新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.730、2007/12/25 16:45 https://www.shinginza.com/qa-roudou.htm

【民事・使用者責任・使用人の職務に関する従業員の不法行為による損害賠償請求・求償権行使の制限】

質問:私はトラック運転手として働いていますが、先日、過酷な勤務で寝不足だったこともあり、運転中に居眠りをしてしまい、追突事故を起こして被害者、会社の自動車を破損してしまいました。実は、この自動車には任意保険に入っていたのですが対物保険、車両保険には加入していなかったのです。その後、会社から、「会社が代わりに被害者に支払った賠償金、破損したトラックの修理代を負担してもらいます。毎月の給料から天引きします。」との通達を受けました。給料から天引きされてしまうと、手取りが少なくなり生活が苦しくなってしまいます。どうしたらよいでしょうか?

回答:
まず、あなたが事故を起こしてしまった原因について考えてみましょう。過酷な勤務で寝不足だった、とありますが、これがどの程度であったかによっては、あなたが修理代の全額を負担しなくてもよい場合があり得ます。会社が、速度超過や過積載、休憩時間の制限など、運転手が事故を起こしても仕方がないといえるような過酷な労働条件を要求していた場合や本件のように会社が契約する任意保険の内容が不十分で結果的にあなたの賠償義務が大きくなった場合、会社の事業の内容からして、一定の危険をはらんだ業務であり、それによって利益を上げている以上、一定のリスクも負担すべきと言える場合など、信義則に照らして、会社から従業員に対する損害賠償請求(ないし第三者に対して賠償した損害の求償)は制限される場合があります(昭和51年7月8日最高裁判例)。本事件に類似した判例がありますので、後でご紹介します。

解説:
1.前提の事実関係を整理してみましょう。
@いろいろな事情はあったとはいえ、あなたは居眠りをして交通事故を起こしていますから不法行為(民法709条)により、直接の被害者に対して賠償責任がありますし、同時に乗っていたトラックも勤務先のものとはいえ第三者の所有物ですから会社に対して賠償責任の問題が生じます。

A今回の事故は業務上生じていますから、勤務先会社は被害者に対して使用者責任(民法715条 利益を得ているものは無過失でも損失を負担するという報償責任を規定しています。無過失責任について事例集720号を参照してください)を負い、既に直接の被害者に対して賠償は終了したものと思われます。しかし、会社は直接の加害者ではありませんから事実上の無過失責任を負い、とりあえず不法行為者であるあなたに代わって被害者に対して支払ったということになり、事故を起こしたあなたに求償権を取得し賠償額の請求が可能になります(この点に争いはありません)。

B事故を起こしたあなたとしては、責任を感じていると思いますが、今回の事故は、内容がはっきりしませんが過酷な勤務もその一因のように思われますし、自己に直接の原因とならなくても運送会社が、対物保険、自損事故を対象とする車両保険に入っていないことにより、事実上あなたの損害賠償義務が拡大していることは事実です。そこで、以上のような事情があなたの賠償義務にどのような影響があるか問題となってきます。

Cあなたを救済できる規定が無いかどうか検討してみます。先ず、会社に対するトラックの修理代ですが、事故発生の一因が被害者である運送会社にもあれば、過失相殺の規定(民法722条)の適用が考えられます。ご相談では、過酷な勤務としかありませんので、どのような勤務内容かを明らかにして、当日の事故に影響し、事故発生との相当因果関係(事例集655号参照)が認められれば、その範囲で損害額が減少する事になります。例えば、速度超過や過積載、休憩時間の制限など、運転手が事故を起こしても仕方がないといえるような過酷な労働条件を要求していた場合等は、過失相殺の対象にならざるをえないでしょう。しかし、過酷な勤務状態でも事故発生の相当因果関係からいって過失相殺の対象にならないような場合でも、賠償請求に影響が無いか問題です。なぜなら、あなたはトラック運送会社の一労働者であり、他方会社は使用者として社会的経済的に強力な立場にあることから、損失の分担を考える必要があるからです。更に今回は、事故の直接の原因ではありませんが、運送会社として通常契約する車両保険が掛けられていませんので、あなたが生じた損害をすべて負担するのは公平上疑問が残ります。

D次に、会社のあなたに対する求償権の問題ですが、同様に、過酷な勤務が事故発生の相当因果関係にあれば、直接の被害者に対しては共同不法行為になりますから(民法719条 本条の「共同」の意味ですが判例上意思の連絡は不要であると解されています。)、会社はその責任範囲で自ら自己責任を負わなければならず、求償権が制限されますからあなたの賠償額は法的に必ず減額される事になります。しかし、事故と直接の相当因果関係にないような(相当でない)勤務条件や、対物保険の不加入は法的に減額事由として評価されませんが、間接的にあなたの賠償額を実質的に増加させていますから、これをどのように救済するか問題となります。

2.そこで当職としては、使用者が労働者の業務上生じた不法行為により、労働者に対し損害賠償請求する場合及び使用者責任を果たしたことにより労働者の責任分担を求める損害求償請求を行う場合は、法的に明確な減額理由が無くても、例外的に信義則、公平上(民法1条、憲法12条)、使用者の業務内容、規模、指示内容、損害発生の予防若しくは損失の分散への配慮、労働者の勤務態度、担当業務内容、等から使用者の請求すなわち労働者の責任を軽減する事が出来るものと解釈いたします。

3.理由をご説明いたします。
@ 過失責任が明らかな労働者の責任を減額するのは、使用者にとっては不満かも知れません。しかし、過失があるから責任を負わなければならないという過失責任主義は、契約自由の原則とともに私的自治の原則の両輪をなすものであり、その前提は当事者間が対等であることを前提とし、その目的はいうまでも無く自由意思、自由な取引による適正、公平な取引社会秩序の建設発展です。従って、私的自治の原則には当然に内在する大原則として信義誠実、権利濫用禁止、公平の原則が作用するのです。これを明らかにしたのが、民法1条、憲法12条です。そうであれば、資本主義国家においては、使用者、労働者は契約当初から力関係(資本力、組織力、情報力、等)において上下の差が明らかであり、日々の生活のために働き賃金を受け取るという性質上、及び命令従属の上下関係から常に対等な立場には無く、労働者の業務執行から生じた使用者との不法行為に関する法律関係の解釈においては、契約関係を規律した労働法の趣旨(事例集642号、700号を参照してください。)と同じように、公平上労働者側の立場、利益を最大限考慮する事が求められるのです。従って、法律上の根拠が無くとも双方の具体的事情を勘案し具体的利益考量が常に必要なのです。

A労働者の行為により使用者が結果的に損害を受け、使用者責任の履行により本来労働が負うべき責任を代わりに負担しているのですから請求を認めてもいいようにも思いますが、そもそも請求原因となった交通事故は、会社が指示した業務内容を遂行する過程から生じ、その業務内容により主に利益を得ているのは使用者ですし、使用者が自ら利益を得るために生活のため働かざるを得ない労働者を使用していますから、いざ損害の算定で、当事者の立場、事情を考慮することなく使用者と無関係の第三者に損害及び求償を行うのと同様に扱うことは信義則上許されません。

B信義則上、使用者に認められる従業員に対する安全配慮義務(事例集562号、588号、548号参照)の趣旨類推からも認められるものと考えます。

4.本件を具体的に検討してみます。
@従業員が、賠償責任負う点で影響が大きいのは、対物保険と、車両保険です。もし使用者が保険加入していれば、従業員に具体的に賠償責任が生じてきません。しかし、これは任意保険の内容であり、強制保険と違い加入は車両所有者の自由意思に任されていますから、法的に違法とまでは言い切れません。しかし、運送会社においては、業務上の反復行為よりある程度事故を予想しなければなりませんし、性質上危険な運転行為ですから損害もかなりのものになると知りうる状況にありますから、被害者の救済、最終責任者である従業員の生活保障のために以上の保険に加入する信義則上の義務があるものと考えるべきです。しかも、この費用はさほど多きいものではなく、使用者に負担を要求してもさほど酷になるものではありません。別な面からいえば、事故発生はやむをえない理由があったとしても、損害の拡大は保険手続により容易に防ぐ事が出来たといえるでしょう。そうであれば、損害発生の責任は使用者に主にあり損害請求の半分以上(損失の分担)は請求できないとするのが公平の理念に合致すると思います。

A勤務状況において過失相殺、求償の責任分担に考慮されないような事情でも、実質的に労働者にとり不利益で不公平な事情があれば、更に斟酌して信義誠実の原則から労働者側の責任を更に減ずる必要があると思われます。

5.@本件に類似した最高裁の判例をご紹介します。損害賠償請求事件、昭和四九年(オ)第一〇七三号 、同五一年七月八日最高裁第一小法廷判決
A 上告人の上告理由について以下のように判断しています。使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。原審の適法に確定したところによると、(一)上告人は、石炭、石油、プロパンガス等の輸送及び販売を業とする資本金八〇〇万円の株式会社であつて、従業員約五〇名を擁し、タンクローリー、小型貨物自動車等の業務用車両を二〇台近く保有していたが、経費節減のため、右車両につき対人賠償責任保険にのみ加入し、対物賠償責任保険及び車両保険には加入していなかつた、(二)被上告人は、主として小型貨物自動車の運転業務に従事し、タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎず、本件事故当時、同被上告人は、重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して交通の渋滞しはじめた国道上を進行中、車間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により、急停車した先行車に追突したものである、(三)本件事故当時、被上告人は月額約四万五〇〇〇円の給与を支給され、その勤務成績は普通以上であつた、というのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人がその直接被つた損害及び被害者に対する損害賠償義務の履行により被つた損害のうち被上告人に対して賠償及び求償を請求しうる範囲は,信義則上右損害額の四分の一を限度とすべきであり、したがつてその他の被上告人らについてもこれと同額である旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解を主張して原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

Bこの判例を分析しますと、本件会社は石油などの危険物を普段から取り扱っており、それによって利益を上げているにも関わらず、経費削減のため対物責任、車両保険についての保険には加入していませんでした。前述のように、会社は危険物を取り扱うことによって利益を上げているのですから、これに見合ったリスクを普段から負担しておくことは法人の社会的責任として信義則上考えられるでしょう。一方、労働者は、普段から大型タンクローリーの運転などをしていたわけではなく、そのような自動車の運転に慣れていないにも関わらず、会社の命令で運転をしていた、というもので、従業員の不注意で起こった事故とはいえ、会社が慣れない大型自動車の運転を命じたことのリスクも会社側が負担すべきであると考えることができるでしょう。従って、4分の3の責任軽減はやむをえないと思われます。

6.次に、あなたは現在修理代金を給料から天引きされていますが、天引きは法的には相殺という法律行為に当たりますから(民法505条)、民法上の相殺禁止条項にも該当しませんから適法のようにも考えられますが、あなたと使用者は労働契約の当事者であり労働法上特別な取り扱いがなされています。

7.給料は、被用者の同意がない限り、原則として全額支払わなければならず、使用者の一方的な相殺(天引き)は許されません(全額払いの原則)。これは労働基準法24条にも定められており、これに違反した使用者には罰則があります。

8.本来「相殺」は、契約当事者の弁済に関し担保的機能を有するもので公平上認められているのですが、民法の規定は契約当事者が対等であることを前提としています。しかし、前述のように労働者と使用者の力、地位の差に鑑みると実質的に対等でありませんから、弱者たる労働者を保護するために特に設けられた規定です。労働者と使用者の関係では、労働者を実質上保護する規定を置かなければ、力関係において優位な使用者が労働者を不当に従属化し、弱者たる労働者との実質的公平を図られないおそれがあるからです。例えば、生活に困る労働者に高利で貸し付けを行い、賃金を事実上低額化し拘束すること等が考えられます。

9.ちなみに、以上のような労働契約の特殊性から賃金支払いに関しては、いわゆる賃金五原則があります。@通貨払いの原則、賃金は通貨で支払わなくてはなりません。小切手や手形、現物支給などは原則として禁止されます。A直接払いの原則、代理受領などによる中間搾取を防止するために、賃金は労働者に直接払うことが必要です。B全額払いの原則、労働の対価は全額支払われなければならないという原則で、積立金名目や貸付金との相殺は認められません。C毎月1回以上払いの原則D一定期日払いの原則、これらは、一定の時期に賃金を払うことを義務付けています。

10.上記のように、あなたが自分で起こしてしまった事故の損害賠償請求について会社に立て替えてもらった分を返済する義務を負っているとしても、あなたの場合にも、給料の一方的な天引きは許されません。場合によっては、「天引きに異存ありません」という趣旨で念書を書くことを要求される場合がありますが、このような要求は受け入れてはいけません。労働契約書に「損害を与えた場合は天引きに承諾する」という条項を設けている場合もありますが、これについても争う余地があります。

11.本件の相談者のようなケースでは、おはやめにお近くの弁護士や労働基準監督署に相談されることをお勧めいたします。なぜなら、数ある法律問題の中でも、労働問題については、主張の仕方に工夫が必要となるためです。一般的に雇用主と労働者は、主従の関係にあり、圧倒的に「力」の差があるからです。上記のような議論も、法律上はごく当然のことですが、労働者が会社に対し一人で抗議しても「それなら解雇です」というような取り扱いをする会社がないとはいえません。労働者は、あまり抵抗すると事実上職を失うという最悪の結果になることを恐れて、主張できる権利を主張できないことが往々にしてあります。会社に対して正当事由を主張する場合には、労働組合があれば労働組合、労働基準監督署、そしてもちろん弁護士など、専門性があり、また交渉能力をもった機関にできるだけ早く、そして秘密裏に相談することをお勧めいたします。

≪参考条文≫

憲法
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。
第十四条  すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。

民法
第一条  私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
2  権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
3  権利の濫用は,これを許さない。
(解釈の基準)
第二条  この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。
(相殺の要件等)
第五百五条  二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
2  前項の規定は、当事者が反対の意思を表示した場合には、適用しない。ただし、その意思表示は、善意の第三者に対抗することができない。
(不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第七百十五条
ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3 前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

労働基準法
第二十四条  賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。
第百二十条次の各号の一に該当する者は、三十万円以下の罰金に処する。
一  第十四条、第十五条第一項若しくは第三項、第十八条第七項、第二十二条第一項から第三項まで、第二十三条から第二十七条まで、第三十二条の二第二項(第三十二条の四第四項及び第三十二条の五第三項において準用する場合を含む。)、第三十二条の五第二項、第三十三条第一項ただし書、第三十八条の二第三項(第三十八条の三第二項において準用する場合を含む。)、第五十七条から第五十九条まで、第六十四条、第六十八条、第八十九条、第九十条第一項、第九十一条、第九十五条第一項若しくは第二項、第九十六条の二第一項、第百五条(第百条第三項において準用する場合を含む。)又は第百六条から第百九条までの規定に違反した者


法律相談事例集データベースのページに戻る

法律相談ページに戻る(電話03−3248−5791で簡単な無料法律相談を受付しております)

トップページに戻る