新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.886、2009/6/23 15:17 https://www.shinginza.com/qa-hanzai.htm

【刑事:刑訴299条証人・証拠書類に対する知悉権は起訴前に類推適用できるか】


被害者の住所、連絡先が判明しない場合の起訴前・起訴後の弁護人の対応

【質問】
私は、車を運転中、興味がある小学6年生の女の子に話しかけ「図書館はどこにありますか。案内して下さい。お願いします。」と嘘を言って車の助手席に乗せて長時間連れ回して逮捕されました。弁護人を依頼したのですが、警察署、検察官は被害者が希望しないという理由で住所連絡先を教えてくれませんので、謝罪も出来ませんでした。逮捕後勾留されて起訴されてしまいました。起訴後も被害者の住所は、検察官提出の証拠書類に記載されておらず不明です。検察官に連絡しても、犯罪の性質上被害者のプライバシーを理由に被害者の住所開示は抹消してあるとのことです。このまま謝罪ができなければ実刑になると弁護人は言うのですが、どうしたらいいでしょうか。

【回答】
1.公訴提起後、弁護人は、検察官が証拠開示した被害者の供述書、供述録取書が抄本(原本の一部写し)であり、被害者の住所が書いてなければ異議を申し立て住所の開示を求めることが出来ます。その根拠は、刑事訴訟法299条です。これを証拠開示の知悉権(ちしつけん)といいます。
2.これに反して検察官が、住所を開示しなければこの公判手続きは違法性を帯びることになりますので、公訴棄却の理由(刑訴第338条1項4号)になる可能性があります。
3.起訴前においても、弁護人の弁護人のみに対する住所開示の請求は信義則上認められるべきであり、積極的に捜査機関に対して要求すべきです。その根拠は刑訴299条、刑事訴訟規則178条の7の趣旨類推適用となります。但し、この点についていまだ明確な判例はありませんので注意してください。手続的には、後に手続きの違法性を主張し証拠保全のため勾留請求前(刑訴205条)、勾留質問(刑訴刑訴60条、刑訴207条で被疑者に準用されます。)において、一切の住所開示の証拠書類を検察庁、裁判所に提出しておく必要があります。
4.補充的に、謝罪文、弁護人の手紙、謝罪金の提示等書類の送付、話し合う場所の設定を検察官捜査機関に求めるべきです。
5.公判前の住所等開示手続きに違法があれば、事情により公訴棄却、量刑の事情として公判において主張することになります。

【解説】
1.(本罪の性格)
本件は虚言を弄して未成年者を車に乗せて連れまわしていますから、身体の自由を拘束して場所的に移動しているので欺もう、誘惑的な方法により自分の事実的支配内に被害者を置いており未成年者誘拐罪(刑法224条)に該当します。

2.(起訴後の弁護方針、手続き 問題点の指摘)
起訴後検察官側の証拠開示により弁護人が、証拠書類(供述書、供述録取書刑訴321条、同322条)を閲覧、謄写(刑訴40条)したところ被害者の供述書(例えば告訴状)、供述録取書(被害調書)に被害者の氏名のみで、住所等連絡先が記載されていないので、被害者側に対し謝罪、被害弁償(慰謝料の支払い)ができない状態になっています。まずこのような住所が記載されていない証拠の提出が適法かどうか問題ですが、基本的に適法です。自由心証主義(刑訴318条、証拠価値、証拠能力を基礎づける事実の判断は裁判官の専権です。憲法76条)のもと証拠書類について、住所を記載されてなくても日時と名前が記載されていれば一定の証拠力(証明力)があり、証拠能力(証拠の資格)を否定することはできないからです。検察官も、誘拐という犯罪の性質上被害者のプライバシーを保護しようとして抄本を証拠としています。条文上も、「証人、鑑定人、通訳人又は翻訳人の尋問を請求するについては、あらかじめ、相手方に対し、その氏名及び住居を知る機会を与えなければならない。証拠書類又は証拠物の取調を請求するについては、あらかじめ、相手方にこれを閲覧する機会を与えなければならない。」と規定してあるため証拠書類は、住所を開示しなくてもとりあえず閲覧できるようにすればいいからです。

3.(弁護人の対応)
しかし弁護人は、刑訴299条の解釈から、このような証拠書類に対し被害者、すなわち供述者の住所の開示を求める権利を有していますから、直ちに弁護人は検察官に対して書面で異議の申し立てを行う必要があります。検察官が応じなければ、裁判所に対して住所開示の命令を行うよう請求することになります。

4.(理由)
@検察官(弁護人も)は、証人を求めるときと同じように証拠書類を提示する時も、弁護人が異議を提出した場合、供述者の住所を開示する義務を有しているからです。本条の趣旨は、当事者主義(裁判所でなく当事者である検察官、被告人に訴訟の開始、審判対象の特定、証拠調べ、終了の主導権を与える。訴因の特定、起訴状一本主義等。反対概念は職権主義。訴訟の進行は職権主義です。)に内在する公正、公平、信義則の原則に従い(刑訴1条)、互いの当事者が提出する証拠(人証、物証)について不意打ち防止の趣旨から相手方の防御する権利を保障するために認められたものです。法の支配から導かれる当事者主義の真の目的は公正、公平な刑事裁判の実現にある以上事前に、証拠に関し証人、供述者の住所が判明しなければ証拠に関する調査、反証が事実上できないからです。その趣旨は証拠書類についても等しく及ぶことになります。証人についてのみ住所の開示を規定しているのは、通常の証拠書類については氏名、住所が記載されていることが通常であり、特に、住所の開示を規定しなかっただけです。299条の解釈上、裁判所は、検察官に対して住所開示の命令を出すことが可能です(最高裁判決昭和44年4月25日)。

A刑事訴訟規則178条の7の規定は、「第一回の公判期日前に、法第299条第1項本文の規定により、訴訟関係人が、相手方に対し、証人等の氏名及び住居を知る機会を与える場合には、なるべく早い時期に、その機会を与えるようにしなければならない。」と規定していますが、これも知悉権に関する同趣旨の規定であり、証拠書類の住所開示を前提にしています。

B但し、条文上、「但し、相手方に異議のないときは、この限りでない。」と規定してありますから弁護人が何も異議の主張をせずに放置すると、この手続き上の瑕疵は治癒されることになります。公平上認められた権利であるにもかかわらず相手方弁護人が、住所の開示がなくても防御に支障がないと考えている以上、有効な証拠方法と判断しても差し支えないからです。

5.(結論)
以上から、弁護人に依頼して一刻もはやく住所開示を求め、被害者側との被害弁償、謝罪行為を行う必要があります。貴方の弁護人が言うように被害弁償がなければ、懲役2年前後の実刑が予想されるでしょう。

6.(対策)
又検察官が、弁護人の住所開示に応じないようであれば、場合により異議申し立ての書面を証拠として訴訟手続き違反を理由に公訴棄却の申し立てが必要となります。さらに、検察官が住所を開示せず不誠実な対応を続けるならば、甲号証の不同意という方法も考える必要があります。

7.(起訴前の弁護人の対応)
本件、未成年者誘拐罪は、強姦罪(刑法177条)、又は、強制わいせつ罪(刑法176条)、わいせつ目的誘拐罪(刑法225条)、名誉棄損罪(刑法230条)、器物損壊罪(刑法261条)、侮辱罪(刑法231条)等と同じく親告罪になっています。しかし、検察官、捜査機関の被害者側の住所開示がないので、被害者側との謝罪、被害弁償交渉、告訴取り消しの話し合いはできていません。そこで、起訴前でも、弁護人は、起訴後の規定である刑訴299条の規定を類推適用して検察官、捜査機関に対して被害者の住所開示を求めることができるか問題になります。

8.(結論)
これを認める明確な判例はありませんが、弁護人は、公訴提起前でも検察官、捜査機関に対し被疑事実を争わないこと、被害者の情報を被疑者側に開示しないことを条件に被害者の住所連絡先を求める権利を法の支配の理念(憲法13条、31条)、当事者主義、起訴便宜主義(刑訴248条)の原則等から(憲法31条以下、刑事訴訟法1条他)当然有するものと考えます。弁護人の起訴前の証拠に関する知悉権(ちしつけん)です。仮に、住所開示が認められなくても、信義則上検察官、捜査機関は、弁護側の意思を被害者側に伝えるべく書類の送付、話し合いの場所の設定に誠意をもって対応する義務を有するものと思われます。

9.(具体的理由を説明します。刑訴299条の準用、及び類推)
@(起訴前と適正手続きの保障)
法の支配の理念から導かれる、憲法31条適正手続の保障は公判手続だけでなく起訴前の捜査手続きについても勿論及んでいます。これは、法律の内容が適正であるというだけでなく、手続き自体も適正公平の理念から認められるものです。近代刑事訴訟法に関する大原則です。適正手続の基本原則の解釈は、刑事訴訟法の当事者主義の大原則に基づき行われます。当事者主義の理想は真実に合致した公正、公平な裁判であり、検察官、捜査機関、弁護人の公平な活動を保障することを大前提にしていますので、当事者主義は公判手続だけでなく捜査段階においても等しく及ぶべきことになります。憲法上は、33条から39条までその内容が抽象的に規定されています。具体的に言うならば、捜査段階においては検察官、弁護人が対等の立場で、信義則に従って捜査・弁護活動を行うことです。信義則は法の支配の理念から当事者主義に内在する当然の原則です。弁護人は、秩序維持を目的とする捜査機関の適正な捜査活動を阻害してはならないし、又、検察官、捜査機関も弁護人の弁護活動を不当に制限してはいけません。互いの攻撃防御方法は相手方の活動を侵害しない限り等しく、対等に認められることになります。民事、刑事訴訟における武器平等の原則です。起訴前の証拠保全(刑訴179条)もその趣旨を示しています。

A(被疑事実に争いがない場合の弁護人の権利)
個人法益に関して被疑者が逮捕段階から被疑事実を認め、弁護人も被疑事実を認める書面を提出し争っていない場合、弁護人の弁護活動は、被害者への弁償、謝罪しか事実上存在しません。検察官が起訴するかどうか(起訴便宜主義、刑訴248条)、又起訴されても量刑の基本は、謝罪の時期、謝罪の程度に基づいて行われます。しかし、本件のような行きずりの犯罪で被害者の住所、電話番号を弁護人が知りえない場合、検察官、捜査機関に対し開示を求めることができなければ、実質的弁護活動は起訴前において行うことはできません。弁護人が被害者の情報を被疑者側に開示しない誓約書、被疑者が被害者側に接近しないという誓約書等を提出している限り、被害者の情報の開示による捜査権の適正行使の侵害の危険は存在しません。

B(親告罪の関係)
本件は、未成年者誘拐罪であり親告罪です。親告罪の趣旨は、公判になると、犯罪事実が明らかになり被害者の名誉、プライバシーがさらに侵害される危険があり公訴を提起するかどうかの判断を被害者自身にまかせ、適正な刑事裁判手続きを実質的に保障することにあります。被害者の意思は、犯罪内容、被疑者の犯行後の認否、反省の態度、謝罪の内容、民事上の賠償の内容等を総合的に考慮し決められるものと考えられます。しかし、犯行内容から被害者の連絡先を弁護人が覚知できなければ被害者のその判断材料を提示することも不可能であり被害者は適正な判断ができません。被害者は、捜査機関の意見、弁護人の自由な意見を聞き自由に判断する権利を有するのです。弁護人の意見、資料を前もって事実上封殺することは手続き上認められませんし、親告罪の制度趣旨から公訴提起前に弁護人に対してのみ謝罪等の内容を提示する機会を検察官、捜査機関は与えるべきです。

C(起訴便宜主義の関係、公訴権の独占と公益の代表)
刑訴249条、起訴便宜主義は、犯罪行為が立証でき訴訟条件が備わっている場合であっても、検察官の裁量により起訴猶予処分として訴追しないことを認める制度であり、起訴法定主義に対立する概念です。この制度は明治時代から、一貫して採用され現刑事訴訟法248条に明文化されており、この規定の制度趣旨は、法の支配の理念である個人の尊厳保障(憲法13条)を実質的に達成するため適正な法社会秩序を常に維持することを最終目的としています。すなわち、犯罪者を処罰する根拠は、法に挑戦する反規範的人格態度にあるにしても、その最終目的は法社会秩序の維持発展であり、犯罪者を再起更生させ社会生活に復帰させることが重要であり、犯罪者の教育、更生が常に考慮されることになります。刑罰は応報だけではなく最終的に教育につきることになります。これが近代刑罰思想に関する世界の趨勢です。従って、犯罪行為が成立しても、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により」公訴提起をするかどうか公益の代表である検察官により決定され、この条文の「犯罪後の情況」とは被疑者、弁護人が被疑事実を認めている以上端的に言うならば、被害者側への謝罪、弁償、提案であり、そのような行為を行う権限を有するのは、憲法上起訴前弁護活動を認められている弁護人です。従って、弁護人にさえ被害者の住所等被害者の連絡先を開示しないのは起訴便宜主義を形骸化させるもので明らかな手続違反であり許されません。実務では、捜査機関に対して被害者の連絡先開示を求めると「刑事裁判終了してから謝罪や被害弁償をすればいいでしょう」「被害者が連絡先開示を望んでいません」との回答がありますが、法の理想を無視した対応です。

Dちなみに、本邦においては、起訴後の有罪率が99%となっております。この数字自体を批判する意見もありますが、必ずしも有罪率が高いことは悪いことではありません。無罪判決となるような証拠不十分の事案を、検察官が事前に不起訴処分にしているためであると考える事ができます。有罪率の高さは、我が国の検察官が、証拠と事案を良く吟味してから起訴していることの結果でもあります。そうであれば、起訴便宜主義の実質的保障は極めて重要ということになりますし、起訴前の弁護権の保障も確立されなければならないのです。被害者が、弁護人を通じて被疑者の謝罪意思・被害弁償提案について連絡を受け、被害弁償を受けるかどうか判断し、その事実も、起訴すべきかどうかの判断材料とすべきです。

E(被害者のプライバシーとの関係について、憲法12条)
被害者は、刑事訴訟法に基づいて被害届を提出し刑事告訴を行い、刑事訴訟手続において刑事事件としての解決を希望していますから、当然、刑事訴訟法に定められた刑事訴訟手続上の原則の適用を受ける義務を有するものと考えられます。刑事訴訟手続においては、適正法定手続・当事者主義の適用を受ける範囲でプライバシー権を制限されるのはやむを得ません。刑事訴訟手続の大きな目的のひとつに「真実探求」も含まれているからです。すなわち、一定の条件のもと弁護人が被害者側の住所等の連絡先を取得される不利益を受忍しなければならないと考えられます。そうでなければ、法の理想である適正公正な刑事訴訟・裁判を実現できません。弁護人のみが謝罪、被害弁償、提案を行うだけですから、実質的に被害者のプライバシー、人格権は侵害されていません。被疑者が被害者に危害を加えるようなことは無いのです。このような情報開示は、弁護人のみに行われるものであり、弁護人には守秘義務がありますから(刑法134条)、憲法12条、公共の福祉に基く合理的な理由によるプライバシー権の制限と考えられます。従って、検察官、捜査機関は、被害者の意思を理由に連絡先の情報開示を拒否することはできません。

F(犯罪自体から被害者の住所等が明らかな場合との不均衡)
本件犯罪のように被害者の住所等が明らかでない場合、もともと被害者の住所が明確な場合と比較し、弁護人の弁護活動に差異が生じるのは公平の原則に反することになります。例えば、元々被害者の住所が判明している場合、弁護人は当然に被害者側に連絡し被害の弁償、謝罪の提案を行うことができ、このような弁護活動は適法であり当然許される行為であるのに対し、たまたま、本件のように被害者の住所が被害状況から不明な場合、検察官、捜査機関が開示しない限り何らの弁護活動が行うことができないということは不公平、不利益です。

G(起訴後の住所開示との関係)
基本的に、刑訴40条、同299条により起訴になれば供述調書等により被害者の住所は弁護人に判明するにもかかわらず、起訴前に限り、弁護人に住所連絡先を開示しないことは、合理的な理由がありませんし、理論的に矛盾していると言わざるを得ません。

H(刑訴299条、証拠調べの対象についての知悉権)
前述のように刑訴299条は、証拠調べの対象について相手方の知悉権(ちしつけん)を認めたものであり、検察官が、証人等の取り調べを行う必要がある場合、被告人、弁護人に対して事前に十分な期間をおいて証人の氏名、住所を知る機会を与えなければならない旨規定しています。すなわち証拠方法である証人の住所は証人の意思に無関係に開示されることになっています。証人(被害者を含む)が、自らの住所を開示する意思があるか否かに関係なく開示されるので、証人となるものは刑事訴訟手続き関係において、公正な裁判を保障するためその範囲で住所を開示されないというプライバシー権を制限されています。証拠書類についても、解釈上、供述書・供述調書に供述者の名前、住所が明らかにされていない場合には弁護人の防御権を保障するため供述者の意思如何にかかわらず弁護人の要求に応じて事前に住所等を弁護人側に明らにする必要があります。これは、公判手続において証拠調べにおいて不意打ち防止の趣旨を徹底し適正、公平に行おうとするもので(刑訴1条)、実質的当事者主義の原則の表れであり例示的規定です。

I刑訴299条は、「検察官、被告人又は弁護人が証人、鑑定人、通訳人又は翻訳人の尋問を請求するについては」の意味は、請求する意思があることを意味し、その意思は確定的なものであることは要しません。そう解釈しないと証拠調べ請求の直前まで相手方(検察官、弁護人)の知る権利を保護することができなくなり公平な裁判が実現できなくなるからです。被害者の証人申請(甲号証不同意の場合)、供述調書は公判になれば必ず証拠調べの請求をする意思が存在することは確実であり、本条の趣旨の類推から起訴前であっても弁護人は被害者の住所の開示を求めることができることになります。刑事訴訟法における類推適用の禁止は、刑罰を受ける被疑者、被告人の利益を保護したものであり、被疑者に不利益とならない(有利な)類推解釈は当然に許されるものと解されます。

J住所を開示されることによる被害者の不利益は、公判後刑訴299条の2、299条の3により保護されていますが、起訴前において、弁護人が被疑者、関係者に被害者側情報を知らせない旨の誓約書、連絡しないという書面を提出すれば起訴前被害者の不利益もあり得ません。従って、この条文の趣旨は当然、捜査権の適正行使を侵害しない範囲で、起訴前にも妥当するものであり弁護人は当然、被害者の住所連絡先のみを知る権利(公判提起前の知悉権)を有することになります。 刑事訴訟規則178条の7も知悉権に関する規定も同じく準用されるべきです。

K(判例)
最高裁昭和44年4月25日、昭和43年(し)第68号。本件とは事案が異なりますが、証拠調べ決定後の証拠書類閲覧に関する命令に対し検察官のした異議を棄却する決定に対する特別抗告事件(刑訴433条)において、弁護人の証拠開示請求は刑訴299条の場合に限られないことを判示しています。すなわち検察官が証拠調べする意思がないものでも場合により開示義務があり、裁判所は開示の命令権を有するとしています。本判例は起訴後の証拠開示に関する判例ですが、起訴前の被害者住所の知悉権は、検察官側の証拠の一部開示と同様であり、実質的当事者主義の大原則から導かれるもので本判決の趣旨が援用されるべきできものであると考えます。又、当該事件の原審において299条違反は公訴棄却に繋がる旨判断している点が注目に値すると思います。さらに、起訴前において弁護人の弁護活動が制限的であることも指摘していますので参考になります。後記最高裁、原審判例参照してください。判旨の一部です。「しかし、現行刑事訴訟法は同じく当事者主義の構造をとる英米に比しても防禦権の保障はいまだ十分とはいえません。即ち、捜査官の参考人、被疑者の取調べに弁護人の立会権、知悉権が保障されてなく、勾留被疑者と弁護人の接見交通も必ずしも自由でなく、その上、旧刑事訴訟法と異なり、被告人側は捜査官に与えられた強大な権限に基く収集資料の大要を何ら知る機会を与えられないまま、公判審理にのぞまざるを得ず、防禦に最も重要な捜査および起訴の段階で被告人側は非常に不利な立場に立たされているのであります。」

L(捜査の密行性との関係)
確かに、規定上、起訴前の捜査段階において検察官、捜査機関は捜査の適正行使のため基本的に証拠、証人等の内容を開示する義務は認められていません。しかし捜査の密行性は適正捜査権確保、証人等プライバシー権確保のためにあるのであり、被疑者弁護人が、被疑事実関係を認め弁護人のみに住所を開示することのみを求め、さらに証人等に威力等を用い証拠隠滅の危険性さえないような場合であれば弁護人に対する住所のみの開示は認められるべきです。そうでなければ被疑事実に争いがない事件について弁護人の活動は事実上無に等しいからです。

M(身柄事件と在宅事件)
身柄事件であれば、弁護人の起訴前弁護活動は、通常逮捕から13日以内に行われなければならず、早急に逮捕直後に被害者側との被害弁償、謝罪交渉の必要性があります。他方、在宅事件においては、時間的余裕があるが警察捜査機関は被害者の意思確認を理由として被害者の住所等を開示しないことがありえます。又被害者側の了解がとれたとして開示する場合も、連絡手続きを理由に事実上引き伸ばし身柄事件における10日間の拘留期間は瞬く間に経過し被害者側との謝罪、被害弁償を弁護人は行うことができない不利益をこうむることになります。被害者の連絡先は弁護人に直接開示されるべきです。

N(捜査機関を介しての被害者側との交渉)
検察官、捜査機関が「弁護人に代わり被害者側に連絡する」と主張する場合がありますが、それでは弁護人の謝罪・被害弁償の意思内容が十分伝わらず事実上謝罪被害弁償ができない可能性があり、検察官、警察捜査機関の裁量により弁護活動が事実上不可能となり公訴提起(略式手続きを含む)される危険性が生じます。当事者主義の下、対立する検察官、捜査機関が弁護人の活動仲介に消極的であることが当然予想されるからです。

O(被害者との謝罪交渉について弁護人が検察官、捜査官を事実上代理人とすることはできない)
現在、実務上、検察官、警察捜査機関が、連絡先を開示すべきかどうかについて被害者側の意思を確認してから連絡先を開示するという方法がとられていますが、被害者側は捜査機関に対して被害届け、告訴を行い捜査機関に捜査を要請している関係上、検察官、捜査機関の説明の仕方により謝罪、被害弁償の具体的な説明さえ受けない危険性があります。被害者が当初から謝罪を簡単に受け入れることは立場上あり得ないですし、被害者に対する、謝罪、被害賠償は、弁護人の誠意をもって時間をかけた地道な対応が必要であり、検察官、捜査機関の短時間の簡単な電話等による問い合わせにより被害者側の真意、意思を確認することは不可能です。

P(捜査機関、警察の被害者連絡先開示義務)
適正、公平な刑事裁判手続きのため警察官は検察官と一体となり証拠収集等の捜査活動を行うものですから(警察法1条、2条。司法警察職員は検察官の補助機関、刑訴192条以下)警察官も送検前の在宅事件、勾留身柄事件についても当事者主義の適用を受け弁護人の要請に従い被害者への謝罪、被倍弁償のため被害者の住所等連絡先の開示義務を負うことになります。送検前、在宅事件での警察官の対応は弁護活動にとり重要です。

Q(民事訴訟法の当事者主義の趣旨類推、真実義務、証拠開示)
現在70年ぶりに大改正された平成10年成立の新民事訴訟法においても実質的当事者主義の確立、適正公平な紛争解決のため(民訴2条)、当事者の証拠開示権として文書提出命令(民訴219条)、事前当事者照会手続(民訴163条)、予告通知手続き(民訴132条の2)が認められており、罰則(民訴第225条  第三者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、決定で、20万円以下の過料に処する。)も用意されています。近代法治国家において、法の支配から導かれる当事者主義の大原則は、民事訴訟法、刑事訴訟法を貫く基本理念です。いわんや個人の生命身体の自由権を強制的に剥奪する刑事訴訟においては当事者主義の大原則はさらに充実保障されなければならないし、公益の代表として国家権力を背景に圧倒的な組織力を有する捜査機関に対し法の理想である公正、公平の見地から弁護人の起訴前の被害者側住所等の知悉権は解釈上一定の要件のもとに認められるべきです。

R(被害者への謝罪、被害弁償の必要性)
法の具体的規定の有無にかかわらず、悪いことをしたら謝罪に行くことは当たり前のことであり、当然の条理であり、一般社会常識である。謝罪、被害弁償を提案されて通常怒る被害者はいないはずです。仮に憤慨するというのであれば謝罪の趣旨の伝え方に問題が存在するのです。被害賠償は法律上(民法722条、417条)金銭賠償になりますので、賠償金の提示に当たっては、算定方法などについて、被害者側に対して十分な説明が必要です。被告人が有罪となり刑罰を科されても民事上の被害弁済、経済的被害填補は一切なされません。刑事事件が終了し被害者が民事訴訟を独自に提起することは事件の性質上(特に被害者の性的プライバシーに関する事件等)によっては困難であり、弁護人が事前に謝罪と被害填補を提案することは被害者にとり不利益なことはありえません。弁護人からの被害弁償の提案は、むしろ被害救済には必要不可欠な手続です。勿論、謝罪、被害賠償を受け入れるかどうかは被害者の自由です。平成20年12月施行の犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律(平成十九年法律第九十五号)による損害賠償命令の申立て制度は,特に被害者が民事上の損害賠償請求をすることについて精神的負担が大きい刑事事件(強姦,強制わいせつ,誘拐、監禁等)についてのみ被害者保護の立場から刑事裁判所で簡易な手続きにより(4回で終了、任意的口頭弁論となっています)民事損害賠償を認めています。この制度は被害者が自ら民事訴訟を起こす精神的負担の大きさを物語っており、この法律の趣旨からも、弁護人が行う事前の謝罪、被害弁償の提案は必要不可欠なものなのです。

S(捜査機関の対応義務)
捜査機関は、弁護人の弁護権を保障するため、被害者の住所連絡先開示、事情により弁護人提出の書類の被害者側への送付、弁護人提出の書類の被害者への読み聞かせ、話し合いの機会の提供等の対応をとる法的義務を有するものと解します。捜査機関からの被害者への電話連絡による簡単な意思確認では、手続上の義務を果たしておらず違法性を帯びるものと考えます。

10. 実務上は、検察官、捜査機関が、被害者の意思を確認して住所連絡先を開示するかどうかを決定しています。しかしこのような実務上の対応は少なからず違法性があると思われます。起訴前に、本件弁護人が、検察官捜査機関に対して、謝罪、被害弁償のために弁護人に対してのみ被害者側住所、連絡先の開示を求め、被害者の生活の平穏を確保する書面等を提出していれば、検察官、捜査機関の手続き上の違法性が認められることになるはずです。従って、本件公訴の違法性を主張し、場合によっては公訴棄却を求めることも必要になるでしょう。

≪参考条文≫

【憲法】
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
○2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
○3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

【刑事訴訟法】
第一条  この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
第四十条  弁護人は、公訴の提起後は、裁判所において、訴訟に関する書類及び証拠物を閲覧し、且つ謄写することができる。但し、証拠物を謄写するについては、裁判長の許可を受けなければならない。
○2  前項の規定にかかわらず、第百五十七条の四第三項に規定する記録媒体は、謄写することができない。
第十四章 証拠保全
第179条  被告人、被疑者又は弁護人は、あらかじめ証拠を保全しておかなければその証拠を使用することが困難な事情があるときは、第一回の公判期日前に限り、裁判官に押収、捜索、検証、証人の尋問又は鑑定の処分を請求することができる。
○2  前項の請求を受けた裁判官は、その処分に関し、裁判所又は裁判長と同一の権限を有する。
第百九十二条  検察官と都道府県公安委員会及び司法警察職員とは、捜査に関し、互に協力しなければならない。
第百九十三条  検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に対し、その捜査に関し、必要な一般的指示をすることができる。この場合における指示は、捜査を適正にし、その他公訴の遂行を全うするために必要な事項に関する一般的な準則を定めることによつて行うものとする。
○2  検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に対し、捜査の協力を求めるため必要な一般的指揮をすることができる。
○3  検察官は、自ら犯罪を捜査する場合において必要があるときは、司法警察職員を指揮して捜査の補助をさせることができる。
○4  前三項の場合において、司法警察職員は、検察官の指示又は指揮に従わなければならない。
第百九十八条  検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。
○2  前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。
○3  被疑者の供述は、これを調書に録取することができる。
○4  前項の調書は、これを被疑者に閲覧させ、又は読み聞かせて、誤がないかどうかを問い、被疑者が増減変更の申立をしたときは、その供述を調書に記載しなければならない。
○5  被疑者が、調書に誤のないことを申し立てたときは、これに署名押印することを求めることができる。但し、これを拒絶した場合は、この限りでない。
第二百五条  検察官は、第二百三条の規定により送致された被疑者を受け取つたときは、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者を受け取つた時から二十四時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならない。
○2  前項の時間の制限は、被疑者が身体を拘束された時から七十二時間を超えることができない。
○3  前二項の時間の制限内に公訴を提起したときは、勾留の請求をすることを要しない。
○4  第一項及び第二項の時間の制限内に勾留の請求又は公訴の提起をしないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならない。
○5  前条第二項の規定は、検察官が、第三十七条の二第一項に規定する事件以外の事件について逮捕され、第二百三条の規定により同項に規定する事件について送致された被疑者に対し、第一項の規定により弁解の機会を与える場合についてこれを準用する。ただし、被疑者に弁護人があるときは、この限りでない。
第二百八条  前条の規定により被疑者を勾留した事件につき、勾留の請求をした日から十日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない。
○2  裁判官は、やむを得ない事由があると認めるときは、検察官の請求により、前項の期間を延長することができる。この期間の延長は、通じて十日を超えることができない。
第二百九十九条  検察官、被告人又は弁護人が証人、鑑定人、通訳人又は翻訳人の尋問を請求するについては、あらかじめ、相手方に対し、その氏名及び住居を知る機会を与えなければならない。証拠書類又は証拠物の取調を請求するについては、あらかじめ、相手方にこれを閲覧する機会を与えなければならない。但し、相手方に異議のないときは、この限りでない。
○2  裁判所が職権で証拠調の決定をするについては、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴かなければならない。
第二百九十九条の二  検察官又は弁護人は、前条第一項の規定により証人、鑑定人、通訳人若しくは翻訳人の氏名及び住居を知る機会を与え又は証拠書類若しくは証拠物を閲覧する機会を与えるに当たり、証人、鑑定人、通訳人若しくは翻訳人若しくは証拠書類若しくは証拠物にその氏名が記載されている者若しくはこれらの親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれがあると認めるときは、相手方に対し、その旨を告げ、これらの者の住居、勤務先その他その通常所在する場所が特定される事項が、犯罪の証明若しくは犯罪の捜査又は被告人の防御に関し必要がある場合を除き、関係者(被告人を含む。)に知られないようにすることその他これらの者の安全が脅かされることがないように配慮することを求めることができる。
第二百九十九条の三  検察官は、第二百九十九条第一項の規定により証人の氏名及び住居を知る機会を与え又は証拠書類若しくは証拠物を閲覧する機会を与えるに当たり、被害者特定事項が明らかにされることにより、被害者等の名誉若しくは社会生活の平穏が著しく害されるおそれがあると認めるとき、又は被害者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え若しくはこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれがあると認めるときは、弁護人に対し、その旨を告げ、被害者特定事項が、被告人の防御に関し必要がある場合を除き、被告人その他の者に知られないようにすることを求めることができる。ただし、被告人に知られないようにすることを求めることについては、被害者特定事項のうち起訴状に記載された事項以外のものに限る。
第三百十七条  事実の認定は、証拠による。
第三百十八条  証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。
刑訴第338条  左の場合には、判決で公訴を棄却しなければならない。四  公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき。
(特別抗告)
第433条  この法律により不服を申し立てることができない決定又は命令に対しては、第四百五条に規定する事由があることを理由とする場合に限り、最高裁判所に特に抗告をすることができる。
○2  前項の抗告の提起期間は、五日とする。
第434条  第四百二十三条、第四百二十四条及び第四百二十六条の規定は、この法律に特別の定のある場合を除いては、前条第一項の抗告についてこれを準用する。

【警察法】
警察法(警察の責務)第2条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない。

【刑事訴訟規則】
(刑事訴訟規則178条の7)  第一回の公判期日前に、法第299条第1項本文の規定により、訴訟関係人が、相手方に対し、証人等の氏名及び住居を知る機会を与える場合には、なるべく早い時期に、その機会を与えるようにしなければならない。

【最高裁判例】
証拠書類閲覧に関する命令に対し検察官のした異議を棄却する決定に対する特別抗告事件昭和四三年(し)第六八号
同四四年四月二五日第二小法廷決定
抗告申立人 検察官
被告人 KT
弁護人 石川元也 外九九名

       主   文

本件抗告を棄却する。

       理   由

 本件抗告の趣意は、別紙添付のとおりである。
 所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の当裁判所昭和三四年(し)第六〇号同年一二月二六日第三小法廷決定は、いまだ冒頭手続にも入らない段階において、検察官に対し、その手持証拠全部を相手方に閲覧させるよう命じた事案に関するものであり、また昭和三四年(し)第七一号同三五年二月九日第三小法廷決定は、裁判所が、検察官に対し、相手方に証拠を閲覧させるべき旨の命令を発しなかつた事案において、検察官にはあらかじめ進んで相手方に証拠を閲覧させる義務がなく、弁護人にもその閲覧請求権がないことを判示したものであるから、証拠調の段階において、特定の証人尋問調書につき、裁判所が、訴訟指揮権に基づいて、検察官に対し、これを弁護人に閲覧させることを命じた事案に関する本件とは、いずれも事案を異にし、適切な判例とはいえず、その余の点は、単なる法令違反の主張であつて、以上すべて適法な抗告理由にあたらない(裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。そうして、本件の具体的事情のもとで、右と同趣旨の見解を前提とし、所論証人尋問調書閲覧に関する命令を維持した原裁判所の判断は、検察官においてこれに従わないときはただちに公訴棄却の措置をとることができるとするかのごとき点を除き、是認することができる。)。
 よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)
(原審決定)
昭和三九年検第三八〇〇四号
起訴状 在宅
左記被告事件につき公訴を提起する。
昭和四十年五月十五日
大阪地方検察庁 検察官検事 本井甫
大阪地方裁判所殿

本籍 大阪市○区○町○番地
住居 大阪市○区○町○番地
職業 ○製造業
KT ○年○月○日生
公訴事実
 被告人は旭都島商工会の役員であるが、昭和三十九年十一月十七日午後二時五十分頃、大阪市旭区今市町一丁目百四十三番地毛糸編立業E方玄関土間において同人の昭和三十九年所得税の概況調査に従事していた旭税務署所得税課勤務大蔵事務官M(当四十年)に対し、二回にわたり、両手で同人の胸部を突き玄関踏み台に尻もちをつかせる暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害したものである。
罪名および罰条
罪名 公務執行妨害
罰条 刑法第九十五条第一項
別紙(二)
刑事訴訟法二二六条による証人尋問調書開示問題についての当裁判所の見解
 弁護人は、本件第一回、第二回、第五回各公判において本件各証人尋問調書を含む検察官所持の全証拠の開示を要求し、第一二回公判において検察官申請の本件暴行事実の存否に関する証人の取調終了後、裁判所から右事実に関する立証を促された機会に、再び本件各証人尋問調書の開示を要求し、これに対し検察官は、終始右各尋問調書の取調べを請求する意思がないことを理由に、その実質的理由に何ら触れることなく、右開示を拒否してきました。こうして、本件各尋問調書開示の問題について、当事者の意見は全く対立し、当事者の自治的解決は不可能であると考えられますし、裁判所による勧告も、検察官によつて拒否されれば(現在までの検察官の態度にてらし拒否することは明らかです)、それまでのことである以上、いたずらに裁判所の権威を失墜するおそれなきにしもあらずと考えられますので、ここに次のとおりの見解を表明し、訴訟の促進をはかりたいと思います。
(1) 裁判所は、訴訟を主宰する地位にあるものとして、訴訟を迅速にかつ十分にし、法の理想を実現すべき職責を有するのであり、右職責遂行のための固有の包括的権限として訴訟指揮権をもつています。それは、もちろん法規に則つて行なわなければなりませんが、必ずしもその明文の規定に準拠しなければならないものではありません。個々の訴訟において具体的に妥当な進行をはかるためには、その事件の個性に応じた弾力性のある訴訟指揮が必然的に要求されるのであつて、かかる訴訟指揮の性質上広い裁量の余地が認められなければなりません。現行刑事訴訟法が一般的に合目的と考えられる手続の進行を規定し、裁判所その他の訴訟関係人がこれに従うことを予定し、手続の合目的性を客観的に担保しようとしていることは否定できず、かつ同法上明文の規定のない場合における訴訟指揮権の有無、範囲、内容についての一般的準則を規定していないのでありますが、訴訟指揮に要求される合目的性と法的安定性との調和を考慮するときは、裁判所は、法規に明文の規定がなくても、他の明文の規定に牴触せず、法の目的に適合し全体的法秩序を害さない限り、訴訟指揮をなし得ると解するのが相当であります。現行刑事訴訟法が当事者主義を強化し、裁判所を第三者の地位におくことを意図していることは明らかでありますが、当事者が訴訟手続についての指導と支配とを自分自身の手中におさめようと企て、法の真の目的である実体的真実を無視してただ訴訟に勝たんがための態度に出るようなことがあれば、その時こそ、裁判所は職権を発動し、当事者の右意図をくじき、裁判の目的が失敗に終らされることのないように訴訟指揮を含めて、可能なあらゆる手段を用いることがあつてもやむを得ないのではないでしようか。そしてこのような場合、裁判所は、訴訟指揮として法規に明定されていない命令を下し、当事者に右命令に従う義務を発生せしめることも可能であり、もしそうでなければ、裁判所は、いたずらに拱手傍観し、最も重い責任を放棄したとの非難を免れることはできないと考えます。
(2) 証拠開示については、現行刑事訴訟法上、同法二九九条以外に明文の規定はありません。だからといつて、右事実から直ちに同法が右条文以外の証拠開示を一切認めない趣旨であると断定することはできません。先ず、右条文以外の証拠開示が違法となる趣旨でない、いいかえれば現行法秩序を害さないものであり、かつ右条文に反しないものであることは、現行刑事訴訟法の施行以来一般事件の殆んどにおいて、公判前に全部の証拠閲覧がなされてきたという従来の長期にわたる訴訟慣行の存在に徴しても明らかであります。
そして、更にこのように一般化された長期にわたる訴訟慣行の存在は、検察官が従来証拠開示をあたかも私人がその所持する書類を第三者に閲覧させるのと同様の純然たる恩恵的自由裁量行為とは意識していなかつたし、現在においては客観的にとうていそのような行為とは評価し得ないことを示していると考えます。
 本来、証拠開示は形式的、或いは素朴な当事者主義即ち当事者は独立に証拠を収集し、攻撃防禦を行うべきで相手の手のうちをのぞいてはならないという主義によつてもたらされる諸弊害たとえば公判での不意打ち、公判準備の不足、争点の混乱、攻撃防禦力の実質的不平等による訴訟の遅延、真実発見の阻害等を除去しようとして発生したものであります。現行刑事訴訟法は、憲法三一条ないし三九条の被告人の公平で迅速な裁判をうける権利、証人に対する反対尋問権の確保、適正手続等の諸規定をうけて、当事者主義、防禦権の強化を図つており、その趣旨が被告人を検察官と対等の地位において十分な防禦の機会を与え、検察官との論争を通じて真実を発見しようとするにあることはいうまでもありません。しかし、現行刑事訴訟法は同じく当事者主義の構造をとる英米に比しても防禦権の保障はいまだ十分とはいえません。即ち、捜査官の参考人、被疑者の取調べに弁護人の立会権、知悉権が保障されてなく、勾留被疑者と弁護人の接見交通も必ずしも自由でなく、その上、旧刑事訴訟法と異なり、被告人側は捜査官に与えられた強大な権限に基く収集資料の大要を何ら知る機会を与えられないまま、公判審理にのぞまざるを得ず,防禦に最も重要な捜査および起訴の段階で被告人側は非常に不利な立場に立たされているのであります。更にまた、公判審理においては参考人の検察官に対する面前調書が一定の条件のもとに証拠能力を付与されています。従つて、前記法の趣旨をそこなわず、これをできるだけ実現するためには、前記当事者主義による弊害の除去をはかり、ことに当事者の攻撃防禦力の不平等をこれ以上そこなわないように、更には被告人側の防禦力を実質的に補強せしめることこそ最も肝要といわざるを得ません。そして、このように考えますと、証拠開示は被告人側の防禦力を実質的に補強する有力な一手段でありますから、現行刑事訴訟法が同法二九九条以外に証拠開示についての規定を設けていないのが、検察官に右条文以外の証拠開示義務を絶対的に負わせてはならないとの趣旨まで含んでいるものでないことは明らかであります。なぜなら、現行刑事訴訟法の前記趣旨にてらすときは、同法が検察官と被告人側との力の不均衡をこれ以上更に拡大せしめるような解釈を許すこと自体自己矛盾であり、とうていかような解釈はできないと考えられるからであります。
 これを要するに、理論上も前記実務の慣行にてらしても、現行刑事訴訟法が同法二九九条以外の証拠開示を違法として排斥する趣旨でないことはもちろん、検察官にその義務を負わせることを拒否する趣旨でもないと解せざるを得ないのであります。 
(3) 果してそうだとすると、現行刑事訴訟法上証拠開示命令をなしうるとの明文の規定はありませんが、右(1)(2)により、裁判所は、訴訟の具体的状況にてらし、開示証拠の形式、内容、開示の時期、開示により予想され得る被告人、弁護人の利益と検察官の公訴維持上もしくは国の機密上被る不利益とを十分比較考量の上、必要かつ妥当と認められる場合、訴訟指揮権に基き、検察官に対し、証拠開示を命じ得る余地があり、右命令がなされたときは、これに基き検察官において証拠開示義務を負担するといわなければなりません。
(4) これを本件についてみますと、弁護人の開示を要求している証拠は、いずれも刑事訴訟法二二六条に基き作成された裁判官の証人尋問調書であり、その証人の氏名は、遠藤政夫、遠藤鶴子、真下春夫、古川八郎、浅裏隆であります。そして本件記録によると、右各証人は、本件犯行現場において本件犯行の有無を目撃し得たと考えられ、被告人が本件犯行事実を否認していることにてらし、本件捜査上はもちろん公判審理上まことに重要な証人であります。だからこそ、検察官は刑事訴訟法二二六条により裁判官に対し起訴前の証人尋問を請求し、裁判官は同条により正規の手続を経た上証人尋問を施行し、記録は刑事訴訟規則一六三条により検察官に送付されたものと考えられます。もともと刑事訴訟法二二六条による証人尋問の方式、効果は、一般の裁判所による証人尋問と殆んど差異がなく、ただ捜査上の必要性から、弁護人の立会権、知悉権に制限が加えられているにすぎません。従つて捜査に支障を生ずるおそれがなくなつた現在においては、弁護人の知悉権に制限を加える必要は何ら認められないといつてもよいと思います。更に、検察官は右各証人を申請する意思はないと当公判廷で言明していること、弁護人が調書として申請するかも知れないとの意思を示してもなおかつ証拠を開示しようとしない検察官の態度に徴すると、各証人の供述内容は、一応被告人に有利で、検察官にとつて必ずしも公判維持上有利と思われない内容のものであろうと推定するに難くありません。そうすると、検察官が公益の代表者として訴訟において裁判所をして真実を発見させるため被告人の有利な証拠をも法廷に顕出することを怠つてならないことは国法上の職責でありますから、特段の反対の事情のない限り、これを被告人に利用させる機会を与えることも当然の責務といわなければなりません。また、本件犯行があつたとされているのは今日より約三年以上も前のことでありますから、現在右各証人に記憶喪失や思い違いが生じている可能性は甚だ大であり、弁護人が証人申請をすべきかどうか検討して不必要な証拠を申請して混乱を招くことのないようにするためにも、事案の真実をあやまりなく知るためにも、各証人の記憶の新らしい時期になされた供述内容を予め知つておくことは、まことに有益かつ必要であると考えられます。なお、この点に関し、検察官は公判中心主義から先ず証人として尋問した上調書閲覧の必要性を検討すべきだと主張するようでありますが、調書を閲覧するのは裁判所でなく、弁護人でありますから、公判中心主義とは関係はなく、いずれ調書閲覧の必要性が生じるくらいであれば、証人尋問の前に閲覧する方が訴訟の促進の上ではるかに有益であります。これに反し、検察官は本件各証人尋問調書を弁護人に閲覧させることによつて公判維持上いかなる不利益を被るのでありましようか。検察官は当公判廷で十分説明の機会を与えられ、裁判所に予断を生ぜしめるおそれのない段階に至つても、なおかつ、これが実質的理由について殆んど触れるところがありません。罪証隠滅、証人威迫のおそれは、被告人に有利と思われる本件各証拠についてその可能性があることは殆んど考えられませんし、その他国の機密、証人の名誉、秘密の保持、捜査過程の秘密保持等およそ証拠開示に考慮しうるすべての点にわたり検討しても、本件事案の内容、性質、証人尋問調書の形式内容にてらし、検察官において本件各証拠を開示することによる不利益はこれを考えることができません。もしあるとすれば、検察官において納得のいく説明をすべきでありませう。そうすると、検察官は、何故弁護人の開示要求、裁判所の「具体的に証拠隠滅等の理由のない限り証拠を示してもよいと思う」との意思表示(第二回公判)にもかかわらず開示を拒否し続けているのでしようか、その真意を理解するのに苦しむものです。ただ、この種公安事件におけるこれまでの検察官のあまりにも当事者主義に固執したかたくなな訴訟態度にてらせば、検察官は、弁護人側のあくまで国家権力の行使方法に強い抗議を続ける態度に刺戟されてか、法の真の目的をはなれ、訴訟手続の指導権を検察官側に確保し、ただ一途に訴訟に勝たんがための態度に出ているやにもうかがわれないでもありません。裁判所はこれまで事件の個性に応じ、できるだけ公平かつ迅速に審理を進行するよう意を尽してきたし、今後もそのつもりでありますが、検察官の訴訟態度にも反省を要するものがあるのではないかと考えます。
(5) そこで、以上のような本件訴訟の状況、開示証拠の形式、内容、開示の時期、開示により予想され得る被告人、弁護人の利益と検察官の公訴維持上もしくは国の機密上被る不利益とを十分比較考慮するときは、本件各証拠の開示は必要かつ妥当と認められます。よつて訴訟指揮権に基き、当職は検察官に対し次のとおり命令します。
 検察官は弁護人に対し、直ちに裁判官の証人遠藤政夫、同遠藤鶴子、同真下春夫、同古川八郎、同浅裏隆に対する各証人尋問調書を閲覧させること。
 なお、右命令は最高裁判所昭和三四年(し)第六〇号、同年一二月二六日第三小法廷決定と事案を異にする上、右決定自体証拠開示の理論についていまだ一般に十分な論議が尽くされていなかつた時期のもので、本命令が右決定の趣旨に反する点があるとしてもやむを得ないと考えます。また、本命令の効力については、これが適法に確定した場合、なおかつ、検察官においてこれに従わないおそれは殆んどないと考えますし、万一これに従わないとすれば、検察官において本件公訴を誠実に追行する意思がないものとして、公訴棄却の措置をとる等考慮しなければならないと考えます。

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