新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1163、2011/9/29 15:17

【民事・会社が厚生年金に加入しない場合に当該会社に対して債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求ができるか】

質問:私が勤務している会社(事業所)は,厚生年金の対象となる会社(事業所)なのですが,会社は厚生年金加入の手続をとっていません。私はこれまでに何度か厚生年金に加入させてくれるようお願いしてきているのですが,会社は一向に手続を取ろうとはしません。私は,仕方なく国民年金に加入しています。私は厚生年金に加入することはできないのでしょうか。会社が加入の手続きを取らないことについて,会社に対して損害賠償を請求することはできないのでしょうか。

回答:
1.厚生年金については,厚生年金保険法に定められています。同法によれば,常時5人以上の従業員を使用するほとんどの事業の事業所(同法6,9条)で働く70歳未満の従業員は,厚生年金保険の被保険者(厚年9条)とされ,厚生労働大臣が被保険者資格の取得を確認することにより,正式に被保険者資格を取得することになります(厚年18条1項)。通常は,あなたの勤務先会社が,あなたの被保険者取得資格の事実を厚生労働大臣に届け出ることで,厚生労働大臣による確認がなされます(厚年27条)。しかし,あなたの勤務先がこの確認請求を行わない場合には,被保険者自身で確認請求をすることもできます(厚年31条)。
2.もし,勤務先が確認請求をしないために,確認請求をしていれば得られたであろう年金額が得られなくなった場合等は,勤務先に対して,債務不履行または不法行為に基づく損害賠償請求をすることができます。かつては,この請求を否定する裁判例も存在しましたが,現在では多くの裁判例がこの請求を認めています。
  以下,詳しく解説します。

解説:

厚生年金制度の制度趣旨について

 人は誰でも高齢になると老化により働くことが困難になります。勿論,各人が老後の蓄えを用意するという自助努力も必要ですが,現代福祉国家においては,社会的な制度として高齢者の最低限度の生活を保障するような手当ても必要とされています。なぜなら,生きる権利というのは,最も基本的な自然権であり,生まれながらに全ての人が当然に有する基本権だからです。国民が生存できなければ,法の支配も,民主主義も,国家の存立もできないからです。憲法の前文や条文において,どんなに立派な法律の理念を述べても国民が生存できなければ意味がありません。法の支配を基本理念とする現代立憲国家において,生存権保障は必須の条件であると言えるでしょう。労働者を雇用する立場の雇用主も,この制度趣旨をよく理解し,法律で義務付けられた手続を取ることが必要です。我が国の憲法25条では,「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権を規定しており,これを具体化する法律がいくつか整備されています。厚生年金保険法もそのうちのひとつです。

 厚生年金保険法の1条を引用します。「第一条 この法律は,労働者の老齢,障害又は死亡について保険給付を行い,労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とし,あわせて厚生年金基金がその加入員に対して行う給付に関して必要な事項を定めるものとする。」つまり,老齢になって働けなくなった労働者や亡くなった労働者の遺族に保険給付を行うことにより,その生活の安定と福祉を向上させることを目的としており,憲法25条が保障する生存権を具体化する法律です。他にも,国民年金法や生活保護法など,生存権を具体化する立法措置がとられています。
 
1.厚生年金保険加入の仕組みについて
(1)被保険者資格について
ア 厚生年金保険の被保険者資格については,厚生年金保険法9条が,「適用事業所に使用される70歳未満の者」と定めています。したがって,あなたの勤務している会社が,同法6条に掲げられた適用事業所に該当し,かつ,あなたが70歳未満であれば,あなたは厚生年金保険の被保険者資格を有することになります。
イ もっとも,同法は,被保険者資格取得は「厚生労働大臣の確認によって,その効力を生ずる」と定めていますので(厚年18条1項),より正確には,この厚生労働大臣による確認をもって,正式に厚生年金保険の被保険者資格を有することになります(ただし,その資格の取得時期は,厚生労働大臣による確認の時点ではなく,適用事業所に使用されるに至った日とされます。厚年13条1項)。

(2)雇用主による届出義務
そして,厚生労働大臣による確認の前提として,厚生年金保険は,事業主に対し,被保険者の資格の取得を厚生労働大臣に届け出ることを義務づけています(厚年27条)。この届出義務の懈怠については,罰則も定められており(厚年102条1項1号),通常は,この届出をもとに厚生労働大臣が被保険者資格取得の確認をすることになります。

(3)被保険者による確認請求
ところが,必ずしもすべての事業主が届出をしてくれるとは限りません。厚生年金保険料は事業主と被保険者の折半とされているため(厚年82条),事業主負担を嫌う事業主が,あえて届出をしないという事態も生じ得ます。このような場合に厚生労働大臣による確認手続がなされず,被保険者資格取得の効力が生じないのは不都合ですので,厚生年金保険法は,被保険者に対し,厚生労働大臣による確認の請求を認めています(厚年31条)。

2.損害賠償請求について
  このように,厚生年金保険法は被保険者からの確認請求を認めていますので,直ちにご自身で確認請求をなされれば,事業主が届出をしなくても不利益を被ることはありません。確認請求さえなされていれば,その後保険料の納付がなされず,保険料徴収権が時効消滅したとしても,その保険料に係る被保険者期間に基づく保険給付は行われるからです(厚年75条但書)。しかし,実際には,事業主から「あなたは厚生年金に加入できない」という虚偽の説明を受けてそれを信じていたり,あるいは「厚生年金に加入しないことを条件に雇用する」などといった合意がなされたりしていることで,確認請求がなされないケースも多く存在します。
  以下では,このようなケースで,事業主に対して損害賠償請求をすることができるかどうかを検討します。

(1)被保険者と事業主の間における義務違反の有無
被保険者が事業主に対して損害賠償を請求するためには,不法行為に基づくにせよ,債務不履行責任に基づくにせよ,事業主が,被保険者との関係で義務に違反したことが必要になります。

  ア 事業主による届出義務の性質
    前述の通り,厚生年金保険法は,事業主に対し,被保険者の資格の取得を厚生労働大臣に届け出ることを義務づけています。問題は,この事業主の届出義務が,保険者との関係における公法的な義務にとどまるのか,それとも,被保険者との関係における私法的な義務といえるのかです。
    また,私法的な義務と考える場合には,その義務違反が不法行為となるのか,債務不履行となるのか(あるいはその両方か),債務不履行と構成する場合には,労働契約の本来的な義務と考えるか,あるいは労働契約に付随する義務と考えるかも問題となります。

  イ 裁判例
    この問題について,奈良地判平成18年9月5日は,以下のように判示し,事業主の届出義務の懈怠が,被保険者との関係で債務不履行となることを明言しています。
   「3 被告の届出義務の懈怠の意味
したがって,被告は,原告がそれぞれの被保険者としての資格を取得したことを,各保険者(健康保険については大阪文紙事務機器健康保険組合,厚生年金については社会保険庁長官,厚生年金基金については関西文紙事務器厚生年金基金)に,それぞれ届け出る義務を負う(健康保険法48条,厚生年金保険法27条,128条)というべきところ,被告は,これを怠り,平成16年10月に至って過去2年間分について遡及して加入する手続をしたに過ぎないから,被告には上記の届出義務を怠った違法がある。そして,法が上記のとおり事業主に対して被保険者の資格取得について各保険者に対する届出を義務付けたのは,これら保険制度への強制加入の原則を実現するためであると解されるところ,法がこのような強制加入の原則を採用したのは,これら保険制度の財政基盤を強化することが主たる目的であると解されるが,それのみに止まらず,当該事業所で使用される特定の労働者に対して保険給付を受ける権利を具体的に保障する目的をも有するものと解すべきであり,また,使用者たる事業主が被保険者資格を取得した個別の労働者に関してその届出をすることは,雇用契約を締結する労働者においても期待するのが通常であり,その期待は合理的なものというべきである。これらの事情からすれば,事業主が法の要求する前記の届出を怠ることは,被保険者資格を取得した当該労働者の法益をも直接に侵害する違法なものであり,労働契約上の債務不履行をも構成するものと解すべきである。」

  ウ 私見
    私見としても,上記の裁判例と同様に,事業主の届出義務の違反は私法上の義務違反となり,被保険者は,事業主に対し,債務不履行または不法行為に基づき損害賠償請求をすることができると考えます。なお,債務不履行を構成する場合には,事業主の届出義務は,(被保険者と事業主の間で,届出手続を行う旨の特約がない限り)労働契約に付随する義務と考えるべきでしょう。契約の本来的な義務は,契約当事者の意思の合致により生じるものですから,当事者間に合意がない限り,契約の本来的な義務とは言いがたいからです。もちろん,厚生年金保険法が強制加入の原則を採用して,事業主に届出義務を課している以上,届出を行わない旨の合意を被保険者と事業主の間でしたとしても,これは無効であると考えられますが,それを超えて,(厚生年金保険法のみを根拠に)届出を行う義務を被保険者と事業主の間で生じさせることはやはり無理があります。被保険者と事業主の間における私法上の義務は,事業主が届出手続を行うことに対する労働者の期待と,この期待を保護すべき事業主に対する信義則上の付随義務と捉えるべきと考えます。
(2)損害について
以上のように,損害賠償請求ができるとして,具体的に何が「損害」であるかは1つの問題です。

ア 厚生年金保険法上,保険料徴収権は2年で消滅するとされており(厚年92条1項),事業主による届出又は被保険者による確認請求前に時効消滅した保険料に係る被保険者期間については,保険給付がなされない扱いとなっています(厚年75条本文)。

イ ややわかりづらいので具体例を挙げて説明しますと,仮にあなたが5年前から適用事業所に使用されていた場合,これから確認請求をしたとしても,資格取得日自体は,厚生年金保険法13条1項により5年前と扱われます。そうすると,この5年間のうち,2年以上前の保険料については既に時効にかかっていることになり,これを納付することはできませんし,この期間については保険給付がなされないことになります。

ウ したがって,このような場合における損害としては,5年間保険料を支払っていれば得られたであろう年金額と,2年間保険料を支払ったことにより得られる年金額の差額や,この間支出を余儀なくされた国民年金保険料,ということになるでしょう。もっとも,前述の通り,厚生年金保険料は事業主と被保険者の折半ですから,被保険者負担分については損害額から控除されることになります。

(3)過失相殺について
なお,被保険者には確認請求が認められているわけですから,これをしないことは過失相殺事由になり得ます。
   もっとも,前掲の裁判例は,以下のように述べて過失相殺を否定しました。
  「被告は,原告が時給が減額されるという理由で社会保険加入を断ったものであり,厚生年金保険法31条によれば,被保険者又は被保険者であった者は,いつでも18条1項の規定による確認(被保険者の資格の取得及び喪失についての社会保険庁長官の確認)を請求することができるのに,原告はその請求をせず,被告のした処理に関し,長年にわたって何らの異議申立てを行わずにおり,退職直前になって異議申立てをしたものであるとして,原告について大幅な過失相殺がされるべきである旨主張する。たしかに,法は,被保険者資格の取得について,単に事業主に報告を義務付けているだけでなく,被保険者自身による確認の請求を認めているのであるから,その不行使の事実をもって被保険者の過失と評価すべき余地があることは否定できない。しかし,本件においては,前記認定のとおり,原告の採用に際し,被告担当者が社会保険加入の資格に関して事実に反する説明をしており,それが原因で原告も社会保険の加入を諦めていたものであること,その後,原告は,社会保険事務所への相談で加入資格があることを知るに至ったものの,その際も,一方では被告が給料の減額や退職などの不利益処遇を口にし,他方では社会保険事務所への相談でも事態の解決に至らなかったものであり,このような状態で確認の請求を期待することは困難を強いるものというべきこと,原告は,折に触れて社会保険事務所等での相談をし,その結果,過去分の遡及的加入も実現したものであることなど前記認定のような事情からすれば,被保険者にも確認の請求が認められているとの事情を考慮しても,本件において原告に過失があったものということはできない。」

3.まとめ
  このように,あなた自身で確認請求をすることができますし,これをしなかった場合にも,損害賠償請求が認められる可能性は十分にあります。使用者が届出手続をとってくれない場合にも泣き寝入りすることなく,お近くの法律家にご相談ください。

<参考条文>

厚生年金保険法
第一章 総則
(この法律の目的)
第一条  この法律は,労働者の老齢,障害又は死亡について保険給付を行い,労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とし,あわせて厚生年金基金がその加入員に対して行う給付に関して必要な事項を定めるものとする。

(適用事業所)
第六条  次の各号のいずれかに該当する事業所若しくは事務所(以下単に「事業所」という。)又は船舶を適用事業所とする。
一  次に掲げる事業の事業所又は事務所であつて,常時五人以上の従業員を使用するもの
イ 物の製造,加工,選別,包装,修理又は解体の事業
ロ 土木,建築その他工作物の建設,改造,保存,修理,変更,破壊,解体又はその準備の事業
ハ 鉱物の採掘又は採取の事業
ニ 電気又は動力の発生,伝導又は供給の事業
ホ 貨物又は旅客の運送の事業
ヘ 貨物積みおろしの事業
ト 焼却,清掃又はと殺の事業
チ 物の販売又は配給の事業
リ 金融又は保険の事業
ヌ 物の保管又は賃貸の事業
ル 媒介周旋の事業
ヲ 集金,案内又は広告の事業
ワ 教育,研究又は調査の事業
カ 疾病の治療,助産その他医療の事業
ヨ 通信又は報道の事業
タ 社会福祉法 (昭和二十六年法律第四十五号)に定める社会福祉事業及び更生保護事業法 (平成七年法律第八十六号)に定める更生保護事業
二  前号に掲げるもののほか,国,地方公共団体又は法人の事業所又は事務所であつて,常時従業員を使用するもの
三  船員法 (昭和二十二年法律第百号)第一条 に規定する船員(以下単に「船員」という。)として船舶所有者(船員保険法 (昭和十四年法律第七十三号)第三条 に規定する場合にあつては,同条 の規定により船舶所有者とされる者。以下単に「船舶所有者」という。)に使用される者が乗り組む船舶(第五十九条の二を除き,以下単に「船舶」という。)
2  前項第三号に規定する船舶の船舶所有者は,適用事業所の事業主とみなす。
3  第一項の事業所以外の事業所の事業主は,厚生労働大臣の認可を受けて,当該事業所を適用事業所とすることができる。
4  前項の認可を受けようとするときは,当該事業所の事業主は,当該事業所に使用される者(第十二条に規定する者を除く。)の二分の一以上の同意を得て,厚生労働大臣に申請しなければならない。
(被保険者)
第九条  適用事業所に使用される七十歳未満の者は,厚生年金保険の被保険者とする。
(資格取得の時期)
第十三条  第九条の規定による被保険者は,適用事業所に使用されるに至つた日若しくはその使用される事業所が適用事業所となつた日又は前条の規定に該当しなくなつた日に,被保険者の資格を取得する。
2  第十条第一項の規定による被保険者は,同条同項の認可があつた日に,被保険者の資格を取得する。
(資格の得喪の確認)
第十八条  被保険者の資格の取得及び喪失は,厚生労働大臣の確認によつて,その効力を生ずる。ただし,第十条第一項の規定による被保険者の資格の取得及び第十四条第三号に該当したことによる被保険者の資格の喪失は,この限りでない。
2  前項の確認は,第二十七条の規定による届出若しくは第三十一条第一項の規定による請求により,又は職権で行うものとする。
3  第一項の確認については,行政手続法 (平成五年法律第八十八号)第三章 (第十二条及び第十四条を除く。)の規定は,適用しない。
(届出)
第二十七条  適用事業所の事業主又は第十条第二項の同意をした事業主(以下単に「事業主」という。)は,厚生労働省令で定めるところにより,被保険者(被保険者であつた七十歳以上の者であつて当該適用事業所に使用されるものとして厚生労働省令で定める要件に該当するもの(以下「七十歳以上の使用される者」という。)を含む。)の資格の取得及び喪失(七十歳以上の使用される者にあつては,厚生労働省令で定める要件に該当するに至つた日及び当該要件に該当しなくなつた日)並びに報酬月額及び賞与額に関する事項を厚生労働大臣に届け出なければならない。
(確認の請求)
第三十一条  被保険者又は被保険者であつた者は,いつでも,第十八条第一項の規定による確認を請求することができる。
2  厚生労働大臣は,前項の規定による請求があつた場合において,その請求に係る事実がないと認めるときは,その請求を却下しなければならない。
第七十五条  保険料を徴収する権利が時効によつて消滅したときは,当該保険料に係る被保険者であつた期間に基く保険給付は,行わない。但し,当該被保険者であつた期間に係る被保険者の資格の取得について第二十七条の規定による届出又は第三十一条第一項の規定による確認の請求があつた後に,保険料を徴収する権利が時効によつて消滅したものであるときは,この限りでない。
(時効)
第九十二条  保険料その他この法律の規定による徴収金を徴収し,又はその還付を受ける権利は,二年を経過したとき,保険給付を受ける権利(当該権利に基づき支払期月ごとに又は一時金として支払うものとされる保険給付の支給を受ける権利を含む。第四項において同じ。)は,五年を経過したときは,時効によつて,消滅する。
2  年金たる保険給付を受ける権利の時効は,当該年金たる保険給付がその全額につき支給を停止されている間は,進行しない。
3  保険料その他この法律の規定による徴収金の納入の告知又は第八十六条第一項の規定による督促は,民法 (明治二十九年法律第八十九号)第百五十三条 の規定にかかわらず,時効中断の効力を有する。
4  保険給付を受ける権利については,会計法 (昭和二十二年法律第三十五号)第三十一条 の規定を適用しない。

法律相談事例集データベースのページに戻る

法律相談ページに戻る(電話03−3248−5791で簡単な無料法律相談を受付しております)

トップページに戻る