医師が人身事故を起こした際の対応について
行政|医道審議会|手続き|対策|医師の資格を持つ者の利益と医療体制について保護される国民の利益の対立
目次
質問:
私は、都内でクリニックを開業する医師です。4ケ月ほど前、自動車を運転している際に、私の前方不注視が原因で、横断歩道上の歩行者に接触してしまい、骨折を伴う怪我を負わせてしまいました。経過は良好で、後遺障害が残ることもないようですが、まだ完治はしていないようで、通院治療も継続しているとのことです。
先日、この件で、書類送検先の検察庁から呼び出しがあり、事情聴取を受けたのですが、私の過失が大きいことや、被害者の怪我の程度も比較的重いことから、罰金にするか公判請求にするか微妙なところであり、今後処遇が決まり次第連絡するとの話がありました。
飲酒運転や轢き逃げ等の特殊な事案でなくとも、公判請求されてしまうことはあるのでしょうか。本件が医道審議会の対象となることは避けたいのですが、何か手立てはありますでしょうか。
回答:
1 本件事案では、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(以下「自動車運転行為処罰法」といいます。)第5条に規定されている過失運転致傷罪が成立します。実務上、過失運転致傷単体の事案であっても、専ら運転者の過失によって全治3ヶ月を超える怪我や後遺障害を伴う怪我を負わせたような事案は、公判請求されてしまう可能性があります。
本件でも、このまま放っておけば公判請求されてしまう可能性があり、注意が必要です。
2 法務省から厚生労働省への情報提供制度によれば、医師又は歯科医師に対して「罰金以上の刑が含まれる事件」で公判請求した事件又は略式命令を請求した事件について、法務省から厚生労働省に対し、公訴事実の要旨、判決結果及び事実の要旨(控訴審、上告審を含む)を情報提供する運用がとられています。
ただし、軽微な事件については、公判請求事件に限るとされております。ここでいう軽微な事件について、明確な運用基準は不明ですが、過去の事例から判断するに、その典型例としては、悪質性の低い交通事犯(速度超過や過失運転致傷単体で罰金となった場合など)が挙げられます。
本件事案は、過失運転致傷の事案ですから、仮に略式罰金で済んだ場合は、厚生労働省に情報提供される可能性は低いと考えられます。他方で、公判請求されてしまった場合は、情報提供の対象となり、将来、医道審議会の審議を経て行政処分を受けることになってしまいます。
3 公判請求を回避し、罰金以下に止めるための方策としては、任意保険会社による被害弁償とは別に、見舞金を支払うことを条件とした示談合意書の取交しを行うことが考えられます。示談合意書により、被害者の宥恕の意思が明確になれば、通常は罰金以下の処分で済みます(不起訴となる場合もあるでしょう)。罰金も前科ですから、前科が付くこと自体に抵抗がある場合は、見舞金の金額を調整する他、被害者から不起訴処分の嘆願を取り付けるなど、特別な手当てをすることが肝要です。
公判請求されてしまってからでは手遅れですから、起訴前の弁護活動が大変重要となります。弁護士へのご依頼を早めに検討されることを推奨いたします。
4 関連事例集1489番他参照。その他、医道審議会に関する関連事例集参照。
解説:
第1 過失運転致傷罪の量刑について
過失運転致傷罪の法定刑は、7年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金と規定されております(自動車運転行為処罰法第5条)。
人身事故事案において、公判請求されて正式裁判となるケースは、酒気帯び運転や救護義務違反等、道路交通法違反の罪が併合処理されるような悪質な事案に限られると誤解されがちですが、必ずしもそうとは限りません。
たしかに、統計上、過失運転致傷単体の刑事処分は、多くの場合が不起訴か罰金で済んでおり、公判請求される事案は少ないといえます。令和5年版犯罪白書によれば、令和4年に検挙された過失運転致傷事案約28万件の処遇割合について、不起訴が84.2%、略式命令請求が11.7%、家庭裁判所送致(少年事件の場合)が2.7%、公判請求が1.4%との統計が出ており、公判請求の割合は少ないことが分かります。
とはいえ、約4000件は公判請求されているのであり、運転者の過失の程度や被害者の怪我の程度によっては、略式罰金に止まらず、公判請求されてしまう場合もある、ということは念頭に置いておく必要があります。おおよその目安ですが、実務上、専ら運転者の過失によって全治3ヶ月を超える怪我や後遺障害が残るような怪我を負わせた人身事故事案は、公判請求されてしまう可能性が出てきます。
本件でも、このまま放っておけば公判請求されてしまう可能性が否定できず、注意が必要です。
第2 医師(歯科医師)の刑事事件に関する情報提供制度について
医師(歯科医師)の刑事事件が確定した場合に、検察庁から厚生労働省に情報提供をすべきことについて、特に法令に根拠規定があるわけではありません(医師法にもそのような定めはありません。)。
しかし、実務上は、厚生労働省と法務省(検察庁)の合意により、判決確定後に、法務省から厚生労働省に情報提供する運用がとられています。
平成16年2月24日に公表された、『「罰金以上の刑に処せられた医師又は歯科医師」に係る法務省からの情報提供体制について』の内容を以下引用いたします。
(参考URL)
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/02/h0224-1.html
「罰金以上の刑に処せられた医師又は歯科医師」に係る法務省からの情報提供体制について「罰金以上の刑に処せられた医師又は歯科医師」に係る情報提供について、法務省に協力依頼を行っていたところ、今般、各検察庁に対し通知していただいたところ。概要は下記のとおり。
1 情報提供の対象となる職種
職業が医師又は歯科医師と判明した者
2 情報提供の内容
○情報提供の対象となる事件の範囲
「罰金以上の刑が含まれる事件」で公判請求した事件又は略式命令を請求した事件
(ただし、軽微な事件については、公判請求事件に限る)
○情報提供の内容
・公訴事実の要旨
・判決結果及び事実の要旨(控訴審、上告審を含む)
3 情報提供開始時期
○ 通知日(2月23日)以降、起訴又は判決が行われる都度、順次、法務省から情報を提供いただく。
※提供された情報を厚生労働省で調査のうえ、行政処分を審議する
上記運用によれば、軽微な事件については、公判請求事件に限り情報提供の対象とするものとされておりますが、ここでいう軽微な事案の明確な運用基準は特に公表されておらず、不明です。ただ、過去の事例から判断するに、その典型例としては、悪質性の低い交通事犯(速度超過や過失運転致傷単体で罰金となった場合など)が挙げられます。
本件事案は、過失運転致傷単体の事案で、酒気帯び運転や救護義務違反等の類型的に悪質性の高い事案とは異なり、交通事犯の中では軽微な部類といえます。そのため、仮に略式罰金で済んだ場合は、厚生労働省に情報提供される可能性は低いと考えられます。
他方で、公判請求されてしまった場合は、情報提供の対象となり、将来、医道審議会の審議を経て行政処分を受けることになってしまいます。
第3 処分軽減に向けた弁護活動
1 被害者との示談
公判請求を回避し、罰金以下に止めるための方策としては、任意保険会社による被害弁償とは別に、見舞金を支払うことを条件とした示談合意書の取交しを行うことが考えられます。
示談合意書により、被害者の宥恕の意思が明確になれば、通常は罰金以下の処分で済みます(不起訴となる場合もあるでしょう)。なお、罰金も前科ですから、前科が付くこと自体に抵抗がある場合は、見舞金の金額を増額調整する他、被害者から不起訴処分の嘆願を取り付けるなど、特別な手当てをすることが肝要です。この辺りは、刑事弁護人がどこまで手を尽くしてくれるかという熱量、技量に左右される面もあるといえます。
2 弁済供託、贖罪寄付
仮に被害者との示談協議が難航し、合意の取交しが困難な場合は、見舞金の支払いだけ済ませるか、それも難しい場合は示談金相当額を管轄の法務局に弁済供託(民法494条1項1号)し、債権を消滅させることで(同条2項)、事実上被害弁償を行った状態を作出することなどが考えられます。
その他、社会に対する贖罪の意思を示すという趣旨から、交通遺児育英会や弁護士会などの任意の団体へ贖罪寄付を行うというのも、1つの方法です。
万が一示談が成立しなくとも、可能な限りの手段を尽くすことで、罰金以下で済む可能性が高まります。
第4 まとめ
本件のように、当時はそこまで大ごとにはならないだろうと思っていても、予想に反して厳しく取り締まりを受けてしまうことは良くあることです。
自身の行為について当然反省はすべきですが、防御の機会も確保されなければなりません。本件は、弁護人の活動により不起訴にできる可能性がありますので、前科を回避したい意向が強い場合は、早期段階から弁護人の選任を検討されると良いでしょう。
以上