転勤命令の拒否と懲戒解雇

労働|転勤命令の合理性に関する判例の判断枠組み|最高裁昭和61年7月14日判決(東亜ペイント事件)

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参照条文

質問

私は、大学卒業後、精密機械を製作するA株式会社(以下「A社」といいます。)に営業職として勤めて10年になります。A社は東京に本店を置き、全国にいくつもの支社・営業所があります。私は、現在は東京支店に勤めており、自宅も東京にあります。家族は、実父は亡くなっており、実母・妻と3歳になる子がおり、同居をしています。

最近になり、上司から大阪支社への転勤の内示を受けました。大阪に転勤すると、単身赴任になりますが、実母・妻・子を東京に残すことに不安があります。実母は80歳を過ぎた高齢でいつ病気で倒れてもおかしくなく、妻も子供の面倒で大変だと思います。自宅から通勤できる範囲内での転勤であればやむを得ないと思いますが、引っ越しを伴う大阪への転勤は避けたいのです。

仮に転勤内示や転勤命令がA社から出て、私が転勤命令を拒否した場合、私はA社から懲戒免職などの処分を受けることになるのでしょうか。

回答

1 会社、特に全国的に何か所も支店・営業所を有する会社は、転勤を指示されることもあります。転勤の目的については、労働力の適正配置・業務の能率向上・労働者の能力開発・勤務意欲の高揚・業務運営の円滑化などが判例では挙げられています。

2 他方、転勤を命じられた従業員側にとっては、転勤による転居で家族と別居をすることも考えられ、生活に少なからぬ影響を及ぼすことも考えられます。

3 会社からの転勤命令に対して、家庭の事情を理由に転勤命令に従わなかった従業員に対し、会社が業務命令違反により懲戒解雇とした懲戒免職処分の有効性が争われた事案について、最高裁判所昭和61年7月14日判決があります。講学上、「東亜ペイント事件」と言われている判例です。

この裁判では、会社の労働協約・就業規則には従業員に転勤を命ずる旨の定めがあること、会社は全国に営業所等があり転勤が頻繁に行われていること、従業員との間で就業地域を限定する合意がなかったことを前提に、転勤命令が使用者の権利濫用と認められるような特別な事情、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときなどの、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである、としています。

さらに、最高裁は、転勤の業務上の必要性について、余人をもっては容易に替えがたいという高度の必要性に限定することは相当ではなく、企業の合理的運営に寄与する点が認められれば、必要性は肯定できるとしています。判決の内容については、解説本文で解説します。

4 ご相談者様は、これらの点を考慮して会社から転勤の内示・転勤命令を受けた場合の会社の命令の妥当性を検討し、転居を伴うような遠方への転勤を拒否するためにどのように会社と交渉するか、一度お近くの弁護士に相談されるとよいでしょう。

5 その他本件に関連する事例集はこちらをご覧ください。

解説

第1 労働法の基本的な考え方

会社からの転勤命令違反を理由とする懲戒解雇に関して、使用者と労働者との利益対立に関する問題ですから、まず、労働法における使用者・労働者の利益の対立について説明します。

1 資本主義社会においては私的自治の基本である契約自由の原則から、労働契約は使用者・労働者が納得して契約するものであれば、不法な契約内容でない限り、どのような内容であっても許されると考えられます。

2 しかし、使用者は経済力を有し、労働者に比べて優越的地位にあり、立場上有利にあるのが一般的です。他方、労働者は労働の対価として賃金の支払いを受けて生活するため、労働者を長期にわたり拘束する契約でありながら、労働者は使用者と常に対等な契約を結べない可能性があります。

3 こうした使用者優位、労働者不利の状況は、個人の尊厳を守り、人間として値する生活を保障した憲法13条、平等の原則を定めた憲法14条の趣旨に反します。そこで、法律は民法の雇用契約の特別規定である労働法(労働基準法、労働契約法等)により、労働者が対等に使用者と契約でき、契約後も実質的に労働者の権利を保護すべく種々の規定をおいています。

4 法律は性格上おのずと抽象的規定にならざるをえませんから、その解釈にあたっては使用者、労働者の実質的平等を確保するという観点からなされなければなりません。そして、雇用者の利益は営利を目的とする経営する権利と憲法29条の私有財産制に基づく企業の営業の自由とであるのに対し、労働者の利益は毎日生活し働く権利ですし、個人の尊厳確保に直結した権利ですから、おのずと力の弱い労働者の利益をないがしろにする事は許されないことになります。

5 このような理由から、労働基準法1条は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきものでなければならない。」、同法第2条は「労働条件は労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。」と規定しています。そして、使用者が労働者を解雇する場合についても、同法第16条は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」として、使用者が労働者を解雇をする場合にも制限を設けています。

第2 会社により転勤内示・転勤命令と転勤に伴う従業員側の立場

会社、特に全国的に何か所も支店・営業所を有する会社は、転勤を指示されることもあり、転勤が数年にわたり何度も繰り返されることもあります。転勤の目的については、労働力の適正配置・業務の能率向上・労働者の能力開発・勤務意欲の高揚・業務運営の円滑化などが挙げられています。

他方、転勤を命じられた従業員側にとっては、転勤による転居で家族と別居をすることを余儀なくされることなど考えられ、従業員の生活に少なからぬ影響を及ぼすことが考えられます。

会社からの転勤命令に対して、家庭の事情を理由に転勤命令に従わなかった従業員に対し、会社が業務命令違反により懲戒解雇とした懲戒免職処分の有効性が争われた事案について、最高裁判所昭和61年7月14日判決があります。講学上、「東亜ペイント事件」と言われている判例です。

会社からの転勤内示・転勤命令に対し、家庭の事情を理由に転勤を拒否した従業員に会社が懲戒免職処分を下した事案について、最高裁判所が会社・労働者の利益をどのように調整して判決を下したか、以下で解説します。

第3 判例紹介

最高裁判所昭和61年7月14日判決|東亜ペイント事件(判例時報1198号149頁、判例タイムス606号30頁。 労働判例百選第9版61事件)

参考リンク:裁判所HP判決文PDF

事案の概要

社員が会社からの転勤命令を拒否した結果、会社から懲戒免職処分を受けた。この会社の懲戒免職処分の有効性が争われた事案。

当事者

X:上告人。塗料・化成品の販売を行っている会社。大阪に本店があり、全国13か所に営業所を置く。従業員は約800名。2、3年ごとに社員の転勤が行われている。その従業員組合との間の労働協約には「会社は、業務の都合により組合員に転勤、配置転換を命ずることができる。」と定め、就業規則には「業務上の都合により社員に異動を命ずることがある。この場合には正当な理由なしに拒むことは出来ない。」と定めている。
Y:被上告人。X社の社員。入社後数回は転勤をしていたが、X社から受けた今回の大阪営業所から名古屋営業所への転勤命令を家庭の事情を理由に拒否したため、X社から業務命令違反として懲戒免職処分を受ける。 (Yの転勤拒否は家庭の事情を理由としているため、Yの家庭・家族の状況を次に説明します。)
Yの家庭:Yは大阪市内に住み、実母(71歳)、妻、娘(2歳)と暮らしていた。実母は元気で食事の用意や買い物もできる。ただ、生まれてから大阪から離れたことはなかった。妻は近くの無認可保育所で働いている。

事案の経過

YはX社入社後、出向は経験しているが、X社からの大阪営業所から名古屋営業所への転勤内示・転勤命令を拒否したため、X社から業務命令違反として懲戒解雇処分を受ける。Y入社前後からX社により懲戒解雇を受けるまでの時間経過は次のとおりです。

昭和40年3月:Yは大学卒業。
同年 4月:X社にY入社。大阪事務所勤務。
同 44年4月:㈱E商店大阪営業所に出向。
同 46年7月:㈱E商店への出向を解かれて、X社神戸営業所勤務となる。
同 48年4月:同営業所主任待遇となる。
同 48年9月:X社はYに対し、広島営業所への転勤を内示。Yは家庭事情を理由に転居を伴う転勤を拒否。
同 48年10月1日:X社はYに対し広島営業所への転勤を再度説得したが、Yが拒否したので名古屋営業所への転勤を内示。Yはこれも拒否。
同 48年10月30日:X社はYに対し、名古屋支社への転勤命令を発令。Yはこれにも応じなかった。
同 48年12月:X社はYとは別の者を名古屋営業所に配置。
同 49年1月22日:X社はYを転勤命令に違反したとして懲戒解雇をした。

争点

Yの転勤命令や転勤命令違反によるX社の懲戒解雇処分が権利濫用として無効となるか。

原審(高等裁判所)判決(『 』は判決引用部分です)

原審はX社による転勤命令は権利濫用により無効であり、転勤命令違反を理由とするYの懲戒解雇も無効としました。 理由について、原審は、転勤命令がX社に必要だったかどうかについて、転勤命令はX社の業務上必要だとしても、それほど強いものではなく、他の従業員を転勤させることも可能だった、としています。

『本件転勤命令が上告会社の業務上の必要性に基づくものであることは肯認されるべきであるが、右の必要性はそれほど強いものではなく、他の従業員を名古屋営業所へ転勤させることも可能であつた・・・』

他方、原審は、Yが転勤した場合、家族との別居が強いられ相当の犠牲が払われること、前の転勤から短期間しか経過していないこと、を考えると、Yの転勤拒否には相当の理由があると認めています。

『被上告人が名古屋営業所へ転勤した場合には、母親、妻及び長女との別居を余儀なくされ、相当の犠牲を強いられることになること、また、被上告人は、昭和四〇年四月に上告会社に入社して以来、株式会社E商店に出向したほか、神戸営業所へ転勤し、神戸営業所勤務となつてから本件転勤命令が出されるまでに二年四か月しか経過していないこと等に照らす、被上告人には名古屋営業所への転勤を拒否する正当な理由があつたものと認めるのが相当である。』

X社がYに転勤を命ずる必要性は必ずしも強くないこと、Yの転勤拒否に正当な理由があることから、原審は、X社の転勤命令は権利濫用で無効であり、転勤命令違反を理由とした懲戒解雇処分も無効としました。

『被上告人が拒否しているにもかかわらず、あえて発せられた本件転勤命令は、権利の濫用に当たり、無効であり、被上告人が本件転勤命令に従わなかつたことを理由になされた本件懲戒解雇も、無効である。』

最高裁判決

原審に対して、最高裁判所は、X社の転勤命令は権利濫用にあたらず、転勤命令違反による懲戒解雇を有効としました。 最高裁は、まず、会社の労働協約・就業規則には従業員に転勤を命ずる旨の定めがあること、会社は全国に営業所等があり転勤が頻繁に行われていること、従業員との間で就業地域を限定する合意がなかったことから、従業員の同意がなくても転勤を命ずることができる、としました。

『思うに、上告会社の労働協約及び就業規則には、上告会社は業務上の都合により従業員に転勤を命ずることができる旨の定めがあり、現に上告会社では、全国に十数か所の営業所等を置き、その間において従業員、特に営業担当者の転勤を頻繁に行つており、被上告人は大学卒業資格の営業担当者として上告会社に入社したもので、両者の間で労働契約が成立した際にも勤務地を大阪に限定する旨の合意はなされなかつたという前記事情の下においては、上告会社は個別的同意なしに被上告人の勤務場所を決定し、これに転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するものというべきである。』

次に、最高裁は、使用者は業務上の必要に応じ、裁量により従業員の就業場所を決めることはできるとしつつ、転勤、特に転居を伴う転勤は労働者の生活関係に少なからぬ影響を及ぼすことから、転勤命令権を無制約に行使できるわけではなく、濫用することは許されないとしています。

『使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもない・・・』

そして、権利濫用になる場合として、転勤命令について業務上の必要がない場合、他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき、等特別の事情が必要としています。

『当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が若しくは等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。』

さらに、最高裁は、転勤の業務上の必要性について、余人をもっては容易に替えがたいという高度の必要性に限定することは相当ではなく、企業の合理的運営に寄与する点が認められれば、必要性は肯定できるとしています。

『右の業務上の必要性についても、当該転勤先への異動が余人をもつては容易に替え難いといつた高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである。』

上記の判断基準から、最高裁は、本件について、X社は名古屋営業所に適切な人材を転勤させる必要があり、本件転勤命令には業務上の必要性があったことを認め、他方、Yの家族状況からは転勤による家庭生活上の不利益は通常甘受すべきものだったので、X社による本件転勤命令は権利濫用にあたらない、しました。

『名古屋営業所のG主任の後任者として適当な者を名古屋営業所へ転勤させる必要があつたのであるから、主任待遇で営業に従事していた被上告人を選び名古屋営業所勤務を命じた本件転勤命令には業務上の必要性が優に存したものということができる。そして、前記の被上告人の家族状況に照らすと、名古屋営業所への転勤が被上告人に与える家庭生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のものというべきである。したがつて、原審の認定した前記事実関係の下においては、本件転勤命令は権利の濫用に当たらないと解するのが相当である。』

以上のように、本件について、原審は、X社の転勤命令の必要性は認めつつも、Yの家族生活の負担が大きいとして、X社の転勤命令は権利濫用とし、X社の解雇処分も無効としましたが、最高裁は、Yの家族情況から転居に伴う家庭生活上の不利益は甘受すべきものとして、X社の転勤命令は権利濫用にあたらず、解雇処分を有効としました。

第4 最後に

会社からの転勤の内示・転勤命令に対して、家庭の事情を理由として拒否する場合、上記最高裁判決によると、家庭生活上の不利益が通常甘受すべき程度を著しく超えることが、会社の転勤命令が濫用になるかどうかの一つの基準となっています。転勤の内示・転勤命令を会社から受けたが家庭の事情を理由に断りたい時に、どのような家庭事情を会社に主張するかどうか、一度お近くの弁護士に相談されると良いでしょう。

以上

関連事例集

その他の事例集は下記のサイト内検索で調べることができます。

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参照条文

日本国憲法

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

労働契約法

(懲戒) 第十五条
使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。

(解雇) 第十六条
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

(契約期間中の解雇等) 第十七条
1 使用者は、期間の定めのある労働契約(以下この章において「有期労働契約」という。)について、やむを得ない事由がある場合でなければ、その契約期間が満了するまでの間において、労働者を解雇することができない。
2 使用者は、有期労働契約について、その有期労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その有期労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない。