新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1201、2011/12/15 12:54 https://www.shinginza.com/qa-roudou.htm

【労働・労働者が申し出た退職の撤回】

質問:先日,会社の上司と口論になってしまい,売り言葉に買い言葉で口論がエスカレートし,私から上司に向かって「あんたの下でなんか働けない。こんな会社辞めてやる。」と言いました。そして,その場の勢いで「今月限りで会社を辞めさせて欲しい。」という内容の退職願を作成し,上司に提出してしまいました。翌日,冷静になり,上司に昨日のことを謝罪し退職願についても撤回したいとお願いしましたが,上司からは「すでに退職願を受理しているので撤回はできない。今週末の会議を経て正式に退職の辞令が下ることになる。」と言われました。今の職を失ってしまうと,すぐに再就職できる見込みもありませんし,とても困っています。一度提出してしまった退職願は撤回できないものなのかお聞きしたいです。

回答:
1.労働者からの退職の意思表示については,一方的解約意思の通告である「辞職」の場合と,使用者の承諾を前提とする「合意解約の申し入れ」という2つの場合に分けることができます。このうち,「辞職」については,使用者に意思表示が到達した後の撤回は許されないとする一方,「合意解約の申し入れ」については,使用者がそれを承諾する意思表示を行うまでは撤回できるとされています。労働者からの退職の意思表示ついて「辞職」と「合意解約の申し入れ」を分ける判断の指標,いかなる場合に「合意解約の申し入れ」について使用者の承諾の意思表示があったと判断されるかについては,解説をご覧ください。
2.裁判所は,労働者からの退職の意思表示につき「辞職」の意思表示と認定することに慎重な姿勢をとっているので,ご相談の件についても撤回の余地は残されているように見受けられます。あなたの退職願が「合意解約の申し入れ」にあたる場合には,使用者の承諾の意思表示がなされる前であれば撤回が可能なので,ただちに書面(内容証明郵便など)にて退職願を撤回する意思を明確にすべきでしょう。
3.労働法 参考事例,法律相談事例集キーワード検索:1141番1133番1062番925番915番842番786番763番762番743番721番657番642番458番365番73番5番,手続は,995番879番参照。

解説:
(労働契約に関する法規解釈の指針)

  先ず、労働法における雇用者(使用者),労働者の利益の対立について説明します。本来,資本主義社会において私的自治の基本である契約自由の原則から言えば,労働契約は使用者,労働者が納得して契約するものであれば特に不法なものでない限り,どのような内容であっても許されるようにも考えられますが,契約時において使用者側は経済力,情報力からも雇う立場上有利な地位にあるのが一般的ですし,労働力の対価として賃金をもらい日々生活する関係上,労働者は長期間にわたり拘束する契約でありながら,常に対等な契約を結べない危険性を有しています。又,労働契約は労働者が報酬(賃金)を得るために使用者の指揮命令に服し従属的関係にあることが基本的特色(民法623条)であり,契約後も自ら異議を申し出ることが事実上阻害され不平等な取扱いを受ける可能性を常時有しています。仮に労働契約内容に不満であっても,労働者側は,退職する自由しか与えられないことになってしまいます。
  このような状況は個人の尊厳を守り,人間として値する生活を保障した憲法13条,平等の原則を定めた憲法14条の趣旨に事実上反しますので,法律は民法の雇用契約の特別規定である労働法等(労働組合法,労働関係調整法,労働基準法の基本労働三法,労働契約法)により,労働者が雇用主と対等に使用者と契約でき,契約後も実質的に労働者の権利を保護すべく種々の規定をおいています。
  
  法律は性格上おのずと抽象的規定にならざるをえませんから,その解釈にあたっては使用者,労働者の実質的平等を確保するという観点からなされなければならない訳ですし,雇用者の利益は営利を目的とする経営する権利(憲法29条の私有財産制に基づく企業の営業の自由,経済的利益確保の自由)であるのに対し,他方労働者の利益は毎日生活し働く権利ですし(憲法25条,生存権),個人の尊厳確保に直結した権利ですから,使用者側の指揮命令権,労働者側の従属性が存在するとしてもおのずと力の弱い労働者の賃金および労働条件,退職等の具体的利益を侵害する事は許されないことになります。従って,解釈に当たっては,積極的に私的自治の原則に内在する,信義誠実の原則,権利濫用禁止の原則,個人の尊厳保障の法理(憲法12条,13条,民法1条,1条の2)が発動されなければならない分野です。
  ちなみに,労働基準法1条も「労働条件は,労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきものでなければならない。」第2条は「労働条件は労働者と使用者が,対等の立場において決定すべきものである。」と規定しています。以上の趣旨から契約上,法文上の形式的文言にとらわれることなく使用者側,労働者側の種々の利益を考慮調整し実質的対等性を確保する観点から労働法を解釈し,労働契約の有効性を判断することになります。

1 労働者からの退職の意思表示の解釈

  労働者から退職の意思表示をした場合,この退職の意思表示については「辞職」の意思表示か「合意解約の申し入れ」のいずれかと解されることになります。
  ここで,「辞職」の意思表示とは,使用者の意思に関わらず,一方的に労働者から労働契約を解消する旨の意思表示のことをいいます。労働者は,2週間の予告期間を設けて「辞職」の意思表示をすることで期間の定めのない労働契約を解消することができます(民法627条1項)。なお,一定期間をもって報酬を定めた場合には,労働契約の解約は次期以降に対するものとなり,申し入れは期間の前半に行わなければなりません(民法627条2項)。
  これに対し,「合意解約の申し入れ」は,労働者と使用者の合意により労働契約を終了させる旨の申し入れで,予告期間を含めた一方的解約の要件が満たされない場合でも合意解約によれば契約は有効に終了します。
  意思表示の撤回の可否については,「辞職」の場合には意思表示到達後の撤回は許されませんが,「合意解約の申し入れ」の場合には,使用者が承諾の意思表示を行うまでは撤回できると解されています。辞職の意思表示は単独行為というもので,相手に到達したときに効力が生じるため到達後の撤回はできなくなり,あとは錯誤とか取消とかの意思表示の効力の問題となります。これに対し合意解約の申し入れは契約の申し込みであり,相手の意思表示があって初めて効力が生じるので,解約の申し入れが相手に到達した時点では効果が発生していないため撤回が可能ということです(なお民法521条以下で撤回について制限を設けています)。相手が承諾すると契約の効果が生じるのでもはや撤回はできなくなり,その後は錯誤や取消の問題となります。

2 「辞職」か「合意解約の申し入れ」か

  上記のとおり,「辞職」と「合意解約の申し入れ」については,労働契約解消に必要な要件や意思表示後の撤回の可否という点で大きく異なります。
  労働者から会社に対して,労働契約を終了させる意思表示をする場合,口頭による退職の意思表示のほか,退職願や辞表などその様式は様々であり,これらの意思表示が「辞職」か「合意解約の申し入れ」かは,解釈の問題となります。
  大阪地裁平成10年7月17日判決は,労働者の口頭による退職の申し入れについて,当該申し入れが「辞職」にあたるか「合意解約の申し入れ」にあたるかを判断した裁判例です。この裁判例では,以下のとおりまず「辞職」と「合意解約の申し入れ」を分ける判断基準について判示し,その後,事案を細かく検討したうえで,労働者の退職の意思表示は「合意解約の申し入れ」であったと認定しています。

  「労働者による一方的退職の意思表示(以下「辞職の意思表示」という。)は,期間の定めのない雇用契約を,一方的意思表示により終了させるものであり,相手方(使用者)に到達した後は,原則として撤回することはできないと解される。しかしながら,辞職の意思表示は,生活の基盤たる従業員の地位を,直ちに失わせる旨の意思表示であるから,その認定は慎重に行うべきであって,労働者による退職又は辞職の表明は,使用者の態度如何にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかな場合に限り,辞職の意思表示と解すべきであって,そうでない場合には,雇用契約の合意解約の申込みと解すべきである。」

  「かかる観点から原告が平成八年八月二六日にした高田常務に対する言動を見るに,原告は,「会社を辞めたる。」旨発言し,高田常務の制止も聞かず部屋を退出していることから,右原告の言動は,被告に対し,確定的に辞職の意思表示をしたと見る余地がないではない。しかしながら,原告の「会社を辞めたる。」旨の発言は,高田常務から休職処分を言い渡されたことに反発してされたもので,仮に被告が右処分を撤回するなどして原告を慰留した場合にまで退職の意思を貫く趣旨であるとは考えられず,高田常務も,飛び出して行った原告を引き止めようとしたほか,翌八月二七日にもその意思を確認する旨の電話をするなど,原告の右発言を,必ずしも確定的な辞職の意思表示とは受け取っていなかったことが窺われる。したがって,これらの事情を考慮すると,原告の右「会社を辞めたる。」旨の発言は,使用者の態度如何にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかなものではあるとは言い難く,右原告の発言は,辞職の意思表示ではなく,雇用契約の合意解約の申込みであると解すべきである。」

  上記の裁判例の判旨からは,労働者の退職の意思表示について「辞職」の意思表示と解釈されるのは「使用者の態度如何にかかわらず確定的に雇用契約を終了させる旨の意思が客観的に明らかな場合」というように極めて限定されるということが読み取れます。そして,具体的な事実の検討では,退職の意思表示をするに至った経緯,使用者のほうで確定的な退職の意思表示として受け取っていたかなどを細かく検討したうえで,裁判例における退職の意思表示を合意解約の申し入れと認定しています。
  本件でも,あなたの退職の意思表示は上司との口論を発端とするものであり,この点については,辞職の意思表示と認定されにくくなる一事情といえるでしょう。

3 合意解約の申し入れの撤回

  合意解約は,現在締結されている労働契約を合意によって解消する新たな契約といえます。合意解約の申し入れは,合意解約という契約締結の申込みにあたり,本来は自由にできますが,民法521条以下の規定で相手方の保護のため,自由に撤回をすることはできないとされています。
  しかし,名古屋高裁昭和56年11月30日判決は,労働契約の合意解約の申し入れについては,その特殊性を考慮し,民法521条以下の適用はなく使用者が承諾の意思表示をするまでは原則として自由に撤回できるとしています。

  「一般に雇傭関係の合意解約の申入れは,雇傭契約終了の合意(契約)に対する申込みとしての意義を有するのであるが,これに対して使用者が承諾の意思表示をし,雇傭契約終了の効果が発生するまでは,使用者に不測の損害を与える等信義に反すると認められるような特段の事情がない限り,被用者は自由にこれを撤回することができるものと解するのが相当である。けだし,民法はその五二一条以下において契約の申込みに対し一定の拘束力を認めているが,右の規定はこれから新しく契約を締結しようとする申込みの場合に典型的に機能するのであって,これまで継続的に存続してきた雇傭関係を終了させようとする合意についての申込みの場合とは同列に論ずることができない。のみならず,被用者からなされた雇傭契約合意解約の申入れの場合には,一時的な衝動から不用意になされることも往々にしてあることを考えると,雇傭契約を従前どおり存続させる趣旨での合意解約申入れの撤回は原則として自由にこれを許し,一方これから生ずる不正義な結果は,信義に反すると認められる特段の事情が存する場合に,一定の制限を加えることにより回避することができると解せられるからである。」

  なお,上記名古屋高裁判例では,人事部長が,労働者の合意解約の申し入れを受理したことをもって,使用者が承諾の意思表示をしたといえるかが問題となりました。
  この点について,裁判所は,退職の辞令書の交付等の手続きが履践されていないこと,採用手続きと比較した場合に組織上の一定の手続きを履践したとはいえないこと指摘したうえで「そうすると,合田部長が被控訴人の退職願を受理したことをもって,本件雇傭契約の解約申入れに対する承諾があったものとは到底解することができず,右受理は解約申入れの意思表示を受領したことを意味するにとどまるものと解するのが相当である。」として,人事部長が合意解約の申し入れを受理しただけでは,使用者の承諾があったとはいえないと判示しました。

  しかし,上記名古屋高裁の上告審(最高裁昭和62年9月18日判決)では,以下のとおり判示したうえ,人事部長が合意解約の申し入れを受理しただけでは使用者の承諾があったとはいえないとの名古屋高裁の判断を破棄し差し戻しをしました。
  「私企業における労働者からの雇用契約の合意解約申込に対する使用者の承諾の意思表示は,就業規則等に特段の定めがない限り,辞令書の交付等一定の方式によらなければならないというものではない。」
  労働者の新規採用と労働者からの退職願に対する承認に関する使用者の意思決定については,場面が異なることを前提に「採用後の当該労働者の能力,人物,実績等について掌握し得る立場にある人事部長に退職承認についての利害得失を判断させ,単独でこれを決定する権限を与えることとすることも,経験則上何ら不合理なことではないからである。したがって,被上告人の採用の際の手続から推し量り,退職願の承認について人事部長の意思のみによって上告人の意思が形成されたと解することはできないとした原審の認定判断は,経験則に反するものというほかはない。」

  上記の最高裁判例からは,労働者からの退職願の承認について単独で最終決裁権をもつ人事部長が退職願を受領した場合には,その時点で使用者の承諾の意思表示があったと認定されることが読み取れます。
  ご相談の件について,あなたの退職願が合意解約の申し入れであったという前提で,会社側の承諾の意思表示があったかですが,あなたの上司が「今週末の会議を経て正式に退職の辞令が下る」と言ったとのことなので,あなたの上司には,労働者からの退職願の承認について単独で決定する権限はないように見受けられます。今週末の会議に先立って,会社の人事部などに退職願の撤回を申し入れる書面を送付するなど,早期の対応をお勧めします。後日紛争となる可能性がありますので,通知書面は,内容証明郵便の方式で行うと良いでしょう。直ちに弁護士さんに相談する事をお勧め致します。

<参照条文>

憲法
第12条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条  すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。
第14条  すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。
○2  華族その他の貴族の制度は,これを認めない。
○3  栄誉,勲章その他の栄典の授与は,いかなる特権も伴はない。栄典の授与は,現にこれを有し,又は将来これを受ける者の一代に限り,その効力を有する。

民法
(基本原則)
第1条  私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
2  権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
3  権利の濫用は,これを許さない。
(解釈の基準)
第2条  この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。
521条(承諾の期間の定めのある申込み)
1項 承諾の期間を定めてした契約の申込みは,撤回することができない。
524条
承諾の期間を定めないで隔地者に対してした申込みは,申込者が承諾の通知を受けるのに相当な期間を経過するまでは,撤回することができない。
627条(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)
1項 当事者が雇用の期間を定めなかったときは,各当事者は,いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において,雇用は,解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。
2項 期間によって報酬を定めた場合には,解約の申入れは,次期以後についてすることができる。ただし,その解約の申入れは,当期の前半にしなければならない。

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