新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1050、2010/9/9 17:23

【介護目的のための通勤経路逸脱と通勤災害】

質問:私は、仕事を終え徒歩で会社から出た後、身体が不自由な母の食事や入浴の世話をするため、自宅とは反対方向にある母の家に立ち寄りました。その後、世話を終えて母の家を出て自宅に向かったところ、普段会社に行くのに使う道に戻ってきたところで交通事故に遭い、負傷しました。このような場合は、「通勤災害」として労災保険が適用される保険給付を受けることができるのでしょうか。

回答:母親の介護のため通常の通勤経路とは違う経路で帰宅した場合も、労働者災害補償保険法上の通勤災害にあたると判断され、保険給付を受けることができる可能性があります。

解説:
(労働者災害補償保険法の意義)
 労働者災害補償保険法(以下「労災法」と言います。)とは、労働者災害補償保険いわゆる「労災保険」を定める法律で、内容としては業務災害と通勤災害に遭遇した労働者(又は遺族)を対象として国家が管理して行う保険給付等について規定しています(労災法1条、2条)。労働契約上、労働者が、業務上、通勤上災害にあった場合、加害者が存在すれば、加害者に対して損害賠償請求が可能ですが、相手方に財産がない場合、相手方に過失がない場合には損害は填補されません。又、使用者側に損害発生につき過失があれば使用者に責任追及ができますが、複雑な業務についての過失の立証ができない場合は、労働者の生活は一瞬にして破綻の可能性が存在し、生存権(憲法25条)が脅かされます。 しかし、使用者は労働者を事実上業務において指揮命令権の下支配下におき利益を確保し、災害が生じる危険性がある業務に従事させていることから危険責任、報償責任を負わなければならず、他方労働者は、労働力を提供して日々の生活を維持しなければならないことから私的自治の原則に内在する正義、公平の原則という法の理想から(根拠について他に種々の学説があります)労働基準法上、使用者は、業務上の災害に対して災害の損害を賠償する無過失の法的責任を負うことになります(使用者の労働災害補償義務、労働基準法75条以下)。
 しかし、いくら使用者が無過失責任を負っていても弁償する財産が存在せず実際上迅速に支給されなければその目的を達成することはできませんので、使用者の損害賠償責任を実質的に保障するため国家が管理する保険が必要でありそのため作られたのが労動者災害保険制度であり、労動者災害保険法です。従って、以上の趣旨から労災法も解釈されることになります。

1.(通勤災害)
 労災法で保険給付の対象となるのは、業務災害と通勤災害の二つです(労災法7条)。本件で問題となるのは通勤災害です。通勤災害とは、労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡のことをいいます(労働者災害補償法7条2号)。今回は、あなたの負傷が「通勤」によるものといえるかどうかという点が重要なポイントとなりますので、通勤災害にいう「通勤」の意義について触れた上で、本件の事情の下であなたの負傷が「通勤」によるものにあたるかという点を中心に説明します。

2.(通勤の意義・原則・例外)
 「通勤」とは、労働者が、就業に関し、@住居と就業の場所との間の往復、A就業の場所から他の就業場所への移動、B @の往復に先行または後続する住居間の移動のいずれかを、合理的な経路および方法により行うことをいい、業務の性質を有するものを除くとされています(同条2項)。労働基準法上は、通勤災害については明文で規定していませんが、労災保険法では、通勤も保険の対象となる旨明らかにして法の理想から労働者の生活権を保護しています。
 そして、労働者が@〜Bの移動の経路を逸脱し、またはそれらの移動を中断した場合には、当該逸脱または中断の間及びその後の移動は、原則として「通勤」とならないと定められています(同条3項本文)。労災の使用者責任の根拠が、労働者をその支配下におくことから認められる報償責任、危険責任と考える以上、逸脱、中断の移動等は対象外になるのはやむを得ないものと考えられます。
 ただし、当該逸脱または中断が、日常生活上必要やむを得ない行為であって厚生労働省令で定めるもの(たとえば、日用品の購入、職業能力開発のための受講、選挙権の行使、病院での診療など)をやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は、逸脱・中断の間を除き、「通勤」にあたるとされています(同条3項但し書、労働者災害補償保険法規則8条)。通勤の中断逸脱を形式的に判断すると、災害救済が事実上実効性を失い労災補償の趣旨を実現できませんので、通勤に通常生じうる日常生活上やむを得ない行為を特に限定して逸脱、中断があっても通勤として認定しています。
 以上のことをまとめると、まず、@〜Bの移動を合理的な経路及び方法、つまり一般に労働者が用いるものと認められる経路及び手段で行う場合には「通勤」に該当します。そして、その移動の経路を逸脱、もしくは移動を中断した場合には通勤とは認められませんが、当該逸脱または中断が、日常生活上必要やむを得ない行為であってやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合には、その逸脱又は中断、は「通勤」に該当するということになります。

3.以上を前提にその他の要件も踏まえて本件を検討します。

4.(労働者であるか。)まず、出発点としてはあなたが労災法上の「労働者」であることが前提であり(労災法1,2条は労働者が給付の対象であることを明記しています)、あなたが会社の役員等経営者であれば対象外となります。

5.次に「通勤」といえるか検討します。
 (移動が就業に関するものかどうか。)通勤は、条文上「就業に関する移動」と規定されています。「就業に関し」とは、解釈上「往復行為が業務と密接な関連をもって行われること」と広く解されています。そうでなければ、労働者の災害救済を達することはできないからです。本件の場合、あなたが会社での職務を終えた後、職場に漫然と居残るというようなことなく、そのまま会社を出て、介護目的のために親の家に立ち寄るにせよ最終的には自宅へ向かうために移動していたのであれば、この要件を満たすものと思われます。

6.(通勤の要件である移動の中断、逸脱があるか。中断、逸脱があっても労災法2条3項但し書きにより救済ができるか。)
 (1)まず、本件では、会社からの帰宅途中に親の家に立ち寄ったという事情がありますからそもそも通勤に該当するかどうかが問題になります。すなわち、「@住居と就業の場所との間の往復」からの逸脱がないかという点です(同条3項)。妻の親の家への立ち寄りは通常の通勤経路とは異なりますので形式的には逸脱と判断できるでしょう。但し、3項但し書きは、中断、逸脱があっても、「当該逸脱又は中断が、日常生活上必要な行為であって、厚生労働省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は」除いています。この条文は、要件が厳格であり、まず、「日常生活上必要な行為として厚生労働省令で定めるもの」「やむを得ない事由により行うための最小限度のもの」の2つの要件をクリアーしなければいけません。さらに、「当該逸脱又は中断の間を除き」と規定しているので、通常の通勤と認められる合理的経路に戻った場所での災害であることが必要です。

 (2)そこでまず、「日常生活上必要な行為」と言えるか検討が必要です。この点、あなたは会社を出た後母親の家に向かい、そこで食事の世話等をしたということですが、このような行為は通勤の途中で行うような些細な行為、(たとえば、帰り道の近くの公園のベンチで水分補給のため短時間休んだり、トイレに寄ったりするなど)とは言えませんから、「日常生活上必要な行為」とは言えないようにも思われます。しかし、日常生活上必要な行為とは、一般社会生活上に生じる必要な行為と広く解釈する必要があります。そう解釈しないと、労働者の日常生活から生じる災害からの保護ができないからです。従って、家族である義理の母親も介護も日常生活上の必要な行為と解釈することが可能と思います。
 この点について労働者災害補償保険法規則8条5号は、「要介護状態にある配偶者、子、父母、配偶者の父母並びに同居し、かつ、扶養している孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護(継続的に又は反復して行われるものに限る)」を日常生活上必要な行為として挙げていますので問題ないでしょう。今回あなたは身体の不自由な母親の食事等の世話をするため立ち寄ったとのことであり、母親が要介護状態にある場合には、5号に該当すると思われます。

 (3)次に「やむを得ない最小限度のものであること」という要件を検討します。たとえば本件では母親の介護のためにあなたが立ち寄る必要があり、その滞在時間が主に介護のために割かれたという事情があれば、この条件もクリアーできるでしょう。
もっとも、5号かっこ書きにあるように、当該行為は継続的に又は反復して行われるものに限るとされていますから、普段は介護のために立ち寄ることはなくこれからもそのような予定はないけれど、今回はたまたま世話のために立ち寄ったというような場合には、5号に該当しないと判断される可能性があります。

 (4)さらに、5号に該当し、労働者災害補償保険法7条3項但し書きの適用がある場合には、規定上「当該逸脱又は中断の間を除き」と規定されていますが、貴方は普段会社に行くのに使う道に戻ってきたところで(通常の合理的経路に戻った時に)交通事故に遭遇していますからこの点も問題はないと思われます。よって、あなたが自宅を目指し当該道路上を移動することは、やはり「通勤」にあたると判断されると考えられます。

7.(通勤と負傷の因果関係)また、通勤災害は、通勤「による」負傷等であること、すなわち負傷等が通勤に通常伴う危険の具体化であるといえることが必要となりますが、通勤途中の交通事故ということでありこの点も問題ありません。

8.(判例)大阪高裁平成19年4月18日第3民事部判決、本判決は、労働者が妻の父(義父)の介助を週4日程度行い、帰宅途中に甲事故にあったと事案です。当時は、労働者災害補償保険法規則8条5号「要介護状態にある配偶者、子、父母、配偶者の父母並びに同居し、かつ、扶養している孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護(継続的に又は反復して行われるものに限る)」の規定がなく、同条、1号の「  日用品の購入その他これに準ずる行為」の認定をして救済しています。労災保険制度の趣旨から見て妥当な判断でしょう。本判決により争いをなくすため規則8条5号は追加されることになりました。

9.(まとめ)以上より、自宅とは反対の方向にある親の家に立ち寄った場合でも、上記に挙げたような具体的事情によっては、あなたの負傷は、通勤災害に該当します。その場合には、労働者災害補償保険法に基づいて、各種の保険給付を申請することを検討すべきでしょう。なお、あなたは交通事故で負傷したということですから、自動車損害賠償責任保険に基づく保険金請求、加害者に対する損害賠償請求といった他の救済手段も考えられます。

≪参照条文≫

労働者災害補償保険法
第一章 総則
第一条  労働者災害補償保険は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて、業務上の事由又は通勤により負傷し、又は疾病にかかつた労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護、労働者の安全及び衛生の確保等を図り、もつて労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする。
第二条  労働者災害補償保険は、政府が、これを管掌する。
第三章 保険給付
    第一節 通則
第七条  この法律による保険給付は、次に掲げる保険給付とする。
一  労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡(以下「業務災害」という。)に関する保険給付
二  労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡(以下「通勤災害」という。)に関する保険給付
三  二次健康診断等給付
○2  前項第二号の通勤とは、労働者が、就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路及び方法により行うことをいい、業務の性質を有するものを除くものとする。
一  住居と就業の場所との間の往復
二  厚生労働省令で定める就業の場所から他の就業の場所への移動
三  第一号に掲げる往復に先行し、又は後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る。)
○3  労働者が、前項各号に掲げる移動の経路を逸脱し、又は同項各号に掲げる移動を中断した場合においては、当該逸脱又は中断の間及びその後の同項各号に掲げる移動は、第一項第二号の通勤としない。ただし、当該逸脱又は中断が、日常生活上必要な行為であつて厚生労働省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は、当該逸脱又は中断の間を除き、この限りでない。

労働者災害補償保険法施行規則
(日常生活上必要な行為)
第八条  法第七条第三項 の厚生労働省令で定める行為は、次のとおりとする。
一  日用品の購入その他これに準ずる行為
二  職業訓練、学校教育法第一条 に規定する学校において行われる教育その他これらに準ずる教育訓練であつて職業能力の開発向上に資するものを受ける行為
三  選挙権の行使その他これに準ずる行為
四  病院又は診療所において診察又は治療を受けることその他これに準ずる行為
五  要介護状態にある配偶者、子、父母、配偶者の父母並びに同居し、かつ、扶養している孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護(継続的に又は反復して行われるものに限る。)

労働基準法
第八章 災害補償
(療養補償)
第七十五条  労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかつた場合においては、使用者は、その費用で必要な療養を行い、又は必要な療養の費用を負担しなければならない。
○2  前項に規定する業務上の疾病及び療養の範囲は、厚生労働省令で定める。
(休業補償)
第七十六条  労働者が前条の規定による療養のため、労働することができないために賃金を受けない場合においては、使用者は、労働者の療養中平均賃金の百分の六十の休業補償を行わなければならない。
○2  使用者は、前項の規定により休業補償を行つている労働者と同一の事業場における同種の労働者に対して所定労働時間労働した場合に支払われる通常の賃金の、一月から三月まで、四月から六月まで、七月から九月まで及び十月から十二月までの各区分による期間(以下四半期という。)ごとの一箇月一人当り平均額(常時百人未満の労働者を使用する事業場については、厚生労働省において作成する毎月勤労統計における当該事業場の属する産業に係る毎月きまつて支給する給与の四半期の労働者一人当りの一箇月平均額。以下平均給与額という。)が、当該労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかつた日の属する四半期における平均給与額の百分の百二十をこえ、又は百分の八十を下るに至つた場合においては、使用者は、その上昇し又は低下した比率に応じて、その上昇し又は低下するに至つた四半期の次の次の四半期において、前項の規定により当該労働者に対して行つている休業補償の額を改訂し、その改訂をした四半期に属する最初の月から改訂された額により休業補償を行わなければならない。改訂後の休業補償の額の改訂についてもこれに準ずる。
○3  前項の規定により難い場合における改訂の方法その他同項の規定による改訂について必要な事項は、厚生労働省令で定める。
(障害補償)
第七十七条  労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、治つた場合において、その身体に障害が存するときは、使用者は、その障害の程度に応じて、平均賃金に別表第二に定める日数を乗じて得た金額の障害補償を行わなければならない。
(休業補償及び障害補償の例外)
第七十八条  労働者が重大な過失によつて業務上負傷し、又は疾病にかかり、且つ使用者がその過失について行政官庁の認定を受けた場合においては、休業補償又は障害補償を行わなくてもよい。
(遺族補償)
第七十九条  労働者が業務上死亡した場合においては、使用者は、遺族に対して、平均賃金の千日分の遺族補償を行わなければならない。
(葬祭料)
第八十条  労働者が業務上死亡した場合においては、使用者は、葬祭を行う者に対して、平均賃金の六十日分の葬祭料を支払わなければならない。
(打切補償)
第八十一条  第七十五条の規定によつて補償を受ける労働者が、療養開始後三年を経過しても負傷又は疾病がなおらない場合においては、使用者は、平均賃金の千二百日分の打切補償を行い、その後はこの法律の規定による補償を行わなくてもよい。
(分割補償)
第八十二条  使用者は、支払能力のあることを証明し、補償を受けるべき者の同意を得た場合においては、第七十七条又は第七十九条の規定による補償に替え、平均賃金に別表第三に定める日数を乗じて得た金額を、六年にわたり毎年補償することができる。
(補償を受ける権利)
第八十三条  補償を受ける権利は、労働者の退職によつて変更されることはない。
○2  補償を受ける権利は、これを譲渡し、又は差し押えてはならない。
(他の法律との関係)
第八十四条  この法律に規定する災害補償の事由について、労働者災害補償保険法 (昭和二十二年法律第五十号)又は厚生労働省令で指定する法令に基づいてこの法律の災害補償に相当する給付が行なわれるべきものである場合においては、使用者は、補償の責を免れる。
○2  使用者は、この法律による補償を行つた場合においては、同一の事由については、その価額の限度において民法 による損害賠償の責を免れる。
(審査及び仲裁)
第八十五条  業務上の負傷、疾病又は死亡の認定、療養の方法、補償金額の決定その他補償の実施に関して異議のある者は、行政官庁に対して、審査又は事件の仲裁を申し立てることができる。
○2  行政官庁は、必要があると認める場合においては、職権で審査又は事件の仲裁をすることができる。
○3  第一項の規定により審査若しくは仲裁の申立てがあつた事件又は前項の規定により行政官庁が審査若しくは仲裁を開始した事件について民事訴訟が提起されたときは、行政官庁は、当該事件については、審査又は仲裁をしない。
○4  行政官庁は、審査又は仲裁のために必要であると認める場合においては、医師に診断又は検案をさせることができる。
○5  第一項の規定による審査又は仲裁の申立て及び第二項の規定による審査又は仲裁の開始は、時効の中断に関しては、これを裁判上の請求とみなす。
第八十六条  前条の規定による審査及び仲裁の結果に不服のある者は、労働者災害補償保険審査官の審査又は仲裁を申し立てることができる。
○2  前条第三項の規定は、前項の規定により審査又は仲裁の申立てがあつた場合に、これを準用する。

≪最高裁判例≫
大阪高裁平成19年4月18日第3民事部判決

≪参考文献≫
菅野和夫「労働法<第九版>」(弘文堂、2010年4月)
野川忍「新訂労働法」(商事法務、20100年4月)
嵩さやか・平成19年度重要判例解説246頁

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