新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1625、2015/08/07 12:00 https://www.shinginza.com/qa-hanzai.htm
【刑事、最高裁判所昭和58年9月13日判決】

精神疾患で事情聴取の任意出頭ができないとき


質問:先日万引きで検挙されてしまいました。被害額は数千円です。在宅で取り調べを受けています。警察署から事情聴取するから任意出頭しろと連絡を受けましたが、私は最近精神疾患が悪化しており外出できない状態です。そもそも、万引きしたときも医師に処方された薬を飲んでいてボーっとした状態でやってしまったのです。このような場合、刑法39条の心神耗弱として刑事処分を軽減してもらうことはできないでしょうか。主治医に「私は心神耗弱ですか?」と尋ねたら、「まあ、そのような状態ですね」と言われました。病気なので任意出頭を回避することはできないでしょうか。



回答:
 精神疾患があること、その為の薬を飲んでボーっとしていたこと、主治医に心神耗弱といわれたことだけでは刑法39条2項の刑の減軽事由である心神耗弱とは認められません。
 病気が原因で任意出頭を拒否できるかについては、精神疾患によって、全く起き上がることができないとか、外出できないというような状態に至っている場合には、任意出頭を延期できないかどうか、警察署と交渉する余地はあります(刑事訴訟規則183条3項参考)。ただし、正当な理由がないのに任意出頭を拒否している判断されると逮捕に至る場合もありますから注意が必要です。
 また、精神疾患と服用している薬物の影響で犯罪行為を犯してしまったということであれば、病気が原因で規範意識に直面することができなかったということを、警察官や検察官に対して有利な情状として主張立証し、微罪処分や不起訴処分や略式命令手続きを要請する弁護活動をすることが考えられます。


解説:

1、 刑法39条は、心神喪失の場合に、刑罰が免除され、心神耗弱の場合に刑罰が減軽されることを規定しています。

刑法39条(心神喪失及び心神耗弱)
第1項 心神喪失者の行為は、罰しない。
第2項 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

刑法39条の「心神耗弱」とは、精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力が著しく減退している状態を示す法律上の概念で、医学上の概念とは全く異なるものです。従って、主治医が「心神耗弱である」と診断したとしても、ただちに刑法39条が適用されることにはなりません。法的に刑法39条の適用があるかどうかを決めるのは、起訴前の段階では検察官ですし、公判請求された後は裁判所が判決すべき事項です(最高裁昭和58年9月13日判決参照)。

最高裁判所昭和58年9月13日判決
「なお、被告人の精神状態が刑法三九条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であつて専ら裁判所に委ねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、右法律判断との関係で究極的には裁判所の評価に委ねられるべき問題であるところ、記録によれば、本件犯行当時被告人がその述べているような幻聴に襲われたということは甚だ疑わしいとしてその刑事責任能力を肯定した原審の判断は、正当として是認することができる。」

 従って、医師の診断書を捜査機関や検察庁や裁判所に提出しても、それだけで、刑事手続きが停止したり、延期したりすることはありません。被疑者・被告人の精神疾患の程度を示す資料は、あくまでも、司法機関によって法的判断が下される際の参考資料となるに過ぎないのです。

2、 それでは、法律上の「心神喪失」「心神耗弱」とはどういう状態を言うのでしょうか。大審院昭和6年12月3日判決で、「心神喪失ト心神耗弱トハ孰レモ精神障礙ノ態樣ニ屬スルモノナリト雖其ノ程度ヲ異ニスルモノニシテ即チ前者ハ精神ノ障礙ニ因リ事物ノ理非善惡ヲ辨識スルノ能力ナク又ハ此ノ辨識ニ從テ行動スル能力ナキ状態ヲ指稱シ後者ハ精神ノ障礙未タ上敍ノ能力ヲ缺如スル程度ニ達セサルモ其ノ能力著シク減退セル状態ヲ指稱スルモノナリトス」と解釈されています。すなわち、心神喪失とは、「精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力を失うか、又は、この弁識に従って行動する能力の無い状態」とされ、心神耗弱とは、「精神の障害が事物の理非善悪を弁識する能力を失うか、又は、この弁識に従って行動する能力の無い状態までは至らないが、その能力が著しく減退した状態」とされています。刑罰法規の構成要件に該当する行為があったとしても、このような精神状態である被告人には刑事責任を問うことができないということから定められている条件です。

最高裁判所にも解説ページがありますので、引用します。
http://www.courts.go.jp/saiban/qa_keizi/qa_keizi_21/
『Q. 心神喪失又は心神耗弱とは何ですか。

A. 刑罰法規に触れる行為をした人の中には,精神病や薬物中毒などによる精神障害のために,自分のしていることが善いことか悪いことかを判断したり,その能力に従って行動する能力のない人や,その判断能力又は判断に従って行動する能力がが普通の人よりも著しく劣っている人がいます。
 刑法では,これらの能力の全くない人を心神喪失者といい,刑罰法規に触れる行為をしたことが明らかな場合でも処罰しないことにしています。また,これらの能力が普通の人よりも著しく劣っている人を心神耗弱者といい,その刑を普通の人の場合より軽くしなければならないことにしています。
 これらは,近代刑法の大原則の一つである「責任なければ刑罰なし」(責任主義)という考え方に基づくもので,多くの国で同様に取り扱われています。』


 責任主義とは、人は、非難可能性がなければ処罰されないということです。非難可能性とは、故意、または過失がなければ刑事処罰ができないということです。刑法38条1項が明言しています。結果(たとえば殺人罪であれば死亡という結果)が生じているのに、どうして内心的意思(故意=勿論内心的意思は外形上の行為等から総合的に判断されます)がないと刑事処罰されないのでしょうか。刑罰とは,法律上の効果として罪を犯した者に対して科せられる行為者が持つ法益の剥奪を内容とする強制処分です。国家が,行為者の法益を強制的に奪うわけですから,法の理想である自由主義,個人主義(本来人間は自由であり,その個人に特別な法的責任がない以上社会的に個々の人が最大限尊重されるという考え方,憲法13条)の見地から,刑罰の本質は行為者自身に不利益を受ける理由,根拠がなければなりません。その理由,根拠とは,犯罪行為者が犯罪行為のような悪いことをしてはいけないという社会の一般規範を知りながら(知る事が出来るのに)あえてそれを守らず,積極的に(故意犯 刑法38条1項)又は不注意で犯罪事実自体を認識せずに(過失犯,刑法38条1項但し書き)間接的に規範を打ち破り行動に出た態度,行為に求める事が出来ます。そして,その様な自分を形成し生きて来た犯罪者自身の人格それ自体が非難され不利益を受ける根拠となります(これを刑法上道義的責任論といいます。対立する考え方に犯罪行為者の社会的危険性を根拠とし社会を守るために刑罰があるとする社会的責任論がありますが,結論的にさほど変わりません)。例えば,重度の精神病者が処罰されないのは,あえて社会規範を破るという認識がない以上(認識の可能性もない以上)責任の根拠がないというところに求められるわけです。


 但し、実務上は、刑法39条2項の心神耗弱(法律上の減軽)と認定される事例は多くはありません。軽度の精神疾患は、刑法66条の酌量減軽事由又は、刑法25条の執行猶予を付すべき情状として評価されているためです。

刑法66条(酌量減軽)犯罪の情状に酌量すベきものがあるときは、その刑を減軽することができる。
第25条(執行猶予)第1項(抜粋) 次に掲げる者が三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から一年以上五年以下の期間、その執行を猶予することができる。

刑法66条で酌量減軽が定められており有期懲役であれば法定刑の下限の半分まで減軽することができますから、実務上、軽度の精神疾患については酌量減軽によって法的評価がなされており、法定刑の半分よりも更に軽く処分することが必要である場合に、心神耗弱の規定が適用されるということになります。

また、刑法25条で、3年以下の懲役刑を選択し得る場合には情状により執行猶予を付することができますので、法定刑の下限が3年以下(酌量減軽する場合は6年以下)の罪については、心神耗弱の規定を適用しなくても執行猶予判決をすることができることになり、裁判所も、刑法25条の執行猶予に付すべき情状があるかどうかを優先して判断することが多くなっています。

3、 このため、医学的な診断がつくような精神疾患のある患者であっても、刑法上の限定責任能力(心神耗弱)にはあたらないと判断されることが多いという印象です。例えば、入院が必要なレベルの精神疾患でないと、刑法39条の心神喪失又は心神耗弱にはならないと考えることができるでしょう。
一例として、最高裁判所昭和59年7月3日判決を引用します。この裁判例では、専門家による精神鑑定書で「心神喪失の情況にあった」旨の記載があっても、これを受けて裁判所が、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判断し、刑法39条の心神喪失ではなく、心神耗弱であったと判断されています。

最高裁判所昭和59年7月3日判決
『 なお、被告人の精神状態が刑法三九条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であるから専ら裁判所の判断に委ねられているのであつて、原判決が、所論精神鑑定書(鑑定人に対する証人尋問調書を含む。)の結論の部分に被告人が犯行当時心神喪失の情況にあつた旨の記載があるのにその部分を採用せず、右鑑定書全体の記載内容とその余の精神鑑定の結果、並びに記録により認められる被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して、被告人が本件犯行当時精神分裂病の影響により心神耗弱の状態にあつたと認定したのは、正当として是認することができる。』

4、 前記の通り、刑法39条の心神耗弱は極めて限定的に解釈されていますが、精神疾患によって、全く起き上がることができないとか、外出できないというような状態に至っている場合には、刑事訴訟規則183条3項を根拠として任意出頭を延期できないかどうか、警察署と交渉する余地はあります。

刑事訴訟規則第183条(不出頭の場合の資料)
第1項 被告人は、公判期日に召喚を受けた場合において精神又は身体の疾病その他の事由により出頭することができないと思料するときは、直ちにその事由を記載した書面及びその事由を明らかにすべき医師の診断書その他の資料を裁判所に差し出さなければならない。
第2項 前項の規定により医師の診断書を差し出すべき場合において被告人が貧困のためこれを得ることができないときは、裁判所は、医師に被告人に対する診断書の作成を嘱託することができる。
第3項 前二項の診断書には、病名及び病状の外、その精神又は身体の病状において、公判期日に出頭することができるかどうか、自ら又は弁護人と協力して適当に防禦権を行使することができるかどうか及び出頭し又は審理を受けることにより生命又は健康状態に著しい危険を招くかどうかの点に関する医師の具体的な意見が記載されていなければならない。

 この刑事訴訟規則183条は、起訴後の公判期日において出頭困難の場合を規定するものですが、捜査段階においてもその趣旨は同様であるとして弁護人から捜査機関に交渉することは可能と考えられます。

 この際提出すべき診断書は、『病名及び病状の外、その精神又は身体の病状において、公判期日に出頭することができるかどうか、自ら又は弁護人と協力して適当に防禦権を行使することができるかどうか及び出頭し又は審理を受けることにより生命又は健康状態に著しい危険を招くかどうかの点に関する医師の具体的な意見が記載されていなければならない』とされていますから、弁護人が被疑者の主治医のところに面会に行って、診断書の必要性を説明し、このような診断書の作成が可能かどうか、要請・依頼することが必要でしょう。要するに、このタイミングで事情聴取のための任意出頭をすることにより病状に深刻な悪影響があって、場合によっては生命の危険もあるということを主治医が書いてくれるかどうかがポイントになります。


5、 また、精神疾患と服用している薬物の影響で犯罪行為を犯してしまったということであれば、病気が原因で規範意識に直面することができなかったので責任非難を軽減させるべきであるということを、警察官や検察官に対して有利な情状として主張立証し、微罪処分や不起訴処分や略式命令手続きを要請する弁護活動をすることが考えられます。お近くの弁護士事務所にご相談され、経験のある弁護士に弁護人活動を依頼されると良いでしょう。

※微罪処分の根拠規定=刑訴法246条但し書き
刑事訴訟法第246条 司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。
※不起訴処分の根拠規定
刑事訴訟法第248条 犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。
※略式命令(罰金刑)手続きの根拠規定
刑事訴訟法第461条 簡易裁判所は、検察官の請求により、その管轄に属する事件について、公判前、略式命令で、百万円以下の罰金又は科料を科することができる。この場合には、刑の執行猶予をし、没収を科し、その他付随の処分をすることができる。


<参考条文>
刑法第38条(故意)
第1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
第2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
第3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。


刑法第68条(法律上の減軽の方法)
法律上刑を減軽すべき一個又は二個以上の事由があるときは、次の例による。
一号 死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする。
二号 無期の懲役又は禁錮を減軽するときは、七年以上の有期の懲役又は禁錮とする。
三号 有期の懲役又は禁錮を減軽するときは、その長期及び短期の二分の一を減ずる。
四号 罰金を減軽するときは、その多額及び寡額の二分の一を減ずる。
五号 拘留を減軽するときは、その長期の二分の一を減ずる。
六号 科料を減軽するときは、その多額の二分の一を減ずる。

第25条(執行猶予)
第1項 次に掲げる者が三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から一年以上五年以下の期間、その執行を猶予することができる。
第一号  前に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
第二号  前に禁錮以上の刑に処せられたことがあっても、その執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から五年以内に禁錮以上の刑に処せられたことがない者
第2項 前に禁錮以上の刑に処せられたことがあってもその執行を猶予された者が一年以下の懲役又は禁錮の言渡しを受け、情状に特に酌量すべきものがあるときも、前項と同様とする。ただし、次条第一項の規定により保護観察に付せられ、その期間内に更に罪を犯した者については、この限りでない。


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