私人逮捕により痴漢加害者が負傷した場合の対応|私人逮捕の正当行為該当性

刑事|私人逮捕が正当行為(刑法35条)として違法性阻却されるか|痴漢加害者が、被害者による私人逮捕の際に負傷したことを理由に、被害者に対して損害賠償を請求した事案|最判昭和50年4月3日、東京高判昭和37年2月20日、東京地判平成元年3月14日

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参照条文

質問

都内の会社に勤務する25歳・女性です。先日、会社から帰宅中の電車内で乗客の男性から痴漢の被害に遭いました。

私は、臀部付近を触っていた男性の腕を掴んで、駅のホームに出るよう求めたのですが、ホーム上で男性が私の腕を振り解いて逃げようと暴れたため、腕を掴んだままの私と揉み合いのような状態になり、その際、男性を転倒させてしまいました。

結局、男性は近くで一部始終を見ていた駅員らによって取り押さえられ、警察に引き渡されたのですが、暫くして男性の弁護人だという弁護士から話し合いを求める連絡があり、謝罪と被害弁償についての話かと思い、面談に応じることにしました。

ところが、弁護士の話は、私が掴んだ腕を離さなかったことで男性が転倒した際、手首を骨折しており、男性の方から逆に傷害罪での刑事告訴と損害賠償請求を予定しているとのことで、それが嫌であれば痴漢の被害届の取下げ等に同意するように、というものでした。

元々は男性の痴漢行為が原因であるにもかかわらず、このような主張をされることに納得がいきませんし、男性に対して許せない気持ちです。

男性に対しては然るべき謝罪と被害弁償を要求したいと考えているのですが、どのように対応していったらよいでしょうか。

回答

1 暴れる男性の腕を掴み続けて転倒させ、手首を骨折させたあなたの行為は、傷害罪(刑法204条)の構成要件に該当するものと考えられます。もっとも、実際に傷害罪が成立するためには、構成要件を満たしていることに加え、違法性が認められる必要があり、あなたの場合、私人による現行犯逮捕(刑事訴訟法213条、212条1項)として適法な行為ということができれば、「法令又は正当な業務による行為」として違法性が阻却され(刑法35条)、傷害罪は成立しないことになります。違法性がない行為であれば、民事上も不法行為(民法709条)は成立せず、男性に対して損害賠償義務を負うこともありません。

2 判例上、現行犯人を逮捕するにあたっては一定の実力行使が許容されており、具体的には「その際の状況からみて社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内」であれば適法な行為と判断されることになります。あなたの場合、男性の腕を掴む行為のみに終始していたということであれば、迷惑行為防止条例違反という比較的軽微な犯罪類型の犯人であることを前提としても、男女としての力の差や、加害男性が逃亡を図って暴れていたという当時の状況に照らして、少なくとも一般人に期待される節度の範囲内として、必要かつ相当な限度内な行為と判断される可能性が高いと考えられるところです。

3 あなたの今後の対応としては、現行犯逮捕の際の具体的な事実経過を基に、加害男性に対する実力行使に何ら違法性がないことを主張し、男性側の不誠実な要求に対しては拒否の姿勢を明らかにしたうえで、不起訴処分を得ようとする男性に対して、適正な謝罪と被害弁償の申入れを行うのが良いでしょう。加害男性の弁護士に直接その旨を伝えるとともに検察官を通じて男性側に働きかけを行うことが効果的な場合も考えられるでしょう。

4 加害男性の弁護人や検察官との折衝が負担に感じられるようであれば、あなたの方でも弁護士を立て、あなたの代理人として活動してもらうことが考えられます。いずれにしても、具体的な事実関係について法的検討を行った上で方針決定する必要がありますので、まずは早い段階で弁護士に相談されることをお勧めいたします。

5 その他の関連する事例集はこちらをご覧ください。

解説

1 加害男性に対する行為の適法性

伺ったところによれば、加害男性(痴漢事件の被疑者)は弁護士を通して、あなたが加害男性に対して腕を掴んで転倒、負傷させた行為について、刑法上の傷害罪(刑法204条)が成立するとともに民法上の不法行為(民法709条)に該当する、との主張をしているものと理解できます。おそらく、痴漢行為については、容疑を否認するとともに、被害を取り下げることにより刑事事件となることを阻止しようという言う狙いと考えられます。まずは今後の対応を考える前提として、加害男性側の主張の当否について検討しておく必要があります。

傷害罪における「傷害」とは、人の身体の生理的機能を毀損する行為を意味するとされ(最判昭和27年6月6日)、暴れる男性の腕を掴んで転倒させ、手首を骨折させる行為は法文上の「傷害」に該当することになります。

また、傷害罪は故意犯(故意がないと成立しない犯罪)であるものの(刑法38条)、暴行罪(刑法208条)の結果的加重犯としての性質を有することから、人の身体に対する有形力の行使についての認識、認容があれば傷害結果に対する認識、認容がなくとも故意に欠けるところはなく、自分の意思で男性の腕を掴み続けていたあなたには、傷害罪の故意も認められるものと考えられます。

以上からすると、本件でのあなたの行為は傷害罪の構成要件に該当することになりそうです。

もっとも、実際に傷害罪が成立するためには、構成要件を満たしていることに加え、違法性が認められる必要があります。例えば、相手を怪我させる行為を行ったとしても、その行為が正当防衛(刑法36条1項)と認められる場合、違法性が認められず、傷害罪は成立しないことになります。

本件では、あなたは痴漢という犯罪を現に行い、あるいは現に行い終わった加害男性を捕まえようとしてその腕を掴んでおり、かかる行為は私人による現行犯逮捕(刑事訴訟法213条、212条1項)としての性質を有すると考えられることから、現行犯逮捕として適法な行為ということができれば、「法令又は正当な業務による行為」として違法性が阻却されることになります(刑法35条)。

民法上も、不法行為(民法709条)が成立するためには、加害行為についての違法性が必要であり、現行犯逮捕として適法な行為といえれば、やはり不法行為も成立しない(損害賠償義務も負わない)ことになります。

2 逮捕のための実力行使の許否

刑事訴訟法は、現に罪を行い、または現に罪を行い終わった者を「現行犯人」とした上(刑事訴訟法212条1項)、現行犯人については、身柄化拘束の必要性が高く、誤認逮捕のおそれも低いことから、「何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」(刑事訴訟法213条)として、私人による無令状での逮捕を認めています。

その際、逮捕にあたっての実力の行使がどこまで許されるのかが問題となりますが、判例によれば、「現行犯逮捕をしようとする場合において、現行犯人から抵抗を受けたときは、逮捕をしようとする者は、警察官であると私人であるとをとわず、その際の状況からみて社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力を行使することが許され、たとえその実力の行使が刑罰法令に触れることがあるとしても、刑法三五条により罰せられないものと解すべきである。」とされています(最判昭和50年4月3日)。

そして、実力行使に社会通念上の必要性、相当性が認められる限度かどうかの判断に際しては、「逮捕者の身分、犯人の挙動その他その際における具体的情況」が考慮されることになります(東京高判昭和37年2月20日)。

例えば、上記東京高判昭和37年2月20日の事案では、深夜帰宅した際、庭先の納屋内から飛び出してきた窃盗未遂の犯人に対して竹棒で2、3回頭部を殴るとともに、顔面目掛けて一升瓶を投げつけて逃走を図るも転倒した犯人に対して上から押さえて殴り、指をかむなどした行為について、「本件における逮捕者が一般人であることを考えれば、逮捕に際し、検察官、検察事務官、司法警察職員等逮捕の職責を有する者に要求される節度の期待できないことは当然である。」として、社会通念上非難し得ない程度の実力行使であると判断されています。

また、東京地判平成元年3月14日の事案では、下着を窃取して逃げようとする犯人に対して、ジャンパーの襟元付近を掴み、ブロック塀に押しつけ、あるいはジャンパーを掴んだままを振り回すなどした上、これを振り解き逃走しようとする犯人に対して、その大腿部を数回蹴るなどした行為について、「被告人が終始Aの手を振り解き逃走しようとしていたことや、被告人との体格等の差を考えれば、私人たるAが被告人を現行犯逮捕する際、この程度の有形力を行使することは、逮捕に伴うものとして許容される限度内と言うべきであって、これを違法とすることはできない。」と判断されています。

以上を踏まえ、本件であなたの加害男性に対する行為が、社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内といえるかどうかですが、当時の具体的状況について、より詳細に伺わなければ確答できかねるところではありますが、あなたとして加害男性の腕を掴む行為のみに終始していたということであれば、迷惑行為防止条例違反という比較的軽微な犯罪類型の犯人であることを前提としても、男女の力の差や、加害男性が逃亡を図って暴れていたという当時の状況に照らして、少なくとも一般人に期待される節度の範囲内といえる可能性が高いと考えられるところでしょう。

したがって、あなたの加害男性に対する行為は、社会通念上逮捕のために必要かつ相当な限度内の実力行使として、違法性が阻却される結果、傷害罪も不法行為も成立しない可能性が高いと考えられます。

3 具体的対応について

あなたの加害男性に対する実力行使に違法性が認められないことを前提とすると、前述のとおり、傷害罪も不法行為も成立しないことになるので、弁護人を通じての加害男性の主張は法的に筋が通っていないことになります。当然ながら、成立していない傷害罪での刑事告訴や、法的に認められない損害賠償請求を恐れて、被害届取下げ等の要求に応じる必要は全くありません。

加害男性側としては、手首の骨折という比較的程度の重い負傷の結果について、何らかの法的主張をしたい気持ちがあるのかもしれませんが、このことをいくら検察官に主張したところで、刑事処分を軽減(起訴を回避)できるような情状とはなり得ませんし、むしろ、刑事告訴や損害賠償への不安に付け込む形で被害届取下げ等の不当要求を行うような不誠実な交渉態度は、かえって情状を悪化させかねないものです。

痴漢(いわゆる迷惑行為防止条例違反)事案の場合、処分相場上、たとえ初犯であっても被害者から宥恕(刑事処分を求めない旨の意思)を得られない限り罰金以上の処分となるのが通例であるため、あなたが男性側の要求に応じない場合、男性側として不起訴処分を得るためには、あなたが納得できるような謝罪と被害弁償を行う内容で適正な示談の申入れを行い、あなたに対する法的責任の追及については諦めざるを得ない状況に置かれることになると考えられます。

あなたとしては、加害男性の弁護人に対して、現行犯逮捕の際の具体的な事実経過と、それを基に、加害男性に対する実力行使に何ら違法性がないことを主張し、何ら誠意ある提示がない状態での被害届取下げ等の要求については拒否の姿勢を明らかにすることで、加害男性側が交渉態度を改めるのを待つべきと考えます。

また、検察官に対し、加害男性側に対する事実主張の内容も含め、交渉経過を詳細に報告するとともに、加害男性側の法的主張に理由がないことを捜査段階で明らかにしてもらえるよう(通常は捜査の一環として既に証拠収集されていることが多いとは思われますが)、逮捕時の状況に関する証拠(防犯カメラの映像や駅員ら目撃者等)の確保を要請しておくことが望ましいでしょう。検察官から加害男性側に対して、その主張が証拠上認められないことの示唆がなされることで、加害男性側の交渉態度の改善が期待できる場合があります。

なお、仮に痴漢行為が認められずに、現行犯逮捕に該当しないような事実関係が明らかとなった場合、逮捕行為は違法な行為となりますが、現行犯逮捕をすべき事実関係があったとあなたが考えかつそのような考えが当時の状況からみて無理もないと考えられる場合は、やはり傷害罪は成立しないことになりますので、万一痴漢の犯人ではなかったらという心配は不要です。

加害男性の弁護人や検察官との折衝が負担に感じられるようであれば、あなたの方でも弁護士を立て、あなたの代理人として活動してもらうことが考えられます。いずれにしても、具体的な事実関係について法的検討を行った上で方針決定する必要がありますので、まずは早い段階で弁護士に相談されることをお勧め致します。

以上

関連事例集

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参照条文
民法

(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

刑法

(正当行為)
第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

(正当防衛)
第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

(故意)
第三十八条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

(傷害)
第二百四条 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

(暴行)
第二百八条 暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

刑事訴訟法

第二百十二条 現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。
2 左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。
一 犯人として追呼されているとき。
二 贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
三 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
四 誰何されて逃走しようとするとき。

第二百十三条 現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。

第二百十四条 検察官、検察事務官及び司法警察職員以外の者は、現行犯人を逮捕したときは、直ちにこれを地方検察庁若しくは区検察庁の検察官又は司法警察職員に引き渡さなければならない。