新銀座法律事務所 法律相談事例集データベース
No.1263、2012/5/7 17:33 https://www.shinginza.com/idoushin.htm

【行政事件・医道審議会による行政処分に対する取消訴訟と執行停止処分・東京地方裁判所昭和54年7月3日決定】

質問:私は医師ですが,医療事故で業務上過失致傷罪の有罪判決を受けたことを理由として,本日,「医師法第7条第2項第2号の規定に基づき,平成○年○月○日から平成×年○月△日までの期間,医業の停止を命ずる。」と記載された命令書を受領しました。医療事故を起こしてしまったことについては反省していますが,1年間という長期間もの間,医業停止となることについては納得できません。私は個人の開業医なので,私が医師として働けなくなると診療所を維持することはできなくなります。また,本日から医業停止の始期である平成○年○月○日まで2週間ほどしかないため,私の診療所を任せられる医師を探す見込みも立たず,このままでは現在通ってくれている患者様に多大な迷惑をかけることになります。命令書には「・・・この命令書を受領した日から6ヶ月以内に,国を被告として・・・処分取消しの訴えを提起することができる。」との記載がありますが,処分取消しの訴えを起こした場合,1年間の医業停止処分が取り消される可能性はあるでしょうか。また,私の診療所を任せられる医師を探す期間だけでも現在抱えている患者様を診てあげたいので,そのための手段があればお聞きしたいです。

回答:
1.1年間の医業停止命令が取り消される可能性があるかというご相談については,事故の状況や事故後の被害者への対応などを詳しくうかがわない限り見通しをお答えすることはできませんが,一般的な回答としては処分が取り消される可能性は極めて低いです。あなたの処分取消しの訴え(以下,「取消訴訟」といいます。)が認められるためには,あなたに対する医業停止処分が裁判所において違法と判断される必要があります。医師法7条2項に基づく行政処分の決定については,厚生労働大臣は広範な裁量権を有しており,当該処分が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合に限り違法となります。取消訴訟における裁判所の考え方については,必要に応じて判例を示しながら説明しますので詳しくは下記の解説をご覧ください。
2.次に,あなたの診療所を任せられる医師を探す期間だけでも処分の効力を止める手段はないかというご相談についてですが,取消訴訟を提起しつつ,「行政処分の執行停止」を申し立てるという方法が考えられます。執行停止申立についての概要や,取消訴訟との関係については,下記の解説をご覧ください。
3.医道審議会に関して,法律相談事例集キーワード検索:1245番1144番1102番1079番1042番1034番869番735番653番551番313番266番246番211番48番参照。

解説:
1 医師への行政処分に対する取消訴訟における裁判所の考え方(最高裁判所昭和63年7月1日判決)
  医師法7条2項は,医師に対する行政処分の根拠規定で,いかなる事由があった場合にどのような処分が科されるのかを定めています。
  最高裁判所昭和63年7月1日判決(以下,「昭和63年判例」といいます。)は,以下に引用するとおり,同条項の趣旨についての解釈を示すとともに,医師が「罰金以上の刑に処せられた者」(医師法4条3号)に該当する場合にいかなる処分を命ずるかについては厚生労働大臣の合理的な裁量にゆだねられているとの判断を示しました。
 「医師法七条二項によれば,医師が「罰金以上の刑に処せられた者」(同法四条二号[現行法では4条3号])に該当するときは,被上告人厚生大臣(以下「厚生大臣」という。)は,その免許を取り消し,又は一定の期間を定めて医業の停止を命ずることができる旨定められているが,この規定は,医師が同法四条二号の規定に該当することから,医師として品位を欠き人格的に適格性を有しないものと認められる場合には医師の資格を剥奪し,そうまでいえないとしても,医師としての品位を損ない,あるいは医師の職業倫理に違背したものと認められる場合には一定期間医業の停止を命じ反省を促すべきものとし,これによつて医療等の業務が適正に行われることを期するものであると解される。
  したがつて,医師が同号の規定に該当する場合に,免許を取消し,又は医業の停止を命ずるかどうか,医業の停止を命ずるとしてその期間をどの程度にするかということは,当該刑事罰の対象となつた行為の種類,性質,違法性の程度,動機,目的,影響のほか,当該医師の性格,処分歴,反省の程度等,諸般の事情を考慮し,同法七条二項の規定の趣旨に照らして判断すべきものであるところ,その判断は,同法二五条の規定に基づき設置された医道審議会の意見を聴く前提のもとで,医師免許の免許権者である厚生大臣の合理的な裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。それ故,厚生大臣がその裁量権の行使としてした医業の停止を命ずる処分は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合でない限り,その裁量権の範囲内にあるものとして,違法とならないものというべきである。」

  昭和63年判例は,医師法7条2項に基づく行政処分の決定について,厚生労働大臣に広範な裁量権を認める一方,厚生労働大臣の裁量権の行使が裁量権付与の目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合については,当該処分は違法となると判断しています(行政事件訴訟法30条参照)。
  そこで,いかなる場合に裁量権の逸脱,濫用が認められ,処分が違法となるかが問題となりますが,事実誤認に基づく処分や,法の趣旨・目的とは異なる目的や動機でなされた処分,平等原則や比例原則に反する処分,判断過程に過誤がある処分などが違法と判断されます。
  平等原則違反とは,他の同種事案との関係で当該事案のみが差別的に取り扱われ,その結果不当に重い処分が課されたといえる場合をいいます。
  次に比例原則ですが,違反行為の内容と比較して,処分の内容が不当に重いといえる場合には比例原則違反といえます。
  最後に判断過程の違法ですが,処分を決定する判断の過程で本来考慮すべきではない事項を考慮した場合や,重要視すべき事項を不当に軽視したり,考慮すべき事項について考慮を尽くさなかった場合等には,判断過程に違法があるといえます。
  ご相談の件についても,取消訴訟を提起する場合には,上記のような観点から処分が違法といえないかを検討していくことになります。

2 執行停止の申立てについて
  今回あなたが受けた医業停止処分について取消訴訟を提起したとしても,処分発効までの2週間程度の間に結論が出ることはありません。ある行政処分に対し取消訴訟が提起された場合,当該処分の効果についてどのように扱うかは立法政策の問題ですが,行政事件訴訟法25条1項は,この点について「処分の取消しの訴えの提起は,処分の効力,処分の執行又は手続の続行を妨げない。」として,取消訴訟の提起は行政処分に影響を与えないことを明らかにしています。これを執行不停止の原則といいます。
  同条は,1項で執行不停止を原則としたうえで,2項以降で一定の要件を満たす場合には例外的に執行停止を認めると定めることで,行政の円滑な執行を確保するとともに個人の権利救済に配慮をしています。
  執行停止が認められるための積極要件としては@「処分,処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要がある」(行政事件訴訟法25条2項本文)ことが必要であり,消極要件としてA「本案について理由がないとみえるとき」やB執行の停止が「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」には執行停止をすることができません(同条4項)。
  そして,積極要件@の「重大な損害」を生ずるか否かの判断については,「損害の回復の困難の程度を考慮」し,「損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案する」とされています(同条3項)。

3 過去に執行停止が認められた裁判例
 (1)医師に対する医業停止の行政処分について執行停止が認められた裁判例として,赤ちゃん実子斡旋事件としてマスコミをにぎわせた菊田医師事件があります(東京地方裁判所昭和54年7月3日決定(以下,「昭和54年決定」といいます。))。事案の概要を説明しますと,産婦人科医である被処分者が,かねてから妊娠7ヶ月以降となってなお人工妊娠中絶を希望する妊婦に対し出産をすすめ,出生した新生児の養育を希望する他人に斡旋するとともにその実子である旨の虚偽の出生証明書を発給するという,いわゆる実子斡旋行為を行ってきたことについて,医師法違反並びに公正証書原本不実記載等の罪に当たるとして罰金20万円に処せられました。そして,被処分者は,上記罰金刑に処せられたことを理由に,医業停止6月の行政処分を受けたため,この処分の効力の停止を求め,執行停止を申し立てました。
   昭和54年決定は,以下のとおり判示し,執行停止を認めました。執行停止についての各要件ごとに,判旨を引用します。

  <@ 回復困難な損害が発生し,かつこれを避けるための緊急の必要があるか>
  「疎明によれば,申立人は昭和三三年以来肩書住所地において診療所を開業し,現在の規模は医師一名(申立人),看護婦五名,事務員二名,掃除賄婦三名を擁し,また家族構成は妻のほか,近畿大学医学部三年の長男,松本歯科大学三年の次男及び高校二年の三男をかかえていること,申立人は昭和五二年看護婦宿舎の建築及び二人の息子の入学金の調達等のため合計金七五〇〇万円を銀行から借受け,逐次返済して来たものの,昭和五四年六月九日現在の債務は四七四〇万円にのぼり,その返済として月額元利合計一二〇万円近い支払を要し,更に経常的費用として看護婦等従業員九名(申立人の妻を除く。)に対する給料月額一〇〇万円程度及び長男,次男への仕送りを含む生活費として月額七〇万円程度の支払が見込まれる他,昭和五四年七月二三日には申立人振出の額面八〇〇万円の約束手形の決済が予定されているところ,これらの支払に充当される資産は昭和五四年六月九日現在の銀行預金約二四〇万円と申立人の診療収入による以外は他に適切な支払資金を有しないことが一応認められる。

   ところで申立人は本件処分により一切の医業が禁止されたため,従来どおりの診療所運営を維持するためには他に代替医師を求める他ないものであるが,現在のところ義父である秋田県大曲市在住の鈴木医師が申立人の医業を引き継いでいるものの,右鈴木医師は既に七五才の高齢であるうえその専門は肛門科及び耳鼻科であるため,申立人に代替するには相当の無理があるのみならず,長期に及ぶ代替は困難といわざるを得ないし,申立人がいわゆる実子斡旋の行為を継続して来た等の理由により既に日本母性保護医協会及び日本産科婦人科学会宮城地方部会を除名されるなど,産婦人科医の中にあつて孤立の状態にあることがうかがわれ,かかる特殊事情を考慮すると,他の代替医師を探すことも事実上困難であると一応認められる。
   そうすると申立人は本件処分により医業を停止されると,看護婦等の従業員の解雇或いは診療所施設等の処分を余儀なくされる状況に陥る可能性があるものと推認されるが,かくては仮に本案において本件処分が取消されたとしても従前どおり診療所を再開することは困難であると認めるべく,かかる損害の発生は行政事件訴訟法第二五条第二項にいう『回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき』に該当するものと解するのが相当である。」

<A本案について理由がないといえるか>
  「本件処分は申立人が罰金二〇万円に処せられたことが医師法第四条第二号に該当するものとして同法第七条第二項により処分されたものであるが,右罰金刑に処せられた公訴事実自体は申立人の認めるところであり,申立人の行為は出生した嬰児の母胎を偽るというものであるから,その行為は社会の基本的関係の一つである母胎との関連を最も正確に証明すべき出生証明書に寄せる社会的信頼を動揺させ,右基本的関係に混乱を生ぜしめる虞れがあるもので,当該嬰児の法的地位を不安定なものにするのみならず,将来近親婚の可能性等優生学上の問題をも惹起しかねないことを考慮すると申立人の行為は必ずしも軽視することはできないというべきであるが,一方申立人がこのような真実に反する出生証明書を作成するに至つた動機が営利等不純な目的に出たものではなく,もつぱら母親の意図する人工妊娠中絶により失われるべき胎児の生命を救わんとする点にあつたこと等従来の破廉恥罪等を処分理由とする同種処分と同列に論じ得ない側面を有していることを考慮すると,本件処分につき被申立人にある程度の裁量が認められているにしても,前記事情から直ちに本案につき理由なしと断定することはできないのであつて,本件処分に至る裁量判断の適否につきさらに慎重なる審理を要するものと判断されるのである。従つて,本案について理由がないとみえるとする被申立人の主張は採用できない。」

<B公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるか>
  「被申立人は本件処分の効力が停止されるならば,再び申立人によつていわゆる実子斡旋行為がくり返され,これにより公共の福祉に重大な影響が生ずるものと主張し,疎明資料中にも申立人においてそのような意思を有するかのようにみられるものが存在するけれども,申立人が当裁判所に提出した上申書によれば,申立人は昭和五二年八月以後は同種行為を行つておらず,又いわゆる実子特例法の制定を含め前記人工妊娠中絶に関する問題の解決に努力する意思に変わりはないがその方法としてのいわゆる実子斡旋については既に前記刑事判決に服した以上再度そのような行為に出ることは考えていない旨表明しているのであるから,被申立人主張のような事態が発生する可能性はないものと一応認められるので被申立人の右主張は採用できず,他に本件処分の効力停止により公共の福祉に重大な影響を及ぼすことをうかがうに足る疎明はない。」

   なお,昭和54年決定においては,上記積極要件@について「回復困難な損害」としていますが,同要件については平成16年の行政事件訴訟法の改正によって「重大な損害」に緩和されました。そして,平成16年改正により,「重大な損害」の解釈基準として「損害の回復の困難の程度を考慮」し,「損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案する」との25条3項を新たに設けました。昭和54年決定は,平成16年改正前の事案ではありますが,申立人の経済状況について詳細な検討を行ったうえで,最終的には「従前どおり診療所を再開することは困難」という点を重視しており,損害の性質についても勘案しているといえます。
   昭和54年決定の本案(医業停止処分の取消訴訟)については,最高裁判所まで処分の違法性が争われましたが,上記最高裁判所昭和63年7月1日判決において,医業停止処分が裁量権の範囲を逸脱,濫用したものとはいえないと判断され,処分の違法を主張していた上告が棄却されました。
   このように,執行停止と本案については,処分の有効性について結論に差異が生じることがあります。その理由としては,執行停止の申立てはあくまで執行不停止の原則の例外を認めるべきかという審査を行っており,処分の適法性を審査しているわけではないということがあげられます。

 (2)次に,医師に対する行政処分ではないものの,柔道整復師に対する免許取消処分について,執行停止が認められた裁判例(東京地方裁判所平成22年6月1日決定(以下,「平成22年決定」といいます。))がありますので紹介いたします。事案の概要を説明しますと,平成16年ころ,暴力団員から持ち掛けられ,被処分者が,暴力団員等と共謀の上,実際には行っていない柔道整復施術を行ったものと装い,自動車保険会社から柔道整復施術療養費を詐取した事件で,詐欺罪にあたるとして有罪判決が確定しました。これを理由に,被処分者は,柔道整復師免許の取消の行政処分を受けたため,この処分の効力の停止を求め,執行停止を申し立てたという事案です。こちらも,各要件ごとにポイントとなる判旨を引用します。

<@ 重大な損害を避けるため緊急の必要があるか>
  「行政事件訴訟法25条2項本文にいう『重大な損害を避けるため緊急の必要がある』か否かについては,処分の執行等により維持される行政目的の達成の必要性を踏まえた処分の内容及び性質と,これによって申立人が被ることとなる損害の性質及び程度とを,損害の回復の困難の程度を考慮した上で比較衡量し,処分の執行等による行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなおこれを停止して申立人を救済しなければならない緊急の必要性があるか否かという観点から検討すべきである。
   そして,申立人は,専ら経済的損失の発生をいうところ,経済的損失は,基本的には事後の金銭賠償によるてん補が可能であることにかんがみれば,経済的損失が発生するおそれを理由として,上記緊急の必要性があるといえるためには,当該経済的損失の発生につき事後の金銭賠償によってはその回復が困難又は不相当であると認められるような事情が存することが必要であるというべきである。」

   平成22年決定は,以上のような判断基準を示したうえで,申立人側の事情としては,失職の可能性が高いこと,再就職先を見つけるのが非常に困難であること,申立人は生活保護を受けている75歳の母親と二人暮しで自身は破産手続き開始決定を受けており,経済面で親族からの援助を期待するのが困難な状況にあること等を考慮し,「本件処分の効力が発生した場合,申立人は収入の道を断たれ,他に利用可能な財産も限られていることから,申立人の生活は早晩困窮することが高い確率で予想され,申立人に,事後の金銭賠償では回復が困難な重大な損害をもたらす蓋然性が高いといわざるを得ない。」と判示しました。他方,行政目的については,「第1次的には,犯罪を犯し,適格性を欠く柔道整復師が業務を行うことを防ぎ,当該柔道整復師による不正不当な行為が繰り返されることを防ぐことである。」と述べたうえで,処分原因事実が,申立人の柔道整復師としての知識・技術等に問題があることが原因となったものではないこと,申立人の患者が直接の被害者になったものではないこと,申立人への処分を決定する手続きを行うまでに相当程度の期間が経過しており迅速に処分を行ったとは言い難いこと等を考慮し,結論として,「本件処分による行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなお申立人を救済しなければならない緊急の必要性があるということができるから,「重大な損害を避けるため緊急の必要がある」(行政事件訴訟法25条2項)と認めるのが相当である。」と判示しています。
   平成22年決定が示している「事後の金銭賠償によってはその回復が困難又は不相当であると認められるような事情」についていかなる事情が必要かは解釈の問題になりますが,失職の可能性が高いことや再就職が非常に困難であること,申立人の具体的な経済状況等を考慮して「重大な損害」を認めた本件は事例判断ではありますが,積極要件@について今後の参考になる裁判例といえます。

<A本案について理由がないといえるか>
  「一般に,柔道整復師法4条各号の事由がある柔道整復師に処分をするかどうか及びどのような処分をすべきかは処分行政庁の裁量にゆだねられているとしても,処分行政庁が考慮すべき事項を考慮せず,考慮すべきでない事項を考慮して判断をした場合や,その判断が合理性を持つ判断として許容される限度を超えた不当なものである場合には,処分行政庁による柔道整復師法8条に基づく処分が裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものとして違法と判断される余地があり得るところ,本件についても,そのような余地の有無を判断するために,申立人の本件詐欺事件の犯行に至る経過や犯行態様,受刑後の生活状況や稼働状況等について,本案の審理を経る必要がないということはできない。
   以上によれば,一件記録に照らしても,現段階において,本件処分が裁量権の範囲を逸脱するもので違法であるとの申立人の主張につき,本案事件の第1審の審理を経ることなく直ちに理由がないとまではいい難い。」「そうすると,本件申立てが,『本案について理由がないとみえるとき』に該当するということはできない。」
   平成22年決定は,消極要件Aについては,個別具体的な事情についてあまり検討せずに,消極要件である「本案について理由がないとみえるとき」は該当しないと判断しています。このような判断がなされたのは,行政事件訴訟法25条4項が「本案について理由があるとみえるとき」を積極要件とせずに,「本案について理由がないとみえるとき」を消極要件と定めたことの帰結かと思われます。
   消極要件Aの解釈については,仙台高等裁判所昭和51年5月29日決定が参考になりますので引用します。
  「「本案について理由がないとみえるとき」とは,執行停止の申立が主張自体明らかに不適法または理由がない場合であるとか,その主張を裏付ける疎明が全くないか,又はあつてもいまだこれを裏付けるに十分でない結果,本案請求の理由のないことが明らかである場合を言うものと解すべく,処分の違法性の疑いが多少とも存するとき,もしくは本案の理由の存否がいずれとも決し難い不明の場合は,同条項に該当しないものと解するのが相当である。」
   上記仙台高裁決定によれば,執行停止申立てにおいて,申立人が立証すべきは本案の理由の存否について不明に持ち込むことで足りますが,平成22年決定の判旨をみても,仙台高裁決定の考え方が及んでいることがわかります。

<B公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるか>
  「相手方は,本件処分の効力を停止すると,本来,柔道整復師としての適格性を欠く者が,柔道整復師として医療等の業務を継続し,同種の犯罪,不正等が再び行われるおそれも否定できず,国民の安全な生活の維持及び確保,柔道整復師及び医療制度に対する国民の信頼の維持という柔道整復師免許制度の趣旨に反する状態を招来し,ひいては,公共の利益を害する結果を生じさせるおそれがあり,殊に申立人の本件詐欺事件の犯行態様に照らせば,本件処分の効力を停止することは,かかる非違行為が柔道整復師として容認されるがごとき感覚を一般市民や医療従事者等に与え,柔道整復師の業務の現場の倫理のし緩を招来するとともに,国民の柔道整復師に対する信頼一般を害する旨主張する。
   しかし,本件処分の効力が停止され,申立人が引き続き柔道整復師としての業務を行うことがあっても,本件詐欺事件により有罪の判決を受け,実際に服役し,反省の態度を示している申立人が,再度刑事手続を受ける危険を冒して同種の犯罪行為を行うおそれは極めて低いと考えられるだけでなく,前記2(4)で説示した点[積極要件@を認める際に考慮した申立人側の事情]を考慮すると,直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとは認め難いというべきである。また,本件の第1審判決言渡しまでという限られた期間において,申立人に対する本件処分の効力が停止されることになったとしても,非違行為が柔道整復師として容認されるがごとき感覚を一般市民や医療従事者等に与えるとは到底いえないのであって,本件執行停止の申立てを認容することにより,公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとはいい難い。」
   消極要件Bについては,処分の執行停止が国民の信頼一般を害するという行政側の抽象的な主張を排斥し,被処分者が,処分対象となる非違行為を再度繰り返すおそれがあるか否かを具体的に検討したうえで結論を導いており,今後の参考となる裁判例といえます。

3 ご相談の件で執行停止の各要件を満たすかについては,ご相談の内容だけからでは判断しかねますが,これまでの裁判例では,申立人の経済状況を具体的に検討したうえで積極要件@を認定していますから,この点の主張が可能かいなか検討が必要です。処分の効力を争いたい,また処分が直ちに生じてしまうと様々な不都合があるということであれば,処分が発効する前に取消訴訟を提起したうえで,執行停止の申立てを行うべきですので,関係する資料を持参のうえ直ちに弁護士に相談することをおすすめします。

[参照条文]

医師法
4条柱書 次の各号のいずれかに該当する者には,免許を与えないことがある。
3号 罰金以上の刑に処せられた者
7条2項
医師が第4条各号のいずれかに該当し,又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは,厚生労働大臣は,次に掲げる処分をすることができる。
1号 戒告
2号 3年以内の医業の停止
3号 免許の取消し

行政事件訴訟法
25条(執行停止)
1項 処分の取消しの訴えの提起は,処分の効力,処分の執行又は手続の続行を妨げない。
2項 処分の取消しの訴えの提起があつた場合において,処分,処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要があるときは,裁判所は,申立てにより,決定をもつて,処分の効力,処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止(以下「執行停止」という。)をすることができる。ただし,処分の効力の停止は,処分の執行又は手続の続行の停止によつて目的を達することができる場合には,することができない。
3項 裁判所は,前項に規定する重大な損害を生ずるか否かを判断するに当たつては,損害の回復の困難の程度を考慮するものとし,損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案するものとする。
4項 執行停止は,公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき,又は本案について理由がないとみえるときは,することができない。
5項 第二項の決定は,疎明に基づいてする。
6項 第二項の決定は,口頭弁論を経ないですることができる。ただし,あらかじめ,当事者の意見をきかなければならない。
7項 第二項の申立てに対する決定に対しては,即時抗告をすることができる。
8項 第二項の決定に対する即時抗告は,その決定の執行を停止する効力を有しない。
30条(裁量処分の取消し)
行政庁の裁量処分については,裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り,裁判所は,その処分を取り消すことができる。

柔道整復師法
第4条(欠格事由)
次の各号のいずれかに該当する者には,免許を与えないことがある。
1号 心身の障害により柔道整復師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
2号 麻薬,大麻又はあへんの中毒者
3号 罰金以上の刑に処せられた者
4号 前号に該当する者を除くほか,柔道整復の業務に関し犯罪又は不正の行為があつた者
第8条(免許の取消し等)
1項 柔道整復師が,第4条各号のいずれかに該当するに至つたときは,厚生労働大臣は,その免許を取り消し,又は期間を定めてその業務の停止を命ずることができる。
2項 前項の規定により免許を取り消された者であつても,その者がその取消しの理由となつた事項に該当しなくなつたとき,その他その後の事情により再び免許を与えることが適当であると認められるに至つたときは,再免許を与えることができる。

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