新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.747、2008/2/4 16:40 https://www.shinginza.com/qa-fudousan.htm

【民事・賃貸借契約終了に伴う通常損耗は賃借人が負担するという特約は有効か】

質問:私は、賃貸マンション建物の賃借人です。私は、4年前に不動産業者と賃貸期間を2年として建物賃貸借契約を締結し、賃貸借契約書に署名・押印しました。その賃貸借契約書には、「賃借人は、本物件内の動産及び賃貸人の承諾を得ていたか否かに関わりなく、設置した造作を撤去し、畳表の裏返しまたは張り替え・襖の張り替え及びはハウスクリーニングを行なった上で、本物件を明け渡すものとする。」という内容の原状回復特約が付されていました。賃貸借契約にあたり上記特約の説明も一応されましたが、上記特約に従わなければ契約には応じられないと言われたため、かかる特約に従うのもやむをえないと思い、かかる内容で契約を締結したのです。その後、転勤に伴い契約を終了することとし、その旨不動産業者に伝えたところ、ハウスクリーニング代、リフォーム工事費用などさらに20万円程度の支払いを要求されました。私としては、契約締結に際し敷金として30万円を支払っていましたので、特約により敷金の一部が返還しないことは予想していましたが、敷金が一切返還されず、さらに支払いを要求されるとは思っていませんでした。不動産業者の言うとおりにさらに20万円を支払う必要があるのでしょうか。

回答:
1、本件の賃貸借契約では、賃貸借終了時に本物件を契約締結時の状態に服して返還するという特約(いわゆる原状回復特約)が付されておりますが、このような特約は、一般法規である公序良俗(民法90条)若しくは一方的に消費者に不利な条項を禁止する消費者契約法10条などに違反し原則として無効と考えられます。即ち、賃借人が原状回復義務を負担するのは、賃借人の側に故意・過失や善管注意義務違反がある場合以外では、当事者間の特約によっても通常の使用を超えるような使用による損耗(「特別損耗」)がある場合に通常限定されます。ところが、本件特約では、賃貸借に伴い自然に生じる「通常損耗」についても当然に現状を回復する義務を賃借人に認め賃借人に一方的に不利な内容となっており、著しく適性、公平の理念に反することから、そのような特約は無効と考えられるからです。

2、以上より、貴方の負担すべき原状回復費用としては、不動産業者のいうとおりに修繕費用等の全額を賃借人の側で負担する必要はありません。ハウスクリーニング代、リフォーム工事費用などのうちでも、いわゆる通常損耗といえる部分については賃貸人の側が負担すべきなのです。従って、貴方の今後の対応としては、20万円を支払う前に不動産業者に対し、修繕される各項目や、各項目ごとの詳細な諸費用、各項目の具体的工事内容、必要性(合理性、相当性)などの詳細について書面で要求し、通常損耗の部分の支払には応じないという断固とした態度を示しつつ、不動産業者の側がかたくなに20万円の支払を求めてきたような場合には弁護士と協議しつつ慎重に対応をするというのが良いと思います。

解説:
1、本件の争点は、建物賃貸借契約における「原状回復特約」の有効性にあります。

2、ここで、賃借人がマンションの賃貸借契約を合意解約により終了する場合、賃借人としては、マンション立ち退きに際し、原状に戻して賃貸人に返還する必要がございます(民法616条が同597条1項、598条の使用貸借の規定を準用。)。ただ、例えば、民法620条では、継続的契約関係である賃貸借契約の解除をいわゆる「告知」としての性格を有するものとし、遡及効がないことを宣名にしております(つまり、将来に向かってのみ効力を生じるのです。)。このような民法620条の規定の趣旨などを考慮すると、賃貸借契約のような継続的契約においては、契約を終了する場合、賃借人はとりあえず自分の持ち物を収去した上で契約終了時の建物の現状のまま返還をすれば足りるという解釈が成り立ちえると思われます。ただ、賃貸借契約も契約でありますから、契約自由の原則が妥当する範囲で当事者間において民法等の条項に反する内容の特約をすることは自由です。しかし、特に建物所有目的の建物賃貸借においては、賃借人の居住の利益を重視して、賃貸借契約の締結時・契約期間中・終了時を問わず、契約自由の原則の妥当する範囲は自ずと制限されます(借地借家法第10条などが民法の特別法として主に賃借人保護の立場から強行法規として借地借家法に反する内容の特約を締結する自由がないことを規定していることから明らかであります。)

そもそも、建物賃借人は、通常の用法に従い居住する限り、賃借人としての(善管注意)義務を尽くしたといえるのであり、通常の用法に従い利用を継続し賃借人の利用方法に問題がないのであれば、特約によってもそのような通常の用法に従い生じた損耗(通常損耗)について金銭的な責任を負わないものとするのが賃借人保護の見地から妥当であり、借地借家法の趣旨にも適すると考えられます。とするならば、原状回復特約の内容が通常損耗を含まない趣旨かどうかという観点に従って契約の有効性を判断すべきこととなります。さらに、全く内容的に無限定に(通常損耗を含め)原状回復義務を認めるような内容の特約については、賃借人に一方的に不利益な内容であり、賃借人の保護を図った借地借家法の趣旨に反し、実質的な公平の理念に反する為、民法の一般原則である公序良俗に違反(民法90条)して無効とすべきと考えます。ただ、原状回復義務に通常損耗を含む内容が含まれている場合でも、通常損耗を賃借人が負担する合理的な理由がある場合であり、且つ、通常損耗の内容、合理性を個別具体的に賃借権者に詳細に説明し納得の上同意する意思表示があった場合などの例外的場合においては、その特約を有効と解する余地があります。

3、以下に上記の結論に至る理由を補足してご説明します。
(1)契約自由の原則と民法90条(公序良俗)との関係
民法90条は、いわゆる公序良俗について規定し、法律行為が法律の明文に反しないような場合でも、それが社会的妥当性を持たないものと判断される場合、法律効果を与えないこととしております。そもそも、私的自治の原則、契約自由の原則自体、適正公平な取引秩序の建設完成という点に究極的な目的があるのであり、この原則に性質上内在する原理として信義誠実、適正公平の原則、権利濫用禁止の法理などが明文化されてもおります(憲法12条、民法1条、民法90条)。このように、民法90条は私法の一般条項として、契約自由の原則の濫用を是正し、社会的妥当性に反する内容の特約を無効と判断することとして適正公平な取引秩序維持を図った規定ということとなります。具体的に同条に反するかどうかは、権利の性質、当事者の力関係、具体的不都合性などを個別具体的に検討して法の理想から判断することになります。

(2)建物賃貸借契約(特に借家)の特殊性
(所有権を有する)賃貸人は、所有権絶対の原則(憲法29条)により強力な権限を有し、その一環として、その土地を他人に賃貸し使用収益を上げる立場にあります。他方、建物賃借人は生活の基礎的条件である居住権等の確保を目的とするものであり、単なる利用権者として通常経済的に弱い立場にあり、賃貸人とは契約締結段階から契約内容の点を対等に話し合うことなど期待出来ません。当然のことながら、賃貸借契約締結にあたり契約自由の原則を重視すると賃貸人に有利な内容の契約が締結される危険があるのであり、一方的に賃借人に不利益な契約は許されず一般原則により修正し実質的公平を確保する必要から公序良俗に反するとして私法の一般条項により修正する必要性が高いのです。なお、例えば、借地借家法37条(強行規定)が同法第31条、第34条、第35条に反する特約で賃借人に不利なものを無効と規定するのは実質的な公平に配慮したものといえます。

(3)原状回復特約と民法90条との関係(あてはめ)
上記のように、建物賃貸借では、賃借人の居住の利益を保護する必要性が高いこと、にも拘らず、賃貸人と賃借人では通常賃貸人側の力関係が強く契約締結段階において賃貸人に一方的に有利な内容での契約を賃借人が強いられる可能性があること、契約締結段階で賃貸人が通常損耗も含めて原状回復を求めることは、特に賃貸期間が長期となった場合に不利益が大きいこと、そもそも、賃貸借契約は賃貸人が賃借人に対して目的物を使用収益させ、その対価として賃料を取得する有償双務契約であるところ、契約に従い目的物を利用すれば目的物は通常の使用方法でも損耗する以上、目的物を使用収益する対価としての賃料において通常損耗の損失分は折込み済みと考えられることなどの諸事情を考慮すると、無限定に通常損耗を含めて賃借人に原状回復の負担を強いる特約は民法90条に違反すると解するべきであり、例外的に原状回復特約を肯定するには、合理的相当な理由があり、しかも、通常損耗を負担する内容、程度、を具体的詳細に賃借人に説明し不利益を被る賃借人がこれを十分納得した上で意思表示をしたというような賃借人が一方的に不利とはいえない特段の事情の存在を賃貸人の側で立証する必要があると限定的に考えるのが妥当といえます。

(4)原状回復特約と消費者契約法10条との関係
消費者契約法(平成13年施行)の目的は、適正公平な取引秩序を維持するため、実質的に取引関係上力量(経済力、情報力、組織力)に差がある事業者と一般消費者の契約を規制し消費者に契約の解除権、取消権、無効主張権等を付与する点にあります(同法1条)。ここで、賃貸人が不動産業者であり、貴方は一般消費者ですから消費者契約法が妥当し、消費者である賃借人の利益を一方的に害する原状回復特約が10条に違反し無効となるかが問題となります。本特約は、通常損耗の部分について消費者たる賃借人に原状回復を認めて民法上の賃借人の一般的義務を更に加重しており、「民法の規定の適用による場合に比し、消費者の義務を加重する消費者契約の条項」に該当すると共に、「民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」という本条の要件にも該当し消費者契約法10条に違反し原則として無効ということになります。

(5)原状回復特約とガイドラインとの関係
ガイドラインとは、国土交通省住宅局(財)不動産適正取引推進機構が平成16年2月に発行した原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(改訂版)を指します。ここでは、建物賃貸借契約における建物の損耗等を建物の減少と位置付けて賃借人の負担割合を検討するにあたり、損耗等を、@建物・設備等の自然的な劣化・損耗等(経年劣化)、A賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)、B賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等に区分し、損耗等を補修・修繕する場合の費用についてはBのみを賃借人の負担すべき費用と考えて、そもそも原状回復をして、賃借人が借りた当時の状態に戻すことではないことを明確にしたものであります。

上記ガイドラインは賃貸住宅標準契約書(平成5年1月29日住宅宅地審議会答申)などと同様、その使用を強制するものではなく、ガイドラインに違反する特約が当然に無効となるわけではありません。ただ、上記ガイドラインは、契約解釈の指針として機能し、実際上ガイドラインの基準を大きく超える内容の特約は、賃借人に著しく不利益な内容として上記の民法90条や消費者契約法10条に違反し無効と判断されます。実際上記ガイドラインはその公表後の賃貸借契約書に反映されており、裁判例でも無効となるか否かの基準として登場し、特約の有効性判断の重要な判断材料となっております。

(6)本事案における原状回復特約の有効性
本件特約は、通常損耗をほぼ無限定に賃借人に負担する内容となっており、通常損耗について、賃料を特に低額に設定するなど賃借人が負担する合理的理由は一切存在しません。また本件特約では、通常損耗について詳細な記載、負担限度、内容、計算方法も記載されておらず通常損耗の内容、合理性を個別具体的に賃借権者に詳細に説明し納得の上同意する意思表示があったともいえません。従って、賃借人の側に一方的且つ不公平で、賃借人に著しく不利益であり民法90条や消費者契約法10条に違反し無効となると考えられます。

(7)裁判例
(あ) 最高裁判所第二小法廷平成16年(受)第1573号、平成17年12月16日判決(敷金返還請求事件)
この判決は、公的色彩の強い地方住宅供給公社作成の原状回復について詳細に記載した契約書について「通常損耗」の明確な記載、十分な説明がないとして賃借人保護のため無効と判断しており、通常損耗に関し極力賃借人に負担させない趣旨と読み取ることも出来ます。大阪高裁判決を破棄しておりますが、妥当な判決です。本争点に関する非常に重要な判例でありますので、長いですが以下判例の重要部分を引用します。

「賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ,賃貸借契約は,賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ,建物の賃貸借においては,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると,建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから,賃借人に同義務が認められるためには,少なくとも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められるなど,その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。

(2)これを本件についてみると,本件契約における原状回復に関する約定を定めているのは本件契約書22条2項であるが,その内容は上記1(5)に記載のとおりであるというのであり,同項自体において通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているということはできない。また,同項において引用されている本件負担区分表についても,その内容は上記1(6)に記載のとおりであるというのであり,要補修状況を記載した「基準になる状況」欄の文言自体からは,通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない。したがって,本件契約書には,通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は,本件契約を締結する前に,本件共同住宅の入居説明会を行っているが,その際の原状回復に関する説明内容は上記1(3)に記載のとおりであったというのであるから,上記説明会においても,通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。そうすると,上告人は,本件契約を締結するに当たり,通常損耗補修特約を認識し,これを合意の内容としたものということはできないから,本件契約において通常損耗補修特約の合意が成立しているということはできないというべきである」

(い)その他の裁判例
平成16年3月16日 京都地方裁判所 平成15年(ワ)第162号等
建物賃貸借契約に付された自然損耗及び通常の使用による損耗について賃借人に原状回復義務を負担する特約は消費者契約法10条により無効であるとしました。
平成16年10月29日 東京簡易裁判所 平成16年(小コ)第1844号
私的自治の原則、契約自由の原則から、経年の変化や通常損耗に対する修繕義務を賃借人に負わせることも不可能ではないとして、立証責任を賃貸人に転換し,
あ その特約の必要性があり、暴利的でない等の客観的、合理的理由があること
い 賃借人が通常の現状回復義務を超えた修繕等の義務を負担することの説明を受け、理解し、納得していること
う 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること
の各要件を充足していることを賃貸人の側で立証できることを条件として原状回復特約を有効としました。
ただ、仮に特約が有効であるとしても、実際の原状回復等の各項目・額について賃借人負担が相当かどうかについて、賃借人が賃借した時の状況、明渡し時の状況、賃借期間等を前提として、
a 賃借人の通常使用による損耗・汚損の程度(通常損耗)、
b 経年劣化等によるものか、
c 賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常損耗を超える使用による損害に当たるか、(上記の国交省のガイドラインの基準参照)
等諸般の事情を考慮し、賃借人が負担すべき損害として原状回復等の各項目・額が相当か否かを個別に判断するものとしました。

≪条文参照≫

民法
(基本原則)
第一条  私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3  権利の濫用は、これを許さない。
(解釈の基準)
第二条  この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。
(借主による使用及び収益)
第五百九十四条  借主は、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない。
(借主による収去)
第五百九十八条  借主は、借用物を原状に復して、これに附属させた物を収去することができる。
(使用貸借の規定の準用)
第六百十六条  第五百九十四条第一項、第五百九十七条第一項及び第五百九十八条の規定は、賃貸借について準用する。

借地借家法
(強行規定)
第三十七条  第三十一条、第三十四条及び第三十五条の規定に反する特約で建物の賃借人又は転借人に不利なものは、無効とする。

消費者契約法
第一章 総則
(目的) 
第一条  この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について契約の申込み又はその承諾の意思表示を取り消すことができることとするとともに、事業者の損害賠償の責任を免除する条項その他の消費者の利益を不当に害することとなる条項の全部又は一部を無効とすることにより、消費者の利益の擁護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
(定義) 
第二条  この法律において「消費者」とは、個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。
2  この法律において「事業者」とは、法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。
3  この法律において「消費者契約」とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう。
第二章 消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示の取消し
第三章 消費者契約の条項の無効
(事業者の損害賠償の責任を免除する条項の無効)
第八条  次に掲げる消費者契約の条項は、無効とする。
第十条  民法 、商法 (明治三十二年法律第四十八号)その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。

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