介護拒否状態下で発生した事故でも損害賠償請求できるか

民事|介護事故|横浜地判平成17年3月22日・判タ1217号263頁

目次

  1. 質問
  2. 回答
  3. 解説
  4. 関連事例集
  5. 参考判例・条文

質問:

私の父は,3年前から介護施設に入所していたところ,先日,入浴時に転倒して頭部を強打する事故が発生しました。救急搬送された先の病院で治療を行いましたが,脳出血の状態がひどく,しばらくして父は亡くなってしまいました。

父は,元々足腰が悪く,歩行や入浴時には職員の介助が必要な状態でした。それにもかかわらず今回の事故が発生した理由が良く分からなかったため,施設側に説明を求めたところ,入浴時の介助が不要であると父から介護を拒否されたため,湯船に浸かるのを外で待っていたところ,今回の事故が発生してしまったということでした。施設側はこのような事情であるので賠償請求には応じられないという態度です。

介護拒否が存在した場合,施設は介護を放棄して良いのでしょうか。施設側に損害賠償を求めることはできないのでしょうか。

回答:

1 介護施設は,介護契約上,介護サービスの提供を受ける者の心身の状態を的確に把握し,施設利用に伴う転倒等の事故を防止する安全配慮義務を負っています。

あなたのお父様は,足腰が悪く,歩行時や入浴時に介助が必要な状態であったということですから,施設側が入浴時に必要な介助を怠ったのであれば,その結果として生じた転倒事故に起因する死亡結果について,安全配慮義務違反を理由に損害賠償責任を負う可能性が高いでしょう。

2 本件ではお父様が施設職員に対して,入浴時の介助が不要であると言って介護を拒否した事情がありますが,だからと言って,簡単に入浴時の介助義務を免れることにはなりません。そのような場合,施設職員の方からお父様に対して,足腰が弱く転倒の危険があるから,入浴時の介助の必要性が極めて高いという点を丁寧に説明し,説得を試みることが求められます。そのような試みを行った上でもなお,お父様が真摯な介護拒否の姿勢を示したといえない限り,施設側が介助義務を免れることは出来ないというべきです。

3 施設側に請求する損害の費目ですが,本件では,治療費,入院雑費,入通院慰謝料,死亡慰謝料,葬儀費用等が請求可能です。算定にあたっては,日弁連交通事故相談センター東京支部が発行している『民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準』(いわゆる「赤い本」)が参考になります。

なお,お父様が自ら入浴時の介護を断った結果転倒している点に着目すれば,お父様にも一定の過失が認められる可能性が高いといえます。過失相殺によって,損害額の一部が減額される可能性が高いことは予め承知しておく必要がございます。介護拒否の状況にもよりますが、3割程度の過失相殺を認めた裁判例があります。

4 施設側に請求を行う前提として,将来訴訟に発展することも見据えて,事故報告書,日報,診療録等必要な証拠の収集を早期段階から行っておく必要があるでしょう。施設側が証拠を改ざんしたり,事実を隠蔽したりすることを防止するという側面もあります。

5 施設側との交渉,訴訟に発展した際の過失(安全配慮義務違反)や損害の立証活動をご自身で進めるのは事実上困難かと思いますので,弁護士への依頼を検討されることをお勧めいたします。

6 安全配慮義務違反に関する関連事例集参照。

解説:

第1 本件介護施設の安全配慮義務違反について

1 介護契約上の安全配慮義務について

介護施設は,介護契約上,介護サービスの提供を受ける者の心身の状態を的確に把握し,施設利用に伴う転倒等の事故を防止する安全配慮義務を負っています(参考裁判例:横浜地判平成17年3月22日・判タ1217号263頁)。

そして,その具体的義務の内容については,各利用者の心身の状態に応じて個別具体的に決せられることになります。

参考裁判例の事案は,施設利用者がトイレ内での介護を断ったことから,職員が外で待機していたところ,トイレの中で利用者が転倒して怪我を負い,後遺症が残った,という事案でした。裁判所は,「本件事故当時において,原告は,杖をついての歩行が可能であったとはいえ,歩行時に転倒する危険性が極めて高い状態であり,また,原告のそのような状態について本件施設の職員は認識しており又は認識し得べきであった」として,原告の心身の状態を具体的に認定した上で,それに応じた具体的な安全配慮義務を特定すべく,「被告は,通所介護契約上の安全配慮義務として,送迎時や原告が本件施設内にいる間,原告が転倒することを防止するため,原告の歩行時において,安全の確保がされている場合等特段の事情のない限り常に歩行介護をする義務を負っていたものというべきである。」としています。

2 介護拒否が安全配慮義務に与える影響について

問題は,利用者に介護拒否が見受けられたという事情が,施設側の注意義務にどのような影響を与えるのか,という点です。

この点に関し,参考裁判例は,「要介護者に対して介護義務を負う者であっても,意思能力に問題のない要介護者が介護拒絶の意思を示した場合,介護義務を免れる事態が考えられないではない。しかし,そのような介護拒絶の意思が示された場合であっても,介護の専門知識を有すべき介護義務者においては,要介護者に対し,介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして説明し,介護を受けるよう説得すべきであり,それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ,介護義務を免れることにはならないというべき」との見解を示しました。

3 本件介護施設の安全配慮義務違反について

まず,施設が負っていた安全配慮義務の具体的内容を特定する必要がございます。お父様は足腰が弱かったとのことですが,その程度によっても話は変わってきます。歩行時や入浴時は常に介護が必要な状態であった,ということであれば,「特段の事情のない限り,入浴時は転倒防止のために常時介護を行う義務を負っていた」という特定方法になります。

その上で,参考裁判例の判示からすれば,お父様が施設職員に対して,入浴時の介助が不要であると言って介護を拒否したからと言って,簡単に入浴時の介助義務を免れることにはなりません。お父様は足腰が弱いため,入浴時に滑って転倒してしまう危険性が健常者よりも大きく,しかも上手く受け身の体勢が取れない結果,命にかかわる怪我を負いかねないことは明白です。介護職員としては,以上の理由から入浴時の介助の必要性が極めて高いという点をお父様に丁寧に説明し,説得を試みること求められていたというべきです。そして,そのような試みを行った上でもなお,お父様が真摯な介護拒否の姿勢を示したといえない限り,施設側が介助義務を免れることは出来ないでしょう。

第2 損害について

1 赤本基準

損害の算定にあたっては,日弁連交通事故相談センター東京支部が発行している『民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準』(いわゆる「赤い本」)が参考になります。

死亡事故の場合に想定される損害の費目として,1治療費,2入院雑費・付添費,3通院交通費,4休業損害,5入通院慰謝料,6死亡慰謝料(被害者本人及び近親者),7逸失利益,8葬儀費用等が挙げられます。

2 各損害について簡単に解説いたします

(1) 死亡前の損害

ア 積極損害

積極損害とは、被害者が実際に支出することが必要となり発生した損害という意味です。1治療費,2入院雑費・付添費,3通院交通費等の実費関係が挙げられます。支出した損害ですから、領収書をしっかりと保管しておく必要がございます。領収書が無い場合は、支出したことを間接的に示すような資料の保全に努めると良いでしょう。

イ 消極損害

消極損害は、被害者が実際に支出したものではないが、本来得られるはずのものが得られないことにより発生した損害(いわゆる得べかりし利益)および精神的損害です。

(ア)休業損害

4休業損害とは,事故によって収入が減少した場合に,休業前の収入との差額を賠償するものです。事故前の収入を基礎として,受傷によって休業したことによる現実の収入減分について,賠償の対象となり得ます。

しかしお父様は,事故当時既にお仕事を引退されていたことから,休業損害の請求はできません。

(イ)入通院慰謝料

5入通院慰謝料とは,入通院に伴って受けた精神的苦痛を慰謝料として算定し,損害賠償を認めるものです。

入通院慰謝料の算定は,入通院期間を「赤い本」に記載されている別表に当てはめて算出することになります。

しかし,お父様は病院に搬送されてから間もなくして亡くなっていますので,入通院期間は短く,そこまで大きな金額にはならないでしょう。

(2) 死亡後の損害

ア 死亡慰謝料

死亡により被った精神的苦痛を金銭換算したものが6死亡慰謝料です。死亡事故の場合,被害者本人のみならず,近親者も甚大な精神的苦痛を受けることになりますので,本人に加え,近親者固有の死亡慰謝料の請求が可能です。

裁判例上の相場として,被害者の立場が一家の支柱であった場合2500万円-3000万円,一家の支柱に準ずる場合2200万円-2500万円,その他の場合2000万円-2400万円程度とされています。なお,この金額は,近親者の固有の慰謝料を含んだ金額です。

お父様のケースでは,2000万円-2400万円程度の慰謝料が認められるのではないかと予想されます。

イ 逸失利益

死亡により失うことになった,将来得られたはずの利益を7逸失利益といいます。

逸失利益の算定方法を計算式にすると,以下のようになります。

(計算式)

逸失利益=基礎収入額×0.5から0.7(生活費割合を控除)×労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数

ただし,お父様の場合,就労可能性がないに等しい状態であったため,逸失利益の請求は困難と予想されます。

ウ 葬儀費用

8葬儀費用についても,事故と因果関係を有する費用として請求可能です。

第3 過失相殺について

なお,お父様が自ら入浴時の介護を断った結果転倒している点に着目すれば,お父様にも一定の過失が認められる可能性が高いといえます。裁判になれば,過失相殺によって,損害額の一部が減額される可能性が高いことは予め承知しておく必要がございます。

なお,参考裁判例は,「転倒に至る経緯や原告が高齢者である一方,被告は介護サービスを業として専門的に提供する社会福祉法人であることも斟酌すると,原告の過失割合は三割というべきである。」と認定しています。介護サービスを専門的に提供すべき法人としては,たとえ高齢の通所者が介護拒否のような態度をとったとしても,安易にそれに迎合してはならないという前提のもと,法人側の過失の方が重いという価値判断を行っていると評価できます。

本件事案でも,同様の価値判断によって,施設側の過失の方が大きいと判断される可能性が十分にあるでしょう。

第4 具体的な請求の流れについて

以上を前提に,施設に対し,安全配慮義務違反を理由に損害賠償請求を行うのであれば,立証の材料を揃えなければなりません。

介護施設は,事故が発生すれば,事故報告書を作成し,市区町村に提出することになっています(指定居宅サービス等の事業の人員,設備及び運営に関する基準第37条)。まずは,市区町村に提出した事故報告書の交付を求めることになるでしょう。

また,介護施設の方で,入所者の様子等を日報等の形式で記録化しているのが通常ですから,当該記録の開示も請求するべきでしょう。

施設側が事実関係を隠蔽したり,証拠を改ざんしたりする危険がゼロとは言えないため,この作業は早急に行うべきでしょう。また,施設職員と面談した際のやり取りもしっかりと記録に残して証拠化できるようにするべきです。

さらに,搬送先の病院の診療録(カルテ)についても,開示を請求する必要があるでしょう。

これらの資料を揃えた上で,まずは介護施設との間で賠償に関する交渉を試み,折り合いが付かなければ訴訟提起を検討することになります。

実際上は,施設が加入している保険である程度は賄われるのだと思いますが,保険でカバーできない損害については,施設側に負担してもらう必要がございます。

以上

関連事例集

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※参照判例・条文

参考裁判例: 横浜地判平成17年3月22日 判タ1217号263頁

(一部抜粋)

「二 被告の安全配慮義務違反の有無について

本件施設は、横浜市が地域における福祉活動、保健活動等の振興を図るとともに、福祉サービス、保険サービス等を身近な場所で総合的に提供することを目的として設置した施設であり、また、通所介護サービスは在宅の虚弱な高齢者や痴呆性高齢者を対象に、健康チェック、入浴、給食、レクリエーション、機能訓練等をし、高齢者の心身機能の維持を図り、併せて介護者を支援するものであることからすると、本件施設の管理運営を横浜市から委託された被告としては、通所介護契約上、介護サービスの提供を受ける者の心身の状態を的確に把握し、施設利用に伴う転倒等の事故を防止する安全配慮義務を負うというべきである。

そして、上記のとおり、原告は従前より足腰の具合が悪く、七〇歳のころに転倒して左大腿骨頸部を骨折したことがあり、本件施設内においても平成一三年二月一二日に転倒したことがあること、同年一二月ないし平成一四年一月ころにおける原告の下肢の状態は、両下肢の筋力低下、両下肢の麻痺、両膝痛、両膝の屈曲制限、左股関節、両膝関節及び足関節の拘縮、下腿部の強度の浮腫、足部のしびれ感、両足につき内反転気味の変形傾向などがあり、歩行時も膝がつっぱった姿勢で足を引きずるような歩き方で不安定であり、何かにつかまらなければ歩行はできなかったこと、原告の主治医においても原告の介護にあたっては歩行時の転倒に注意すべきことを強く警告していることからすると、本件事故当時において、原告は、杖をついての歩行が可能であったとはいえ、歩行時に転倒する危険性が極めて高い状態であり、また、原告のそのような状態について本件施設の職員は認識しており又は認識し得べきであったといえるから、被告は、通所介護契約上の安全配慮義務として、送迎時や原告が本件施設内にいる間、原告が転倒することを防止するため、原告の歩行時において、安全の確保がされている場合等特段の事情のない限り常に歩行介護をする義務を負っていたものというべきである。

そこで、本件事故について歩行介護義務違反があったか検討するに、本件施設の介護担当職員であるCCは、原告がソファーから立ち上がり本件トイレに向かう際、これに付き添って歩行介護をしたものの、原告が本件トイレ内に入った際、原告から本件トイレ内に同行することを拒絶されたことから、本件トイレの便器まで同行することを止め、原告を一人で便器まで歩かせたというのである。しかし、前記認定のとおり、本件トイレは入口から便器まで一・八メートルの距離があり、横幅も一・六メートルと広く、しかも、入口から便器までの壁には手すりがないのであるから、原告が本件トイレの入口から便器まで杖を使って歩行する場合、転倒する危険があることは十分予想し得るところであり、また、転倒した場合には原告の年齢や健康状態から大きな結果が生じることも予想し得る。そうであれば、CCとしては、原告が拒絶したからといって直ちに原告を一人で歩かせるのではなく、原告を説得して、原告が便器まで歩くのを介護する義務があったというべきであり、これをすることなく原告を一人で歩かせたことについては、安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。

この点、被告は、原告が本件トイレ入口において本件施設の職員に対し同トイレ内における介護を拒否したのであるから義務違反はないと主張する。

確かに、要介護者に対して介護義務を負う者であっても、意思能力に問題のない要介護者が介護拒絶の意思を示した場合、介護義務を免れる事態が考えられないではない。しかし、そのような介護拒絶の意思が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、要介護者に対し、介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして説明し、介護を受けるよう説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならないというべきである。

本件施設は介護サービスを業として専門的に提供する施設であって、その職員は介護の専門知識を有すべきであるが、本件事故当時、原告が本件トイレに単独で入ろうとする際に、本件施設の職員は原告に対し、介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性を説明しておらず、介護を受けるように説得もしていないのであるから、被告が上記の歩行介護義務を免れる理由はないというべきであり、被告の主張は採用できない。

なお、原告は、不法行為の成立も主張するが、上記歩行介護義務は上記通所介護契約に基づいて導かれるものであるから、本件では不法行為の成立までは認められない。」

【参照条文】

※指定居宅サービス等の事業の人員,設備及び運営に関する基準(平成11年3月31日、厚生省令第37号)

(事故発生時の対応)

第三十七条 指定訪問介護事業者は、利用者に対する指定訪問介護の提供により事故が発生した場合は、市町村、当該利用者の家族、当該利用者に係る居宅介護支援事業者等に連絡を行うとともに、必要な措置を講じなければならない。

2 指定訪問介護事業者は、前項の事故の状況及び事故に際して採った処置について記録しなければならない。

3 指定訪問介護事業者は、利用者に対する指定訪問介護の提供により賠償すべき事故が発生した場合は、損害賠償を速やかに行わなければならない。