新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.748、2008/2/5 13:37 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm

【民事・賃貸借契約終了に伴う通常損耗は賃借人が負担するという特約は有効か】

質問:私は、賃貸マンション建物の賃借人です。私は、4年前に不動産業者と賃貸期間を2年として建物賃貸借契約を締結し、賃貸借契約書に署名・押印しました。その賃貸借契約書には、「賃借人は、本物件内の動産及び賃貸人の承諾を得ていたか否かに関わりなく、設置した造作を撤去し、畳表の裏返しまたは張り替え・襖の張り替え及びはハウスクリーニングを行なった上で、本物件を明け渡すものとする。」という内容の原状回復特約が付されていました。賃貸借契約にあたり上記特約の説明も一応されましたが、上記特約に従わなければ契約には応じられないと言われたため、かかる特約に従うのもやむをえないと思い、かかる内容で契約を締結したのです。その後、転勤に伴い契約を終了することとし、その旨不動産業者に伝えたところ、ハウスクリーニング代、リフォーム工事費用などさらに20万円程度の支払いを要求されました。私としては、契約締結に際し敷金として30万円を支払っていましたので、特約により敷金の一部が返還しないことは予想していましたが、敷金が一切返還されず、さらに支払いを要求されるとは思っていませんでした。不動産業者の言うとおりにさらに20万円を支払う必要があるのでしょうか。

回答:
1、本件原状回復特約は公序良俗(民法90条)に違反しており基本的に無効です。賃借人は、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等に該当する修繕費用等以外は負担する義務はありません。しかし、本件特約は、賃貸借に伴い自然に生じる「通常損耗」について補修し現状を回復する義務を当然に賃借人に認めており著しく適性、公平の理念に反するからです。

2、契約自由の原則から、本件特約が有効であると認められるためには、特約をつける「客観的合理性」があり、賃借人にその合理性及び内容を個別具体的に詳細に説明し、賃借人がその内容、合理性を理解したうえで特約を了解する意思表示が必要です。

3、貴方の負担すべき原状回復費用は、内容について十分なる説明があったか、各項目について個別具体的に賃借人が負担するのが相当か(合理性があるか)を検討しますので、貴方が、やむを得ず特約を了解した事情の下では通常損耗について費用を負担する義務はありません。貴方が負担するのは善管注意義務に違反したことにより生じた修繕費、及び賃借人の通常の使用を超えたことにより生じた修繕費という事になります。

解説:
1、先ず貴方が契約した「原状回復特約」の有効性について考えて見ます。

2、では問題点はどこにあるでしょうか。貴方はマンションの賃貸借契約を締結し、4年間使用後合意解約していますから、マンションから立ち退き賃貸人に対して賃貸前の現状に戻して返却する必要があります(民法616条、使用貸借597条1項、598条の準用)。598条、597条1項は「借主は借用物を原状に復してこれに付属せしめたるものを収去する事が出来る」「借用物の返還をしなければならない」と規定しているだけで、具体的原状回復の程度内容について明らかにしていませんし、貴方が納得して署名した契約書の特約には貴方の全責任を明らかにしていますから、契約自由の原則から業者の請求は正当な様にも思えます。しかし、貴方は居住用として賃借していますから、居住用としてその目的に従い使用する権利があり、義務(善管注意義務。賃借人として通常の人が負担する注意義務があります。事例集bU92参照)を有しますから、居住の目的に従い使用し現状のまま返還すれば何も問題はないはずです。もし故意、過失、通常の使用法に反して居住し賃貸人に損害を与えた場合は、民法の一般原則に従い債務不履行責任、不法行為責任を負えばいいはずです。従って、この特約がそういう意味内容であれば何も法的に問題がありませんが、文言から賃借人の責任の如何を問わず賃借人に全て賃貸前の真新しい状態に戻し返還する義務すなわち「通常損耗(賃借物を契約に従い使用することから自然に生じる損耗)」の修繕原状回復義務を課していると読めますから、公平の理念上賃借人に著しく不利益な内容でありその効力が民法の一般原則である公序良俗違反(民法90条)として無効になるかどうか問題となります。

3、この点、通常損耗を賃借人が負担するという事は賃貸借契約の性質上認められませんし、賃貸人との特約によって賃借人が負担すると定めても原則的に無効です。例外的に、通常損耗を賃借人が負担する合理的な理由があり、且つ、通常損耗の内容、合理性を個別具体的に賃借権者に詳細に説明し納得の上同意する意思表示があった場合は有効となります。

4、理由をご説明します。
(1)賃貸人の不動産業者から言えば、納得して署名した以上契約自由の原則から有効にも思えますが、私的自治の大原則、契約自由の原則の目的は適正公平な取引秩序の建設完成でありますから、この原則には性質上内在する原理として信義誠実、適正公平の原則、権利濫用禁止の法理が存在するのです(憲法12条、民法1条、民法90条)。従って、いかなる契約においても納得して署名したとの理由のみで有効であるということは出来ませんから、権利の性質、当事者の力関係、対等性、具体的不都合性を個別具体的に検討して法の理想から判断することになります。

(2)検討する前に不動産賃貸借契約当事者の特殊性を考慮する必要があります。賃貸人は通常賃貸不動産について所有権を有していますから所有権絶対の原則(憲法29条)により強力な権限を有し利用権に細分化し賃貸し金銭的対価を得て使用収益を上げる立場にあります。他方賃借人は、性質上生活の基本である居住権等の確保を目的とし単なる利用権者として経済的に常に弱い立場にあり契約当初から実質的に不平等な力関係にあります。従って、契約内容が賃貸人に有利に締結される危険を常に有している状態にあり、公平、対等の原則から一方的に賃借人に不利益な契約は許されず、一般原則により修正し実質的公平を確保する必要があります。借地借家法37条はその現れです。

(3)賃貸借契約終了時の原状回復については使用貸借の規定(594条、598条)を準用しており、使用貸借とは契約の目的に従い無償にて使用収益し返還時期に付属したものを収去して、そのままの状態で返却すればよく自然に生じた通常損耗を負担する必要はありません。もし負担する事になれば無償で貸借した意味がなくなるからです。598条の原状回復はこのように解釈されます。この点争いはありません。そうであれば、賃貸借契約は有償(賃料)の点しか使用貸借と差異がありませんから、金銭的対価、賃料を支払っている賃借人がその上通常損耗を負担する事はありえないわけです。

(4)又、そもそも賃貸借契約は賃貸人が賃借人に対して目的物を使用収益させ対価として賃料を取得する有償双務契約であり、契約の性質上目的物の通常損耗はすでに予定されており賃貸人は承知の上で契約を締結しその損失も含めて賃料を設定しているはずです。賃借人は、賃貸物の通常使用の対価を賃料という形で支払っており通常損耗による損害は既に賃料に内包されていると考えられます。以上より、通常損耗は賃貸借の理論上、性質上賃借人が負担する事がありえない損失なのです。このような、賃借人が本来負担するはずがない損害を当事者の特約により認めるためには、おのずから法的に是認できる合理的相当な理由が必要ですし、合理的理由の他に、通常損耗を負担する内容、程度を具体的詳細に賃借人に説明し不利益を被る賃借人がこれを十分納得した上で意思表示することが必要です。

(5)以上のような事情がないのであれば、賃借人は実質的力関係によりやむを得ず契約に署名捺印したと推測せざるを得ないことになります。契約当事者は常に対等で自由意思により契約出来なければなりませんから、当該特約は契約内容の不合理性を示すもので適正公平な公の秩序に反し無効と言わざるを得ません(90条違反)。

(6)従って、合理性、相当性、個別具体的な内容、程度の立証責任は挙証責任分配の原則(事例集bV04号)の基本理念たる公平の原則から立証により特に利益を受ける賃貸人に科せられる事になりますから、賃借人は単にその立証を求めればよく、もしそれらの要件が明らかに成らなければ特約は無効ということになります。

(7)平成13年に改正施行された消費者契約法との関係をご説明します。消費者契約法は、第1条の目的に述べられているように、私的自治の原則の目的である適正公平な取引秩序を維持するため、実質的に取引関係上力量(経済力、情報力、組織力)に差がある事業者と一般消費者の契約を規制し消費者に契約の解除権、取消権、無効主張権等を付与するものです。本件も、賃貸人が不動産業者であり、貴方は一般消費者ですから消費者契約法10条の適用が問題となります。本特約は、通常損耗の義務を消費者たる賃借人に認めて民法上の賃借人の一般的義務を更に加重していますから「民法の規定の適用による場合に比し、消費者の義務を加重する消費者契約の条項」に当たりますし信義則、公正、公平上是認できませんから「民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」という本条の要件にも該当しますから消費者契約法の面からも無効ということになります。

(8)国土交通省住宅局(財)不動産適正取引推進機構が平成16年2月発行提示している原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(改訂版)は、基本的に賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等についてのみ賃借人の負担としています。民法の解釈上適正な運用と考えられます。

5、では、本件特約を検討してみましょう。この内容は明らかに公序良俗に違反しており無効です。貴方は、一般の不動産業者と交渉の結果このような特約を締結していますから通常損耗について得に不利益を受ける合理的理由は一切存在しません。賃料も特に低額に設定された形跡もありませんし、通常損耗負担の不利益を受けなければならない事情となるものがご質問からは伺えません。更に、この特約は、通常損耗について詳細な記載、負担限度、内容、計算方法も記載されておらず一方的且つ不公平で、賃借人に著しく不利益であり法の理想から到底是認することは出来ません。以上より、貴方は自らの故意過失による損害についてのみ原状回復義務があり賃貸人に再度修理費の計算をやり直すように請求できる事になります。

6、それでは主要な裁判例をご紹介いたします。
(1)最高裁判所第二小法廷平成16年(受)第1573号、平成17年12月16日判決(敷金返還請求事件)
@判決内容「賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。

(2)これを本件についてみると、本件契約における原状回復に関する約定を定めているのは本件契約書22条2項であるが、その内容は上記1(5)に記載のとおりであるというのであり、同項自体において通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているということはできない。また、同項において引用されている本件負担区分表についても、その内容は上記1(6)に記載のとおりであるというのであり、要補修状況を記載した「基準になる状況」欄の文言自体からは、通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない。従って、本件契約書には、通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は、本件契約を締結する前に、本件共同住宅の入居説明会を行っているが、その際の原状回復に関する説明内容は上記1(3)に記載のとおりであったというのであるから、上記説明会においても、通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。そうすると、上告人は、本件契約を締結するに当たり、通常損耗補修特約を認識し、これを合意の内容としたものということはできないから、本件契約において通常損耗補修特約の合意が成立しているということはできないというべきである」

Aこの判決は、公的色彩の強い地方住宅供給公社作成の原状回復について詳細に記載した契約書について「通常損耗」の明確な記載、十分な説明がないとして賃借人保護のため無効としており、契約自由といいながら実質的にはいかなる場合も通常損耗を賃借人には認めない趣旨と読み取ることも出来ます。大阪高裁判決を破棄していますが、妥当な判決です。

(2)敷金返還請求控訴事件、大阪高等裁判所平成17年(ネ)第3567号、平成18年5月23日判決  「本件賃貸借契約書22条1項は、賃借人が通常損耗について補修費用を負担すること及び賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲を明記するものでないことは明らかであり、本件賃貸借契約において、通常損耗分について控訴人が原状回復義務を負う旨の特約があることを認めることはできないと判決し、原判決を破棄しました。妥当な結論です。

(3)平成16年3月16日 京都地方裁判所 平成15年(ワ)第162号。建物賃貸借契約に付された自然損耗及び通常の使用による損耗について賃借人に原状回復義務を負担する特約は消費者契約法10条により無効であると判決しています。当然の判決です。

(4)平成16年10月29日 東京簡易裁判所 平成16年(小コ)第1844号
(ア)私的自治の原則、契約自由の原則から、経年の変化や通常損耗に対する修繕義務を賃借人に負わせることも不可能ではないとして、「通常損耗」の原状回復特約が有効となる条件は、以下の通りであり、その立証責任を転換し賃貸人に負わせています。
@その特約の必要性があり、暴利的でない等の客観的、合理的理由があること
A賃借人が通常の現状回復義務を超えた修繕等の義務を負担することの説明を受け、理解し、納得していること
B賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること
C妥当な解釈です。
(イ)ただ、仮に特約が有効であるとしても、実際の原状回復等の各項目・額について賃借人負担が相当かどうかについては以下の点を検討する必要性を明らかにしています。
@賃借人が賃借した時の状況、明渡し時の状況、賃借期間等。
A賃借人の通常使用による損耗・汚損の程度(通常損耗)、
B経年劣化等によるものか、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常損耗を超える使用による損害に当たるかどうか。
C以上諸般の事情を考慮し、賃借人が負担すべき損害として原状回復等の各項目・額が相当か否かを個別に判断するものとしました。
D適正な判断でしょう。

≪条文参照≫

憲法
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

民法
(基本原則)
第一条  私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3  権利の濫用は、これを許さない。
(解釈の基準)
第二条  この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。
(借主による使用及び収益)
第五百九十四条  借主は、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない。
(借主による収去)
第五百九十八条  借主は、借用物を原状に復して、これに附属させた物を収去することができる。
(使用貸借の規定の準用)
第六百十六条  第五百九十四条第一項、第五百九十七条第一項及び第五百九十八条の規定は、賃貸借について準用する。

借地借家法
(強行規定)
第三十七条  第三十一条、第三十四条及び第三十五条の規定に反する特約で建物の賃借人又は転借人に不利なものは、無効とする。

消費者契約法
第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について契約の申込み又はその承諾の意思表示を取り消すことができることとするとともに、事業者の損害賠償の責任を免除する条項その他の消費者の利益を不当に害することとなる条項の全部又は一部を無効とすることにより、消費者の利益の擁護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
(定義)
第二条  この法律において「消費者」とは、個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。
2  この法律において「事業者」とは、法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。
3  この法律において「消費者契約」とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう。
第二章 消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示の取消し
第三章 消費者契約の条項の無効
(事業者の損害賠償の責任を免除する条項の無効)
第八条  次に掲げる消費者契約の条項は、無効とする。
第十条  民法 、商法 (明治三十二年法律第四十八号)その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。

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