉権が保障されてなく、勾留被疑者と弁護人の接見交通も必ずしも自由でなく、その上、旧刑事訴訟法と異なり、被告人側は捜査官に与えられた強大な権限に基く収集資料の大要を何ら知る機会を与えられないまま、公判審理にのぞまざるを得ず,防禦に最も重要な捜査および起訴の段階で被告人側は非常に不利な立場に立たされているのであります。更にまた、公判審理においては参考人の検察官に対する面前調書が一定の条件のもとに証拠能力を付与されています。従つて、前記法の趣旨をそこなわず、これをできるだけ実現するためには、前記当事者主義による弊害の除去をはかり、ことに当事者の攻撃防禦力の不平等をこれ以上そこなわないように、更には被告人側の防禦力を実質的に補強せしめることこそ最も肝要といわざるを得ません。そして、このように考えますと、証拠開示は被告人側の防禦力を実質的に補強する有力な一手段でありますから、現行刑事訴訟法が同法二九九条以外に証拠開示についての規定を設けていないのが、検察官に右条文以外の証拠開示義務を絶対的に負わせてはならないとの趣旨まで含んでいるものでないことは明らかであります。なぜなら、現行刑事訴訟法の前記趣旨にてらすときは、同法が検察官と被告人側との力の不均衡をこれ以上更に拡大せしめるような解釈を許すこと自体自己矛盾であり、とうていかような解釈はできないと考えられるからであります。
 これを要するに、理論上も前記実務の慣行にてらしても、現行刑事訴訟法が同法二九九条以外の証拠開示を違法として排斥する趣旨でないことはもちろん、検察官にその義務を負わせることを拒否する趣旨でもないと解せざるを得ないのであります。 
(3) 果してそうだとすると、現行刑事訴訟法上証拠開示命令をなしうるとの明文の規定はありませんが、右(1)(2)により、裁判所は、訴訟の具体的状況にてらし、開示証拠の形式、内容、開示の時期、開示により予想され得る被告人、弁護人の利益と検察官の公訴維持上もしくは国の機密上被る不利益とを十分比較考量の上、必要かつ妥当と認められる場合、訴訟指揮権に基き、検察官に対し、証拠開示を命じ得る余地があり、右命令がなされたときは、これに基き検察官において証拠開示義務を負担するといわなければなりません。
(4) これを本件についてみますと、弁護人の開示を要求している証拠は、いずれも刑事訴訟法二二六条に基き作成された裁判官の証人尋問調書であり、その証人の氏名は、EM、ET、MH、FH、ATであります。そして本件記録によると、右各証人は、本件犯行現場において本件犯行の有無を目撃し得たと考えられ、被告人が本件犯行事実を否認していることにてらし、本件捜査上はもちろん公判審理上まことに重要な証人であります。だからこそ、検察官は刑事訴訟法二二六条により裁判官に対し起訴前の証人尋問を請求し、裁判官は同条により正規の手続を経た上証人尋問を施行し、記録は刑事訴訟規則一六三条により検察官に送付されたものと考えられます。もともと刑事訴訟法二二六条による証人尋問の方式、効果は、一般の裁判所による証人尋問と殆んど差異がなく、ただ捜査上の必要性から、弁護人の立会権、知悉権に制限が加えられているにすぎません。従つて捜査に支障を生ずるおそれがなくなつた現在においては、弁護人の知悉権に制限を加える必要は何ら認められないといつてもよいと思います。更に、検察官は右各証人を申請する意思はないと当公判廷で言明していること、弁護人が調書として申請するかも知れないとの意思を示してもなおかつ証拠を開示しようとしない検察官の態度に徴すると、各証人の供述内容は、一応被告人に有利で、検察官にとつて必ずしも公判維持上有利と思われない内容のものであろうと推定するに難くありません。そうすると、検察官が公益の代表者として訴訟において裁判所をして真実を発見させるため被告人の有利な証拠をも法廷に顕出することを怠つてならないことは国法上の職責でありますから、特段の反対の事情のない限り、これを被告人に利用させる機会を与えることも当然の責務といわなければなりません。また、本件犯行があつたとされているのは今日より約三年以上も前のことでありますから、現在右各証人に記憶喪失や思い違いが生じている可能性は甚だ大であり、弁護人が証人申請をすべきかどうか検討して不必要な証拠を申請して混乱を招くことのないようにするためにも、事案の真実をあやまりなく知るためにも、各証人の記憶の新らしい時期になされた供述内容を予め知つておくことは、まことに有益かつ必要であると考えられます。なお、この点に関し、検察官は公判中心主義から先ず証人として尋問した上調書閲覧の必要性を検討すべきだと主張するようでありますが、調書を閲覧するのは裁判所でなく、弁護人でありますから、公判中心主義とは関係はなく、いずれ調書閲覧の必要性が生じるくらいであれば、証人尋問の前に閲覧する方が訴訟の促進の上ではるかに有益であります。これに反し、検察官は本件各証人尋問調書を弁護人に閲覧させることによつて公判維持上いかなる不利益を被るのでありましようか。検察官は当公判廷で十分説明の機会を与えられ、裁判所に予断を生ぜしめるおそれのない段階に至つても、なおかつ、これが実質的理由について殆んど触れるところがありません。罪証隠滅、証人威迫のおそれは、被告人に有利と思われる本件各証拠についてその可能性があることは殆んど考えられませんし、その他国の機密、証人の名誉、秘密の保持、捜査過程の秘密保持等およそ証拠開示に考慮しうるすべての点にわたり検討しても、本件事案の内容、性質、証人尋問調書の形式内容にてらし、検察官において本件各証拠を開示することによる不利益はこれを考えることができません。もしあるとすれば、検察官において納得のいく説明をすべきでありませう。そうすると、検察官は、何故弁護人の開示要求、裁判所の「具体的に証拠隠滅等の理由のない限り証拠を示してもよいと思う」との意思表示(第二回公判)にもかかわらず開示を拒否し続けているのでしようか、その真意を理解するのに苦しむものです。ただ、この種公安事件におけるこれまでの検察官のあまりにも当事者主義に固執したかたくなな訴訟態度にてらせば、検察官は、弁護人側のあくまで国家権力の行使方法に強い抗議を続ける態度に刺戟されてか、法の真の目的をはなれ、訴訟手続の指導権を検察官側に確保し、ただ一途に訴訟に勝たんがための態度に出ているやにもうかがわれないでもありません。裁判所はこれまで事件の個性に応じ、できるだけ公平かつ迅速に審理を進行するよう意を尽してきたし、今後もそのつもりでありますが、検察官の訴訟態度にも反省を要するものがあるのではないかと考えます。
(5) そこで、以上のような本件訴訟の状況、開示証拠の形式、内容、開示の時期、開示により予想され得る被告人、弁護人の利益と検察官の公訴維持上もしくは国の機密上被る不利益とを十分比較考慮するときは、本件各証拠の開示は必要かつ妥当と認められます。よつて訴訟指揮権に基き、当職は検察官に対し次のとおり命令します。
 検察官は弁護人に対し、直ちに裁判官の証人EM、同ET、同MH、同FH、同ATに対する各証人尋問調書を閲覧させること。
 なお、右命令は最高裁判所昭和三四年(し)第六〇号、同年一二月二六日第三小法廷決定と事案を異にする上、右決定自体証拠開示の理論についていまだ一般に十分な論議が尽くされていなかつた時期のもので、本命令が右決定の趣旨に反する点があるとしてもやむを得ないと考えます。また、本命令の効力については、これが適法に確定した場合、なおかつ、検察官においてこれに従わないおそれは殆んどないと考えますし、万一これに従わないとすれば、検察官において本件公訴を誠実に追行する意思がないものとして、公訴棄却の措置をとる等考慮しなければならないと考えます。


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